日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~同人削除~(64)

2016年06月17日 | 俳人杉田久女(考)

高浜虚子がヨーロッパから帰国して数か月経った、昭和11(1936)年の『ホトトギス』10月号に、1ページを割いて「同人変更」の社告が載りました。その同人変更の社告とは

  〈 従来の同人のうち、日野草城、吉岡禅寺洞、杉田久女の三君を削除し、
    浅井啼魚、滝本水鳴 両君を加う。      ホトトギス発行所 〉

というものでした。これが久女の俳句人生
において最大の謎とされる事件の発端でした。社告の中の“削除”という言葉は除名と置き換えてもいいと思います。

この様な1ページを割いての社告は前代未聞のことであったらしく、なんの説明もなく、一方的な通告で久女は『ホトトギス』を除名されたのです。久女はさらし首になったも同然であり、これによって俳人としての命をたたれたのです。

除名された3人のうち日野草城、吉岡禅寺洞は、『ホトトギス』同人でありながら花鳥諷詠に飽き足らず、新興俳句運動の提唱者になっていたので、同人除名もある程度納得できると周りも思っていたようです。

が、しかし杉田久女が彼らと同じように除名されたことは、俳檀の人々を非常に驚かせました。当時の久女は前記の二人と違って、『ホトトギス』を批判するどころか、虚子を敬慕し客観写生の重要性を説いていたからです。

高浜虚子は久女除名の理由をその後も明らかにしないまま亡くなりましたが、当時の状況を丁寧に追っていくと、おのずと見えて来るものがあるようです。

研究書によると虚子への度を越した心酔ぶりが、虚子に嫌われたのだという噂が当時ささやかれていたのは事実のようです。しかし俳句の実力はあるけれど、自分を心酔しすぎるから除名したなどとは、まったく筋の通らない話です。周りに明らかに出来ないだけで、久女を除名したのには除名するだけの明確な理由が、虚子の胸の中に在ったのだと思います。

私は、前記の二人の除名は付け足しで、久女を除名するのが虚子の真の目的であったのではと感じています。他の
二人はいずれ新興俳句陣営に行く人なので、彼らが『ホトトギス』から脱退する前に除名して『ホトトギス』の威を保ち、目障りな久女を彼らとひとくくりに除名したのではと思えてなりません。

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ⇐クリックよろしく~(^-^)