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さくら丸船上の『奇蹟』

2005-04-24 11:54:26 | 音楽・美術
「Fenesta che lucive」というナポリ民謡がある。「光さす窓辺」とも訳されている。

♪明るい窓の灯は消えてしまった
 私のネンナは病んでいる
 彼女の妹が顔を出して言う
 あなたのネンネッラは死んでしまった。
 彼女はいつも泣いていた。一人ぼっちで眠ることに
 今は死人たちと共に眠っている

 教会へ行き、彼女の棺を開き
 あなたのネンネッラの姿をごらんなさい。
 花を咲かせた口びるから、
 今はみみずがはい出している
 神父様、お願いします、ああ、
 彼女に永遠に灯を照らして下さい。♪

(イタリア近代歌曲集1 全音楽譜出版社より 細川正直 訳)

歌詞に少々おぞましさがなきにしもあらずだが、恋人を亡くした男の追憶といえようか、やや異色のナポリ民謡である。曲もノスタルジックでメランコリック、古賀メロディー世代にはすんなりと染みとおるであろう。

手元のCDで聴いてみると、カルーソーは切々とそして声を思いっきり引っ張って感情を乗せているし、コレルリも思い入れたっぷりと歌っている。パヴァロッティは体躯に似合わず端正にそしてスマートに歌っている。そして、私はかって遭遇したさくら丸船上の『奇蹟』を懐かしみ心豊かに歌う。実は歌詞はどうでもいいのである。

アメリカに向かうさくら丸には、その当時すでに日本を代表するバリトン歌手として盛名を馳せる栗林義信氏が乗船しておられた。新婚旅行とか伺った。私も弟が音大で声楽を学んでいたこともあり、この機会にとばかり船中で時々お話をさせていただいた。歌手として成功するには、努力もさることながら『もって生まれたもの』の大切なことを強調されたのが記憶に残っている。

乗客の間からぜひリサイタルを、との声が湧き上がってくるのは当然の成りゆきで、私もそれに加わった。ところが氏は「妻は伴奏ができませんので」と固辞されたのである。それではというわけで、半ばは諦めながらも船内にピアノ伴奏者を募ることになった。するとなんと嬉しいことに一人の女性が名のりを上げてくださったのである。レハーサルが始まりその様子が伝わってくるにつれて、リサイタルへの期待に胸が大きく膨らんだ。

さくら丸の最上階であるプロムナード・デッキの船首側には一等船客の食堂があり、船尾に向けてその続き右舷側には図書室、左舷側には育児室があり、さらにその船尾側にサロン・ルームがあった。船客が思い思いに談話を楽しむところであるが、そこにグランドピアノが置かれている。ここがリサイタル会場になった。陽も暮れ落ちて乗船客が三々五々集まってきたが、人数が多くなったので育児室、図書室に通じるドアも開け放たれた。

リサイタルの演奏曲目などはあらかじめ印刷物で配られていた。私も大切に保存していたが震災がもとで家を取り壊すことになり、そのどさくさで見当たらなくなってしまった。オペラのアリアもあったから、多分「闘牛士の歌」は含まれていただろうと思うし、「椿姫」からの「プロヴァンスの海と陸」もあったのではなかろうか。歌曲もいくつか、もちろん日本歌曲も歌われた。白い航跡を残しながら太平洋を東に進むさくら丸から洩れる歌声は、静寂の洋上にひろく広がったことであろう。

夢見心地でいた。太平洋上を行くさくら丸の船上で、当代きっての名バリトン栗林義信氏の歌声をこれだけ身近に聴けるのも船旅ならではの醍醐味であった。しみじみとした日本歌曲に、異国で待ち受けているであろう新しい生活を前にしての緊張感も一挙に癒される一方、早くも望郷の念にもおそわれた。

演奏に酔っているうちにふと意識を取り戻した。プロである栗林義信氏の歌唱を支えている伴奏の素晴らしさを思いが向いた瞬間に、である。南米に向かわれる女性で学校の先生をされていた方と伺ったように思う。しかしちょっと考えれば分かることであるが、少々ピアノが弾けると言うだけで、オペラアリアの伴奏を、それも限られたレハーサル時間でプロの栗林氏と合わせることが出来るなんて只者ではないと思った。

こういうことでもなければ表に現れることもない隠された才能の持ち主が、一私人としてさりげなく南米に渡る乗客のなかにまぎれ込んでおられたということに、私の心がうち震えた。日本人の、そして『大和撫子』の普段の研鑽に築かれた底力に打たれたのである。日本人一人一人のあるべき姿の体現をみたのである。そして私も新生活を前にして大いに勇気づけられた。

アンコールに応えて栗林氏の歌われたのが冒頭の「Fenesta che lucive」であった。日常ではあり得ないし考えられもしない、プロの歌い手とアマのピアニストとのアンサンブルは、まさにこの世の『奇蹟』であった。私がこの歌を歌うときは、だから歌詞を離れて日本人であることの幸せを歌っているのである。
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