ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
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がん患者であることに一生懸命にならない~ 馨香楼でご馳走できなくてごめんなさい

2013年04月10日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

もはや日本人の2人に1人はがん患者になると言われている。
自分に順番が廻ってきたとしても、それほど特別なことではない。

ドラマや物語ではあるまいに、殊更に大仰にすることはよろしくない。
日常が恒常的に九回裏ツーアウト満塁、なんてあり得ない。
特に家族とは、特別な風ではなく、いつも通りに接すると決めました。
ただでさえ巻き込まざるを得ない部分があるのだし、我が身ひとつのことに必要以上に巻き込むのはいけません。

~「がん患者であることに夢中になってはいけない」、
がんのことで頭がいっぱいになるのではなく、がんと程よい距離感を持つ。
患者としての自分とは別に、「もう一人の自分」を持ち、病気とうまく付き合う。
がん患者であることに一生懸命になることをせず、それ以外に大事を見つける。

~ あと何年、みたいなカウントダウンのような考え方をしてみたところで、残りの人生を充実させるうまい方法なんて見つからない、
 「がんになっても泣くな、喚くな。」
  がん患者だからと言って、特別扱いもされなければ、特別真面目に暮らすわけでもなく、普段通りに生活する以外にない。


働き盛りの39歳で悪性リンパ腫というがんを発症し余命2年を覚悟、
国会議員に当選して間もなくの頃に発症したため、家族にさえ病名を告げず、16年もの間、次から次へと現れる副作用と付き合いながら経過を見続けてきた、といいます。
一つ目のがんの後も35年間に渡ってがんと共に生きてきた、
がん患者でもありながら、政治家という厳しい世界に身を置き、今なお、がんサバイバーとして日常を生きている、
そんな人が現実にいるのです。

  ~ 社会生活を続けていく者としての、がん患者でなくてはならない。

お手本を見つけたような気がした。

(73歳にして染めることなく黒々とした頭髪、" 抗がん剤治療によって髪の毛が一度すべて抜けて生え変わったからではないかと思ってます "。
病気は体のバランスを取り戻すための生命の働きなのかもしれない。)

がんの顔つきと言われるようにがん細胞は様々であるから、一括りにはできませんが、
かつて経験したことのない現実を前にして、「心が折れない」気持ちの持ち方を学び、習得してゆく必要を感じます。 
私はこれまで手術や入院とは無縁であったから、経験値がないだけなのです。

それにがんというのは、根絶がなかなかにむつかしい。
がんを発症したら、再発する可能性とも上手に付き合っていかないといけない、、肉体的にも精神的にも、社会的にも金銭的にも。

~ 「自分ひとりが達観してるわけでも、特別なわけでもない。」

淡々として、無駄な力が入っていない、心の姿勢のようなものが、励ましになり、勇気づけにもなる。

" 彼(てき)を知り、己を知れば、百戦危うからず "
がんサバイバーとして生きてゆく基礎となる、気持ちの足腰みたいなものをしっかり作ってゆきたいと思うのです。

与謝野馨氏 趣味のカメラについて

 

好奇心にあふれた愉しい方だ。執着心や悲壮感みたいなところから離れている。
荒天の武学、とはこういう態度のことを言うのかもしれない。近づこう。

 

3/13に腰のMRI撮影でがんの可能性を指摘されてから、腰椎の圧迫骨折や仙骨の腫瘍による座骨神経痛を痛み止めで抑えながら、プライマリーを特定する検査が続いていました。
ようやく検査結果が昨日でました。ここまでの迅速な対応に感謝しています。

(枠外でドクターが急ぎ予約の指示を入れてくださるので、印字には毎度のようにナイナイが。)

 

( ↓ )  ちょうど時期を同じくして著書を読んでいた与謝野馨氏の名前を"香らせた″店名に、縁を感じたのです。

今日はこれからセカンド・オピニオンの相談に行ってきます。明日にはまた出勤するつもりです。

鰻ダレ日記、うまくゆきませんでした。仮病ではなかったので、奢れません、仕事共々申し訳ないです。
(これ、読んでるひとはいないので、ここで謝っても伝わらないけど.)

こんな弱っちいことになるとは、本人も驚いているんです。そのぶん、これから強くいこうと思っています。
奢りたかったです、仮病のお仕置きに。 

<初稿 2013/4/6(土) / 「馨香楼」>

昨晩、このようなつぶやきを発したのですが、ここ美味しかったです。カイワレみたいな野菜の炒めもの、初めて食べたなぁ。
一緒に仕事しているコンサルの人の勧めもあって、歓送会に使った店なのですが、店名がすごくタイムリーな感じがして。

何言ってるか分かんないと思いますけど、この「馨香楼」という店名にかこつけた記事を近々アップするつもりです。
こういう、一話完結的でない、つけたし鰻ダレみたいな書き方も悪くないでしょ。

どこまでも亭主九分九厘で申し訳ないですけど。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (沙於里)
2013-04-11 14:07:16
既にこの域にいるのは、今までのゴルフィーさんの生き方、人生の賜物なんだろうなぁと、
私も力をもらいました。
執着しない生き方、私も探してみようと思います!
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Unknown (沙於里さんへ)
2013-04-12 05:07:19
この域になんていなくて、ただお手本にしたいなぁと。
ぼくは、どこまでいっても、ぼけなすであることに変わりなく。。
でも、こういう方はすばらしい。病院でインタビュアーに言ったそうです。ここにいる患者の人たちはそれぞれに闘っているのに、喚いたり叫んだりしてない、みんなそれぞれに耐えている、みたいなことです。
ぼくは、そのような美徳をなかなかに実践できそうにないので、なんどもそういう人たちの薫陶を受けているのです。
返信する
Unknown (沙於里)
2013-04-14 21:20:58
あ、この域ってのは、この本を見つけてお手本にしようと思っているってこと 
どうにもならない現実を人はそれぞれ持っているんだと思うのですが、
与謝野さんの生き方は、私もお手本にしたいなぁと、ご紹介下さりありがとうございます 

返信する
病にならなければ、 (沙於里さんへ)
2013-04-14 22:29:25
このような本は、手にしなかったと思います。
やっぱり、どこかで、自分には直接関係はないという気持ちがあったと思うのです。
病気が少しは成長のあと押しになったかな。
与謝野さん、ひょうひょうとしてて、すごいなあと思いました。すごいひとはこうなんですねー。
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