勘違いしておりました。
「胆力」というのは別に「負けないぞ」と力むことじゃないんです。
勘違いしている人がいるかもしれないけれど、そうじゃないんです。「断定する」ことなんです。
自分があるとき、ある場所にいて、何かをしている時には、
「私が今ここにいることは、宇宙が始まって以来、宿命づけられていた必然の出来事である」と断定しなければならない。
「俺はここでこんなことをしてていいのだろうか」という、断定のない、決めのない気持ちはよくない。
内田 樹先生の合気道の師である多田宏先生も「胆力」と「断定する」という言葉を同じ意味で使われるそうです。
「うんっ」と言って、自分をその場所に据え付けるための胆力。
何やら倍音声明のようではないか。「うー(UT)」と言って身体を振動させ、宇宙の振動にチューニングしていく。
今ここを疎かにしない。球体の上をどこまで行っても地平に果てがないように、自分の目の先、鼻の先だって宇宙の果てなのです。
自分がいる「今ここ」は、宇宙の果てにも匹敵する特異点であり、特別で断定的な場所なのだと捉えると、
もっともっと、「今ここ」や周りの人を大切に感じられるようになるのかもしれない、ふとそのようなことを思いました。
George Harrison - What is life (lyrics)
ジョージですら、これが人生の必然なのか、自分は一体誰なのかと戸惑い、困惑し、断定できずにいるが、
「ここに自分がいることには、深い必然性がある」と断定する。
「俺は、こんなところで一体何をしているんだろう?」とは思わない。
ネット(Lifehacker)の記事からですが、「限界と共に働く」ということは、「諦める」ということとはまったく違うのですね。
限界=こんなところ、ではなく、限界と共にいることには深い必然性があるのだと捉えるなら、いつもご機嫌でいられるかもしれません。
そうやって、限界すらも断定していくことが「胆力を練る」ということに他ならないのかもしれません。
先日、良い文章に出会いました。
何が起こっているかなどまったく気になりません。
自分がこれからどうあるか
何者でいるか、どう感じるかを決めるだけです。
なぜなら、あなたがそうしたいからです。
他の理由は必要ありません。
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