日々是好日

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教科書から『慰安婦』が消えた怪?

2005-04-09 19:23:20 | 読書
4月5日、文部科学省は来春から使われる中学校用教科書の検定結果を発表した。それによると、歴史教科書を発行している7社の本のすべてから『慰安婦』の記述がなくなり(1社のみ『慰安施設』として残す)、『強制連行』の記述が2社に減少したとのことである。95年度の申請時には7社すべてが『慰安婦』『従軍慰安婦』もしくは『慰安施設』と『強制連行』を記載していたのに比べるとまさに様変わりである。

秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)によると、1992年1月11日の朝日新聞朝刊第一面トップに『慰安婦』のキャンペーン記事が躍り、《今にして思えば(注 1999年)、この「スクープ報道」こそ、それから数年わが国ばかりでなくアジア諸国まで巻き込む一大協奏曲の発火点となるものだった》のである。

その結果どのようなことが起こったか。

当時の宮沢首相は《早々と14日の記者会見で、「軍の関与を認め、お詫びしたい」と述べ、16日に「抗議のデモ相次ぐ」(16日付毎日新聞)ソウルへ向かったが、滞在中も天皇の人形が焼かれたり、名乗り出た元慰安婦が坐りこむなど、反日デモが荒れ狂った》のである。そうして《1時間25分の首脳会談で、宮沢首相は8回も謝罪と反省を繰り返した》とのことである。

それからいろいろありまして・・・

国連の人権委員会が1994年4月にクマラスワミ女史を「女性に対する暴力に関する特別報告者」に任じ、その本報告書が1996年2月5日付で人権委員会へ提出公表された。日本の従軍慰安婦問題を扱った付属文書Iが「クマラスワミ報告書」として知られるもので、《実質的には第二次大戦期に日本の植民地(外地)だった朝鮮半島出身の朝鮮人慰安婦だけが対象》とされ、その標題は「戦時の軍事的性的奴隷制問題に関する報告書」であった。そして日本政府に対して6項目の勧告がなされた。

秦氏は朝日新聞からの引用で勧告の要点を以下のように紹介している。

1.日本帝国陸軍が作った慰安諸制度は国際法に違反する。政府はその責任を認めよ。
2.日本の性奴隷にされた被害者個々人に補償金を支払う。
3.略
4.略
5.教育の場でこの問題の理解を深める。
6.略

1997年4月から中学校教科書がそろって慰安婦問題を掲載したのは、この五番目の項目に沿ったものであろうか。しかしその取り上げ方は「この問題の理解を深める」にはほど遠い内容であった。例えば一教科書では《また、朝鮮などの若い女性たちを慰安婦として戦場に連行していました》と素っ気なく書かれているが、この内容から中学生が何をどのように理解できるのだろう。

教師がここで慰安婦と云うのは実は売春婦、売春婦と云うのかくかくしかじかで・・・、と説明を加えるのなら、頭のいい中学生ならこの記述が何を意味するのかを理解するだろう。しかし、教師の説明がないとしたら、まさか『慰安婦』を『漫才師』もどきとは受け取ることはないにしても、この記述から中学生が学び取ることは限りなくゼロに等しいと云わざるを得ない。

三木睦子氏は《教科書に2、3行書いたぐらいでは足りない》と批評している。まさにその通りである。この表現を私流に換骨奪胎をするのであるが、何故兵士の性欲処理が必要なのかから始まって、『慰安婦』がその当時の公娼制度の軍隊版であること、従って女性にとって金儲けのビジネスであったことなどを背景としてまず説明しなければなるまい。中学生相手に・・・、である。

教科書ではないが、岩波ジュニア新書「きみたちと朝鮮」(尹 健次著)にはこのような記述がある。《・・・朝鮮人女性も「女子挺身隊」の名の下に労務動員されますが、日本軍はそのうち8-10万人を騙して「従軍慰安婦」として各地の戦場に送りました。異境の地で、日本軍兵士の性の奴隷として提供されたのですが、千田夏光の『従軍慰安婦』『続・従軍慰安婦』はその経緯を克明に迫っています》。これだと確かに日本軍が組織的に朝鮮人女性の人権侵害を行ったことがよくわかる記述にはなっている。内容の真偽は別にして・・・。

ところがところが、である。教科書の記述がもっと深められるべきであるのに、『慰安婦』自体が教科書から姿を消すのである。

そして不思議なのは、『竹島』を日本固有の領土であると記述した社会科教科書を文部科学省が検定を通したことから、『竹島』=『独島(韓国名)』領有を主張している韓国政府が日本政府を激しく非難しているが、『慰安婦』記述を引っ込めた歴史教科書についてはそれを顕示的に抗議をしていないのである。かっては教科書問題の大きな争点であったのにも拘わらず、である。さらに『従軍慰安婦』問題の火付け役を果たした朝日新聞も4月6日朝刊社説で「こんな教科書でいいのか」と教科書問題を論じているが、『慰安婦』の記述がなくなることについては一言も触れていない。

なぜ『従軍看護婦』の影が薄くなったのか

『官憲による朝鮮人女性の組織的強制連行』が問題提起から長時間たっているのにもかかわらず、そして立場の異なる関係者の多大の努力にも拘わらず、未だに証明されていないからなのである。もちろん上に引用した岩波ジュニア新書の内容も、である。となると、戦場の『慰安婦』=『売春婦』はその当時、日本でも朝鮮でも存在していた公娼制度の延長線上の存在に過ぎないのであって、ことさら教科書で取り上げなければならない必然性は極めて低いのである。

一方、日本軍による占領地で女性の連行、拉致事件が少なからず報告されているが、これは軍律に違反した個人ないし少数グループの性犯罪、すなわち強姦事件のカテゴリーに入るものがほとんどである。国家による組織的犯罪の範疇には入らない。

従って『官憲による朝鮮人女性の組織的強制連行』はイラク戦争の『大量破壊兵器』に準えることが出来そうなのである。教科書から消えて当然のことといえよう。

正しい歴史認識は情緒論で作られるものでもなければ、政治的思惑で左右されるものであったはならない。またお座なりの言い訳的記述のテキストは百害あって一利なしである。私はその意味で『慰安婦』『従軍慰安婦』が教科書から欠落することを大いに歓迎する。

以上私の述べたことは、秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)から得られた知識に全面的に依存するものである。秦氏は《慰安婦と周辺事情の歴史を学術的観点から掘りおこして一冊にまとめよう》と試みたのであって、文書資料に加えて、当事者としてその事情にもっとも精通する元憲兵からのヒアリングをこの著書の重要な根底としている。ご本人は一切の情緒論や政策論を排し、個人的な感慨や提言を加えなかったと強調されている。その意図が『慰安婦百科全書』的な性格を持ったこの本書に結実していることは、一読すれば直ちに明らかになる。この実証的態度を貫く著者の努力を多とするだけに、私は多くの人にこの書を薦めたくなるのである。