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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~ユダともならず...~(66)

2016年06月23日 | 俳人杉田久女(考)

昭和11(1936)年『ホトトギス』10月号に自分の除名社告を見た久女は、おそらく我が目を疑い言葉を失ったでしょう。この時、久女46歳でした。

結果としてみると、この除名は久女の俳人としての生命だけではなく、久女の実人生までを崩壊させ、その生涯を完全に閉ざすことにつながりました。が虚子は久女は除名後は他派へ移ると予想し、
彼女にそれ程の打撃を与えるとは考えなかったのかもしれません。

除名から少し経ち落ち着きを取り戻した頃、久女は除名は自分の去就について、虚子に試されているのだと考え、いつの日か虚子の勘気が解けて、再び同人に返り咲く日が来ることを信じていたようで、最後まで他の結社に移ることはしませんでした。

除名後の、昭和11年12月号の『俳句研究』にこんな作品を発表しています。

ユダともならずの前書きがあり

      「 春やむかし むらさきあせぬ 袷見よ 」

前書きのユダという言葉に、除名されても『ホトトギス』を裏切る者ではないとの思いがこめられているようです。

又、除名から1年後に『俳句研究』10月号に発表した「青田風十句」の中に、
下の様な大胆な4句があります。

      「 立てとおす 男嫌ひの 単帯 」

      「 張りとほす 女の意地や 藍浴衣 」

      「 押しとほす 俳句嫌ひの 青田風 」

      「 虚子ぎらひ かな女嫌ひの ひとえ帯 」

この時期の久女の気持ちを表す句と言えるでしょうが、その様な背景を離れても4句ともキッパリとした季語の使い方が小気味よく、切れの良い魅力的な句だと感じます。

「男嫌い」、「女の意地」、「俳句嫌い」、「虚子嫌い」と言い放つ久女の心には、当然自身の句集出版、除名へのわだかまり、怒りが渦巻いていたと思われます。

久女年譜によると、昭和13(1938)年に長女昌子さんの結婚を祝う句が『ホトトギス』雑詠に3年ぶりに乗りました。
 
      「 母として 新居訪うなり 菊の晴 」

      「 新婚の 昌子美はし さんま焼く 」 

幸せな結婚をした娘を見守る母の喜びにあふれた句ですね。『ホトトギス』除名の痛手で悶々と暮らしていたでしょうが、母親としての務めはちゃんと果たしていたのですね。
    

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