クレタ島はギリシャ文明発祥の地でもあり、紀元前18世紀にはミノア(クレタ)文明が花開きました。その中でもクノッソス宮殿はよく知られ、それまで物語とされていたのが遺跡発掘により、この宮殿が実在のものだったことが証明されたのだそうです。
クノッソス宮殿遺跡見学の前にイラクリオンの旧市街にある考古学博物館を見学しました。アテネの国立考古学博物館はギリシャ全土の遺跡からの出土品が収められていますが、唯一ミノア(クレタ)文明の出土品だけが展示されていません。それはクレタ島に興ったミノア文明の遺産はほとんどこの博物館に収められているからのようです。
1Fがクレタ島全土から出土したもので、2Fが主にクノッソス宮殿跡から出土したものになっています。
牛を飛び越えるアクロバットを描いたフレスコ画。クノッソス宮殿遺跡から出土した壁画だそう。BC 1450~1400年頃のものと推定。茶の部分が残っていた部分で、白い所は復元。復元が果たしてそうだったか難しいところですね。
「パリジェンヌ」の通称がある女性像。クノッソス宮殿遺跡より出土した壁画。お洒落な女性像なので、こう呼ばれるそう。
タコが描かれた壺。何となく洗練された画ですね。クノッソス宮殿遺跡より出土。ギリシャ人はタコをよく食される様ですね。メニューにもよくありました。
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「リュトン」と呼ばれる形式の、儀式用カップ。これが何故カップなのか分かりません...。
イラクリオンの考古学博物館見学後、クノッソス宮殿遺跡に向かいました。
クノッソス宮殿が実在のものだと証明される様になったのは、1900年に遺跡発掘を始めたイギリスの考古学者アーサー・エヴァンズによってだそうです。遺跡前に彼の胸像がありました。
<アーサー・エヴァンス胸像>
研究によると、クノッソス宮殿はミノス王が紀元前18世紀に建てたとされ、当時は王の住居、政治、経済、祭祀の中心地としての役割も担っていたといわれています。
この遺跡はデルフィ遺跡のように荒涼とした感じはなく、明るく何となくロマンを感じる遺跡です。というのは一部しか残っていなかった柱などを、アーサー・エバンズが部分的に復元したからでしょう(下の写真の茶色の柱など)。この事については考古学界に賛否両論の激しい論争があるようです。
下の写真は写りが悪く申し訳ないですが、周りの壁画は復元されたもので、右側に映っている大理石の玉座はオリジナルなのだそうです。
宮殿跡にあった壁画などは鮮やかに復元してあります。
女王の間のイルカの壁画(復元)。
食糧庫。こんな壺に入れて保存していたのですね。
BC3000年頃始まり、BC18世紀~BC15世紀が最盛期だったとされるミノア文明は、BC14世紀頃突然滅んだといわれています。それはサントリー二島の大噴火と時期が同じことから、地震と津波が原因だったとも、後に文明を築くミケーネ人に攻撃されたとも考えられているそうです。
茫々たる時の流れに押し流されて、今では何もわかりませんが、この様な遺跡を目にすると、古代へのロマンをかきたてられますね。
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