以前の記事でちょこっと言い及んだ『時間はどこで生まれるのか』。
実に興味深いテーマです。
(↓)我ながら、簡潔に核心をついたコメントをしていることに感心、感心。。
相対性理論で明らかにされたように時空(時間と空間)は曲がり、個々の存在(系)ごとに時間は異なるもの。
時間や空間(存在が位置する場所)は絶対的なモノサシではなく、変化するものであり、唯一不変なのは光の速度。
光の速度が絶対だとした場合に出現する時空図の中の”人間の感覚ではあり得ないけど存在する非因果的領域”。
相対性理論はマクロの世界を記述しますが、ミクロの世界を記述する量子力学で説明される、
流れを持たない(過去⇒現在⇒未来、と流れるのではない)配列としての時間。
アリストテレスの時代のように哲学と物理学に密接な関係を持たせ、
物理学の立場から、ややもすると抽象的になってしまう哲学的とされる考え ‐ 時間や存在との関係‐ について切り込んだ興味深い本。
時間はどこで生まれるのか (集英社新書) 橋元 淳一郎 集英社 このアイテムの詳細を見る |
ジェットストリームでの城達也さんの名ナレーションを聞いて、やっぱり、もうちょっと整理してスクラップしておこうと考え直しました。
とてもいい本でしたし、いつの時代にもついてまわる人間の根源的な問い、について考えるためのベースになるような内容。
なんでも、ニュートンがデカルトにこう言ったとか。。
”ぼくは物理の問題をやるから、君は心の問題をやってくれ。”
2人は対等に、物理や哲学を、人類の研究課題として捉えていたということです。
哲学はいつから、科学することを離れて、偉い人達の言葉や思想をなぞるような、観念的で抽象的なモノになってしまったのでしょう。
宗教との境目さえも はっきり分かりません。。
アインシュタイン以降、時間と空間が絶対的なモノサシであったニュートン力学では説明のつかない事象を解明する、相対論と量子論が物理学の2本柱になっています。
本著は、数学的に割り切った物理学者の専門性に走り過ぎることなく、
素朴で哲学的な疑問と突き合わせながら、分かりやすい説明がなされています。
科学と哲学を擦り合わせる視点やその分かりやすさは、目からウロコものです。
さてさて、まずはマクロの世界=相対論をベースに整理してみようと思います。
*個々の原子レベルのミクロの世界を語る量子論は勉強不足だし、(学生時代にファインマン博士の本は面白がって読んでましたが。)
そもそもミクロの世界では時間は消滅する=存在しない、のです。
(人間が認識するために、観測するというマクロの世界の行為に及んだときにはミクロの世界にも時間が現れます。)
時間は、色や温度と似たようなもの。
色は光の波長や振動数、温度は粒子の運動エネルギー、といったものを
人間の感覚で、識別して、区別したり計測したりするもの。
ミクロの粒子レベルでは、色も温度も存在しません。
マクロのスケールまで、光子や原子が集団化し、観測したときに出てくる概念です。
(時間も同じ。)
■ 時空図と世界線
私が家を出て(A点)、レストランに到着(B点)するまでの動きを時間と空間の座標軸で表しています。
モノの動き(事象)を時空図上の直線なり曲線で表したものを世界線といいます。
■ 時間は実数、空間は虚数
空間は我々が1m、2mと「実数」で測定できる世界なのに、虚数などというものが入り込む余地があるのか??
「虚数」って、そもそも2乗すると-1になる存在しない数であり、数学上の概念のはずだったのに、、
空間が"虚"? 存在しないもの? 何言ってんの??
■ 空間がなぜ虚数なのか直感的に納得できる方法 - 光の世界線と時空図
下の図を正しく認識するには、
『(真空中の)「光の速さ」が絶対的な物理量である』
という事実を受け入れなければなりません。
これは論理的に証明されるようなものではなく、あらゆる観測結果、実験の結果として証明されたものであり、確かな事実なのです。
絶対的なモノサシは光速であり、時間や空間(時空)は絶対的なモノサシではないのです。
時空は変化する相対的なもの。
(これは、人間の日常的な直感とズレているので、なかなかこの事実を心底受け入れるのは難しいのですが、この誤った直感的な感覚が正しい理解を妨げます。)
時空図上に、光速を超える存在しない領域が出てきます。
これを非因果的領域といいます。
非因果的領域の事象は、光速を超える伝達手段を持たない限り我々の世界(絶対未来、絶対過去に分けられる円錐形のような世界)と因果関係を持ちえない、存在しない世界。
いってしまえば「あの世」の世界。
* この図では非因果的領域が分かりやすくデフォルメされていますが、
座標軸の目盛を我々の日常感覚に合わせて1秒に1mを対応させると、
30万kmの光速の傾きは限りなくゼロに近くなり、
非因果的領域は、極めて狭い気づかないレベルのものになります。
それゆえ、人間は日常生活においてこの非因果的領域に気づかないのです。
今現在の私(原点ゼロに存在する)にとっては、
左右にのびる空間軸は存在しない、すなわち虚数の世界、となります。
t = 0の"この瞬間"において、
空間上の他の事象(たとえば、あなたと私)と、
時間や空間を共有している、というのは人間の錯覚なのです。
この瞬間(原点、ゼロ)を人間は認識できませんが、
この瞬間だけを切り取れば、その瞬間に私以外の他の空間(事象)は存在しないのです。
言い方を換えると、この瞬間の私と、時空を共有しているのは非因果的領域(あの世)だけ、となります。
(人間は認識するという行為を行うために瞬間を感じることはないので、
その瞬間瞬間を周囲の空間と共有していると感じますが、
正確には円錐形の時間軸の上下(t≠0)としか因果関係が持てないのです。)
時間よ止まれ、って歌がありましたが、ほんとに止まってしまったら、
その瞬間に、この世でひとりぼっちになってしまうってことだ。。
* ニュートン力学では、時間と空間は各々が独立した絶対的なモノサシだったので、
時空図のような時間と事象(空間)を同じ座標系で語ることは便宜的なものでしかありませんでした。
しかし、相対論では光速が絶対的な物理量であり、時空は影響しあう(相関関係にある)ので、
同じ座標系の中で観ることは理にかなっています。
そして両者は実数と虚数(数学的には逆も可。)の関係にあるのです。
>円錐形の時間軸の上下(t≠0)としか因果関係が持てないのです
と言われると、ホーキングの本に出てくる過去をさかのぼる光円錐も直感的な理解が容易になります。
(今見てる夜空の星は××万年前に発された光が目に届いてるんだよ、って言うでしょ。 あれを時空を絡めて説明するとこうなるわけです。)
(↓)時空のゆがみについて、の記事
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/edb4801e5b76658ea38ae15720b2c3db
(↓)ホーキング未来を語る、の記事
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/b7d668c5f40fd3e6ac3a530a75ac3865
※ 自分の言葉に置き換えながら書いてる部分かなりあるので、不正確な部分もあるかもしれません。
専門家でもなんでもないのでご容赦ください
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