私は『靖国神社』問題を自分なりに考えるにあたってこのように述べた。
《私は天皇陛下に靖国神社への参拝を切望するが故にこの論は張っているのではない。その逆、『現実』として戦前・戦中の『暗黙の取り決め』が崩れてしまっている、すなわち靖国神社が『変質』したのであろうとの前提で、その在り方を考えていきたいと思うのである》
当初は戦後『変質』してしまった靖国神社の在り方を考えようというのが趣旨であった。しかし考えを進めていく過程で、最初は漠然としていた『何のために』の中身が徐々にはっきりし始め、天皇、皇后両陛下のサイパン島ご訪問という出来事に出会って、『何のために在り方を考えるのか』が私の心のなかで極めて明瞭になった。
天皇陛下に靖国神社にご参拝していただくために、である。
当初から直感的には《天皇陛下に靖国神社への参拝を切望する》思いがあった(だからこそその言葉が飛び出たのである)のだが、そこに今度は確信的に舞い戻ったのである。
天皇、皇后両陛下がサイパン島で戦没者の碑に拝礼されたことに、私の心の奥底にありながら形のはっきりしなかった思いが次の言葉に結実したのである。
《戦没者はあくまでも家族の幸せと日本の安寧を願い、「天皇陛下万歳」を祈念して幽明境を異にしたのである。戦没者と天皇陛下との約束は歴代の天皇に引き継がれるものである。天皇陛下の靖国神社への参拝なくして戦没者の慰霊はありえない》
そこで私は問いかけた。
《何が天皇陛下の靖国参拝を妨げているのであろう》 と。
でもこればかりは私が考えることではないことに思い当たった。
元『A級戦犯』合祀の問題や『公私』論議。
天皇陛下にお伺いするしかないのである。
陛下はサイパン島ご訪問にあたりそのお言葉を次のように終えられている。
《終わりに、この訪問に当たり、尽力された内閣総理大臣はじめわが国の関係者、また、このたびの私どもの訪問を受け入れるべく力を尽くされた米国並びに北マリアナ諸島の関係者に深く感謝いたします》
わが国内のこと、天皇陛下の靖国神社ご参拝に向けて内閣総理大臣はじめわが国の関係者の一層の尽力を期待して、私の『靖国神社』問題はいったん擱筆する。
《私は天皇陛下に靖国神社への参拝を切望するが故にこの論は張っているのではない。その逆、『現実』として戦前・戦中の『暗黙の取り決め』が崩れてしまっている、すなわち靖国神社が『変質』したのであろうとの前提で、その在り方を考えていきたいと思うのである》
当初は戦後『変質』してしまった靖国神社の在り方を考えようというのが趣旨であった。しかし考えを進めていく過程で、最初は漠然としていた『何のために』の中身が徐々にはっきりし始め、天皇、皇后両陛下のサイパン島ご訪問という出来事に出会って、『何のために在り方を考えるのか』が私の心のなかで極めて明瞭になった。
天皇陛下に靖国神社にご参拝していただくために、である。
当初から直感的には《天皇陛下に靖国神社への参拝を切望する》思いがあった(だからこそその言葉が飛び出たのである)のだが、そこに今度は確信的に舞い戻ったのである。
天皇、皇后両陛下がサイパン島で戦没者の碑に拝礼されたことに、私の心の奥底にありながら形のはっきりしなかった思いが次の言葉に結実したのである。
《戦没者はあくまでも家族の幸せと日本の安寧を願い、「天皇陛下万歳」を祈念して幽明境を異にしたのである。戦没者と天皇陛下との約束は歴代の天皇に引き継がれるものである。天皇陛下の靖国神社への参拝なくして戦没者の慰霊はありえない》
そこで私は問いかけた。
《何が天皇陛下の靖国参拝を妨げているのであろう》 と。
でもこればかりは私が考えることではないことに思い当たった。
元『A級戦犯』合祀の問題や『公私』論議。
天皇陛下にお伺いするしかないのである。
陛下はサイパン島ご訪問にあたりそのお言葉を次のように終えられている。
《終わりに、この訪問に当たり、尽力された内閣総理大臣はじめわが国の関係者、また、このたびの私どもの訪問を受け入れるべく力を尽くされた米国並びに北マリアナ諸島の関係者に深く感謝いたします》
わが国内のこと、天皇陛下の靖国神社ご参拝に向けて内閣総理大臣はじめわが国の関係者の一層の尽力を期待して、私の『靖国神社』問題はいったん擱筆する。