記念。内田先生とTwitterでやり取りできました。
近ごろ、というか前からですが、能や相撲(腰割やすり足、土俵入りの型とアドレスの関係に至るまで)、禅などの和の身体動作を、
ゴルフに取り入れることはできないか、ということを考えていました。
そんな折、能の稽古を17年間も続けられているという内田先生の呟きにビビっときたのです。
能の動きは至ってシンプルなのに、17年を経てもなお、″ああ、なんて面白いんでしょう。″という発見がある。
能の世界では、いつまでたっても、至らない自分をはばかることなく、てらいもなく居られる。
ゴルフはややもすると、上級者目線での分かったような物言いが多くなっていくように感じるのですが、
こんな風に、なんて面白いんでしょう、っていつまでも言えたら素晴らしいじゃないですか。
ゴルフをプレーしているさなかにも、″ああ、これこれ。″ ″ちょっと違う、、あぁ、そこそこ!″って感じる瞬間があるでしょう。
あっ、ここだと思うものを自分で見つけていく面白さ。
でもそのような感覚は、またすぐに消えてしまう。
だから、また累々と型を繰り返しながら、その感覚を追い求めていく。
何年やってようが、100叩こうが、てらいもなく、そのような面白さがあることを自由に語ってもいいと思うのです。
ゴルフではだめですか。
強烈な自然力を「おろし」てきて、それを充分に発動させる能楽は、日本人が見出した特異な技能のひとつの到達点だったんじゃないかと思います。
剣術もそうなんです。
剣の斬撃力というのは、すごいものなんです。
人間の腕で振った刀にどうしてそんな強大な力が発揮されるのかわからない。
それくらいに凄まじい力が出る。
剣もまた、それを通じて、荒々しい自然力が発動してくる一つの通路なんですよ。ただの道具じゃない。
人間が筋肉を使って振り回すのじゃない、逆なんです。剣を手に持つと、自然力が人間の身体を通じて発動してくる。
だから太刀を扱う時の人間の仕事というのは、振り回すことじゃなくて、太刀の動き出しと、刃筋を決めること、あとは太刀を止めること。
自然力を「おろし」て、発動させた後に上げる。
その点については、剣と能は原理的には同一の技能だったと思います。
まるで、ゴルフ・スイング理論そのものじゃないですか。
(ストッパーとは強烈なテコのエネルギー、、『 圧倒的な「勁(けい)のエネルギー』と呼ばれるもの)
「陸には源氏、沖には平家」、
平安末期からの中世初期に、騎馬集団と海民集団といった自然力を操る技能集団が覇権を競い、
彼らに続いて、自然力を巧みに取り込んで活用する技能を持った集団が次々に出現してくる。
そういった時代に生まれた、憑依的な自然力の発現としての芸能である「能」には、
一芸能には留まらない、人間世界に自然や異界の力をおろしてきて制御するためのノウハウが集大成されているように思うのです。
ゴルフにも共通するような様々なヒントがあるにちがいないと思うのです。
「荒々しい自然力を制御する技能」であるゴルフ、いかがでしょか。
ゴルフではだめですか、というアンチテーゼだけでは終わらずに、ゴルフでもいいんですよ、ということにしてしまって、
「自然力のおろし方」についてまで来てしまいました。
まだ、書きたいことあるのです(ターゲットゲームから仲間を動かしていくゲームへの発想の転換や、共鳴や地謡といったこと、相撲の型や流れについて)が、ますます纏まりがなくなりますので追々。
能と同じです、限りがありません。
~ 「いのちには終わりありけり、能には果てあるべからず」(世阿弥)
Tom Waits - Take me home
ホームコースへ連れてっておくれ。
ばかばか、打ちのめされても愛してるよ
内田先生ともキャッチボールできるなんて
ようやく購入してあった『荒天の武学』読み始めたとこです。
うんうんってもう付箋がいっぱいです。
英語と日本語の両方で表示されるので、ちょっとした英語を口にするトレーニングにもなるし、何よりリアルタイムな日本駐在記みたいで面白いと思って。
荒天の武学みたいな、行の途中で立ち止まって、ふむふむするような本は面白いですね。
ぼくも今は内田先生とヨガや瞑想で有名な成瀬雅春さんの対談本を愉しんでます。