良いサイトを教えていただいた。(まだまだ知らない自分を探して)
ナショナル ジオグラフィックの創刊15周年 Special sightでカモメのジョナサン風の映像をつくってみた。
→photo letter 『カモメ史上初の、飛行技術の限界突破を目指せばよいのだ、ジョナサン』
ホワイトドライバー、かもめが飛んだ日で記事にしたのだが、
カモメのジョナサンの物語には、ゴルフばかりではない、
冴えない(と誤解されがちな)人生への示唆に富んだ励ましが込められているのです。
「たいていのカモメにとって、大切なのは飛ぶことではなく、食べることだ。
しかし、このカモメにとっては、食べることではなく、飛ぶこと自体が重要だった。」
心当たりはないだろうか。
大方の意見とは違った価値感のほうを本当は大切に感じているようなことに。
自分にとって大切な心的現実は、人それぞれに違うのがむしろ自然なことではないのか。
(心的現実性こそが重要である)
最大公約数的な、あたりさわりのない世界こそが正しい、というのは少し違うと思う。
~ 現実は、私たちの生存を支える不可欠な条件である。
しかし、仮想が現実に比べて劣るというのでは決してない。
モーツァルトやアインシュタインといった創造的な天才の中では、
むしろ仮想が現実よりも魂に近かったのではないか。
今現在が人類史上最高の到達点であって、
今信じられている現実~モラルや価値感やルールや社会インフラ~が唯一無二で絶対のものであるはずがない。
どうしようもないことだ。お前は一羽のカモメにすぎない。
もともとお前のできることには限りがあるのだ。
もしもお前が飛ぶことに関して普通以上のことを学ぶように定められていたとしたら、
目をつぶってでも正確に飛べるはずだぞ。
そしてハヤブサの短い翼がそなわっているはずだぞ。
馬鹿なことは忘れるがいい。
この世界にあるモノサシが絶対のモノサシだと誰が断言できるのでしょう。
モノサシには限界や誤りがあることを自覚しつつ、そのようなモノサシたちとも上手く折り合いをつけてゆく。
だから、狭い限定されたモノサシにおいて必ずしも認められなくとも、無理に謙虚でいる必要もない。
モノサシのほうが誤っていることは往々にしてあるし、モノサシがまるっきり別のものに変わってしまうことだってある。
それは歴史も証明している。
だから、
ジョナサンのように、たとえハヤブサでなくとも、
カモメ史上初の、飛行技術の限界突破を目指せばよいのだ。
自分を飛行練習に駆りたてる盲目的な衝動を大切にして、
漁船と岸を行きつ戻りつする代わりに、どれほど豊かな意義が彼に生活に与えられたか。
史上最速のハヤブサである必要はない。
ハヤブサでないからといって、飛行技術の向上をあきらめる必要もない。
「そこに行けないから、上を向いてはいけないという道理はない」、
私が思いついたフレーズにしては、なかなか良い。
(コクリコ坂から~そこに行けないから、上を向いてはいけないという道理はない)
このようなメッセージは、あちこちにある。きっとそれはほんとうだ。
( ↓ )パットが" 入らんだ~"と嘆いているわけではない。
地を這いずり廻り、好むと好まざるに関わらずラットレースに参加しているのかもしれないが、
高い視座を持って、時々は高地人でありたいと思う。
Highlander - Joe Hisaishi
写真を選ぶ段階では小さくてよくわからなじゃったけど、こういう写真だったのね~って、また新鮮!
あ、私のとこまでご紹介ありがとうございます
ナショナル ジオグラフィックみたいなYouTubeサイトで、くじらをぼーっと見てるのがよかったりもします。