日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「ぼくらが惚れた時代小説」を読んで

2007-03-22 17:12:56 | 読書

山本一力、縄田一男、児玉清三氏の鼎談をまとめたものである(朝日新書)。

私も時代小説が結構好きで、これまでもかなり読みあさっている。今さら人に教えて貰わなくてもというわけで、この本が出版されたときには(2007年1月30日第一刷発行)手に取ってみることもなかった。ところが一昨日(3月20日)、京都の本屋でぱらぱらとページをめくってみると、いろいろと面白いことが書かれている。で、買ったしまった。

たとえば中山介山の「大菩薩峠」について、これはちくま文庫版でも全二0巻である。

「全部読まれましたか」と聞かれて
「縄田さんが、あまりにすごいすごい、と言うので読みましたよ」(山本)
「偉いなあ。私は三巻ぐらいでとまってしまって読み通せていないんですが」(児玉)

と言い切る児玉さんがいい。私もご同様、始めの二、三巻読んだだけで、本棚にチンと収まったままである。




「一種の殺人鬼を主人公にしていながら、読んでいると安らぎを得られるという不思議さ」(縄田)があるそうな。でも取り組む気力が今のところもう一つである。

吉川英治の「宮本武蔵」

「尾崎秀樹さんはこういっています。「戦中世代の実感でいうのだが、”二十歳までしか人生のなかった”私たちにとって、『宮本武蔵』は、”いかに生きるべきか”について教えてくれる一番手近な書物だった。生きることは死ぬことだった当時の若者にとって宮本武蔵の求道者としての生き方は人生の指針でもあったのだ」と」(縄田)

私が戦後国民学校5年生で朝鮮から引き揚げてくる途中、釜山の寺院に収容されている間に、同じ引き揚げ者の方に「宮本武蔵」をお借りして全部読み上げたことがある。何故あのときあんなところに「宮本武蔵」があったのか、との疑問へのもう一つの答えであるような気がした。

時代小説とは直接のかかわりがないが、最近のベストセラーについて、

「養老孟司さんの『バカの壁』も、藤原正彦さんの『国家の品格』(ともに新潮新書)も、岩井克人さんの『会社はこれかどうなるか』(平凡社)も、いままではそれほど売れなかったテーマが爆発的に売れた本というのは、全部編集者の聞き書きです。喋っているものを文章にまとめているので、とても読みやすい」(児玉)

ヘェ~、である。

こういう話も出てくる。

「このごろしみじみ思いますけど、「よくそんだけ書いててアイデア枯れませんね」って言われるんですよ。でもね、アイデアは枯れないの、枯れるのは気力なんだよね」(山本)
「アイデアは枯れない、歳をとっても枯れない。私も七0歳を過ぎてもそう思います。」(児玉)

これ、よく分かる。私もアイデアは枯れないけれど、ブログを書きつづけるのに気力のいることを痛感しているから。

ついでに脱線すると、定年間際の大学教授で神懸かり的な素晴らしいアイデアを連発する人が結構いるものである。しかし気力が衰えているから自分で手を下さずに若い人を巻き込もうとする。それを迷惑だと思わずに、そのアイデアの真髄を会得できた人は、それで一生食べていけるかもしれない。いずれ教授は定年でいなくなるから、あとは我が天下である。若き研究者よ、絶好の標的を見逃すことなかれ!

佐江週一の「江戸職人奇譚」(新潮文庫)の中で

「「一会の雪」という三〇枚ぐらいの短編がありますが、これがもう珠玉の恋愛小説(笑)。ほれたはれたなんて一言も書かれていないんですが、ものすごい恋愛小説です。初めて読んだとき、まだこんなすごい短編を書ける人がいるのかと思った」(縄田)

さっそく本屋に走らないといけない。

国枝史郎の「神州纐纈城」(桃源社)について

「死後、なぜか伝説のかなたにうずもれた作家だったのが、昭和四三年(1968年)に桃源社が代表作『神州纐纈城』を復刊すると、一挙に評価が高まった。三島由紀夫が『神州纐纈城』を読んで、こと文学に関する限り我々は1925年(『神州纐纈城』が執筆された年)よりもずっと低俗な時代に住んでいるのではなかろうか、と評した」(縄田)

なんとその『神州纐纈城』が私の書棚に眠っていた。さあ、読むぞ!



角田喜久雄の「髑髏銭」(角川文庫)

「私は角田喜久雄の『髑髏銭』(春陽文庫)で時代物の面白さを知ったのですが、実は、司馬遼太郎が産経新聞記者だったとき、角田喜久雄に連載小説を頼みに行っている。もちろん角田は福田記者が司馬遼太郎というペンネームで書いている作家だとは知らない。そこで、最近の時代小説の話になって、「誰か面白そうな作家がいますか」と聞かれて、「司馬遼太郎というのがいいな」と答えたそうです。(笑)」(縄田)

こいうゴシップがいい。

私は中学生の頃貸本屋で借りて読んだ。その後角川文庫に出たこの「髑髏銭」と「風雲将棋谷」を買いそろえたものだ。三年前、北京で妻が蠍の空揚げをパクついたときにも、先ず思い出したのが「風雲将棋谷」の蠍道人だった。





漫画と劇画について

「私なんかは皆さんと時代が違うんですね。漫画も読めないし劇画もだめ。(笑)」(児玉)

全く同感!私は児玉さんと同い年生まれなのである。

「鞍馬天狗」を書いた大佛次郎、日本のインテリジェンスの代表なんて持ち上げられている。

「どこかに欠点があるはずなんだろうが、いくら探しても見つからないと」(縄田)

「先程、大佛次郎の欠点について話しましたが、一つだけあったとすれば、嵐寛から鞍馬天狗の役を取り上げたこと(笑)。プロデューサーが自分の思うような鞍馬天狗をつくりたかったからでしょうが、嵐寛の鞍馬天狗は安易なチャンバラ劇に流れすぎるといって、小堀明男を主演にして三本作るんですがまったく当たらない(笑)。それでまた嵐寛に戻る。嵐寛は(中略)、あのときだけはひどいと思ったと言っています。頭巾の恰好をはじめ自分が考案したのに原作者の一言で取り上げられた、役者は虫けらかといって怒っている」(縄田)

最近の森進一の「おふくろさん」封印事件を思い出した。森進一が勝手に詞を付け加えたとか、作詞家が怒って歌わせないということになったらしいが、♪あふくろさん、と独特の顔の造作で歌い始めるのは森進一の工夫であろう。私もそうであるが、聴く方はあれは森進一が作り上げた『藝』だと思っている。それが一方的に封じられては、歌手も虫けらなんだと同情してしまう。

でも私は鞍馬天狗は好きである。



綱淵謙錠の「乱」

「大佛次郎、海音寺潮五郎と並ぶ史伝作家だと書いたことがありますが、幕府の軍事顧問となったフランス士官、ジュール・ブリュネを軸として、これほどまでに詳細に再現された維新史はちょっと類を見ない。読んでいて気が遠くなるような気がします」(縄田)

実感がこもっている。私も気が遠くなってか、691頁中の257頁、第十八章兵庫開港のところに栞を挟んだままになっていた。



これからはばたく作家として、女流の宇江佐真理さん、諸田玲子さんの名が上がっているのは嬉しい。文庫本であるが諸田さんの本は全て読んでいる。昨日の新聞広告で「恋縫」(集英社文庫)を見たばかり。買わねば、と思っているところである。

それと男性では山本一力さんと佐伯泰秀さんが両巨頭であるとのこと。ところが佐伯さんの本はまだ一冊も読んでいない。書店であまりにも沢山平積みにされているので、恐れをなして手出しを控えていたのである。お勧めに従い「居眠り磐音江戸双紙」からでも読み始めてみよう。

志賀原発1号機臨界事故 あってはならない隠蔽工作

2007-03-22 13:17:06 | 社会・政治
この『臨界事故』で私はこう思った。。

結局は《想定外の臨界で警報が鳴ったが、制御棒を緊急挿入する別の安全装置も働かず、中央制御室で警報を知った当直長が、放送で手動操作を指示。約15分後、制御棒は元の状態に戻った。》(朝日新聞の引用)のである。「メデタシ、メデタシ」である、と。

全日空機の胴体着陸の場合も、前輪の出ない緊急事態が発生したが、機長は日頃の訓練を生かした冷静かつ的確な操縦によって、胴体着陸を成功させて事無きを得た。志賀原発1号機臨界事故の場合も、制御棒の異常動作で臨界状態が発生したが、当直長の指示により制御棒を正常な状態に戻せた、とみてよかろう。

両方に共通しているのは、現代技術の粋を集めた『機械』といえども、異常動作をする可能性は必ずあるということ、だからこそプロの技術者はその異常に対処する術を、訓練や現場経験により身につけている(はずだ)、ということである。

まかり間違えば多くの人命を損なう恐れのあるのに、旅客機を飛ばせたり、原子力発電所を稼働させるのは、想定される数々の異常事態が発生してもそれに、現場担当者が対応可能である、との前提があるからだ。異常事態が起こったらあとは運任せ、と云わないところに、ものを作りそれを動かす技術者の誇りと使命感がある。

だからこそ、トラブルを起こした旅客機を無事に着陸させたり、原子炉の制御棒をなんとか正常な位置に戻せた、と聞くと私はそのプロの技に「パチパチ」と手を叩いてしまう。『臨界事故』の場合も「メデタシメデタシ」の筈であったが、そのあとがいけない。

3月20日の朝日朝刊は《北陸電力 事故隠し、密室協議 社外には「異常なし」》の見出しで、『隠蔽工作』のあったことを報じた。事故が生じたのは99年6月18日午前2時17分、そののちに時刻は報じられていないが、所長や次長などが緊急招集された、とのことである。そして対策が協議されて、《その結果、「2号機の着工を間近に控えている」などを理由に事故隠しが決まり、当直長には引き継ぎ日誌に事故の事実を書かないよう指示があったとされる。》というのである。とんでもない話である。

昨日(3月21日)の「天声人語」に《石川県の北陸電力の志賀原発1号機では8年前、制御棒が抜け落ちたために臨界の状態となり、核分裂の反応が勝手に起きてしまった。制御を失った迷走は15分ほど続いた。もしも制御がきかない状態が長く続いていたらと想像すると、背筋が寒くなる。》と書かれていた。異常事態は回避されたのに、この筆者はわざわざ「もしも制御がきかない状態が長く続いていたらと想像」して、背筋を寒くさせているのである。

この筆者のように科学・技術の発展のお蔭を日頃蒙りながら、なにかあるとその負の側面を強調したがる人は世の中に珍しくない。ある種の反射運動のようなもので、だからと云って皆が皆まで飛行機を敬遠したり、電気をローソクに変えたりするわけではないから、根がそれほど深いとは思えない。しかし科学・技術の発展の成果が世人に受け入れられるためには『余計な心配』をさせてはいけない。『隠蔽工作』はそれをますます助長するだけではないか。

「引き継ぎ日誌に事故の事実を書かないよう指示」したのは誰なのか。いずれ調査の結果明らかにされるだろうが、科学・技術者の使命感とその良心をないがしろにしたことでも罪が深い。