日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

フェスティバルホール 大阪大学フロイントコール

2009-01-02 21:11:42 | 
大晦日の朝日新聞一面に「おやすみなさい 名ホール」の見出しで、大阪・中之島のフェスティバルホールが建て替えのために一時閉鎖するので、30日に50年の歴史を締めくくる最後の公演が行われたとの記事が出ていた。新ホールは2013年に開館する予定とあったから、お目にかかれるのかどうか微妙なところである。このホールが出来たのはちょうど私が大学を卒業して大学院に進んだ年で、朝夕その横を通って通学していた。世界に自慢できる設計のホールだと大きな話題になっており、そのようなホールが身近にあることだけで誇らしげな気分になったものである。しかし貧乏学生にとってはそこでのコンサートなんて高嶺の花で、行けるようになったのははるか後年である。そのようなことを思い出していると、半世紀以上も前に出会った人物の記憶が蘇ってきた。

阪大理学部に入学して教養時代は豊中の待兼山キャンパスで過ごした。高校の先輩に声をかけられたのがきっかで、ある読書サークルに参加するようになった。メンバーは10人足らずの所属年齢が雑多な集まりで、科学史関連の本を読んでいたように思う。はっきりと記憶に残っているのは岩波新書の「科学と宗教の闘争」(ホワイト著、森島恒雄訳)で、侃々諤々の議論を大いに楽しんでいた。そのころ大学書林から出たばかりの「共産党宣言」の対訳本にも取り組んだように思うが、まあそのような性格のサークルでそのリーダーがHMさんだった。HMさんはすでに理学部を卒業していたのに文学部に入り直し、哲学を専攻していた。ひときわ年長であったのにわれわれの中に自然に溶け込み、それでいて一目置かれる存在であった。そのHMさんは音楽好きでもあり、音頭を取って立ち上げた大阪大学中央合唱団というたいそうな名前の合唱団に誘われたのである。

入った頃は「国際学連お歌」とか「若者よ」など勇ましい歌を歌ったものであるが、次の年だったろうか新入生を勧誘した結果団員が大幅に増えた。嬉しいことに女子学生が多く入ってきてまともな混声合唱が出来るようになったのである。その頃の写真が何枚か出てきたが、最初のは昭和29年の初夏であろう、みな良い表情をしている。



その秋だと思うが待兼山祭で「白鳥の湖」を演じた時の記念写真で、前列右にしゃがみ込んでいるのが私である。たまたまレコーダーを持っていたものだから、印度のコブラ使いにさせられたのである。



舞台となった講堂の様子は次のような有様で、戦前からの幕などがだらしなく垂れ下がったままであった。



この合唱団ではよく遊んだ。夏は合宿、春秋はピクニックに出かけるし、冬になるとクリスマス・パーティである。交渉術に長けた仲間が学生食堂に掛け合って調理場込みで食堂を使わして貰ったりした。規則で雁字搦めとなった現在では考えられない大らかさである。調理場ではまだおくどさんが幅をきかせていた。たまたま私がお釜の蓋を取ろうとした時の写真が残っていた。たぶんおぜんざいを炊いていたのだろう。お釜をそのまま持ち込むわけにはいかないので鍋に移したようである。パーティ会場にちゃんとその姿が見える。どうも私が司会していたようである。





合唱団の名前が表していたように、その後ピークに達した歌声運動のはしりのようなものであった。その頃よく歌った歌は今でも歌声喫茶に行けば定番になっているのであろう。かなり政治性の高い歌もあったが、メンバーが増えてくるとそのような歌を敬遠する動きも生まれてきて、その動向が選曲に反映されるようになった。そして私がある事情で教養部に残留することになった三年目に入り、合唱団の名前を大阪大学フロイントコールと改めたのである。残念ながら改名披露パーティの写真は見あたらなかった。この合唱団が今でも残っているとしたら50有余年の齢を重ねたことになろう。

合唱団の性格をめぐってよく議論を交わした仲間の一人にTTさんがいた。彼がその分野で名だたる音楽評論家になり本を何冊も出版するようになったが、それは後の話である。HMさんとTTさんとは卒業後も交友が続き、私の結婚披露にも出て寄せ書きを残してくださった。今見るとHMさんは「愛とは何か、60歳になった時に答えを聞きたい。それまでお互いに元気でいたいものだ」と、またTTさんは「時々城ヶ島の雨を唄ってください」とそれぞれ記してしてくださっている。「城ヶ島の雨」はその頃から私の持ち歌になっていたようである。

それはともかく、TTさんは音楽関係に進みそうな気配を漂わせていたが、意表を突かれたのがHMさんである。始まったばかりの「大阪国際フェスティバル」の事務局に入っていわゆる呼び屋の仕事を始めたのである。このような人だから中央合唱団を始めたものの、その後の若い勢力に押されて政治路線から芸術路線への転換をもあまり抵抗感もなく受容できたのではなかろうかと想像する。そのHMさんからフェスティバルホールのチケットをタダとは言わないが、割安で廻して貰えないだろうかと仲間で話し合った記憶がある。しかしそんな厚かましいことを、と自制が働きせっかくの名案も立ち消えになってしまった。

1980年代だと思うがフロイントコールの同窓会が一度あった。卒業後はぼ25年を経て創成期時代のメンバーが集まったことになるが、すでにみなさんは紳士淑女に変貌していた。それからさらに四半世紀、平成も二十一年となり昭和は遠く遠くになってしまったのである。






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6 コメント

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はじめまして。フロイントの後輩です。 (maskot)
2009-01-25 12:03:39
 はじめまして。
 フロイントコールに1980年から84年卒業まで在籍していたものです。
 たまたまこちらのブログに行きつき、とても懐かしく思いました。
 フロイントコールは今も活動していますよ。歌う曲は時代の変遷につれて変わってきていますが、創設当時の雰囲気も残っているのではと思います。私が在籍の頃にはロシア民謡やチリやアルゼンチンのヌエバ・カンシオン(ビクトル・ハラやメルセデス・ソーサ)の曲、それにユダヤ・パルチザンの歌などを取り上げていました。
 私が在籍していたころに団員だった人やその前後の人を中心に、社会人になってからも歌いたいと合唱団ブレーミアを立ち上げています。こちらも既に20年以上になります。
 ご興味があればどちらもサイトを立ち上げていますので、ググッてみてください。
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とても嬉しい (lazybones)
2009-01-26 20:20:00
私のブログをよくぞ見つけて下さったことよ、ととても嬉しく思っています。歌で結ばれるもの同士にさらにこのような機縁があるとはほんとうに素晴らしいことです。「心に歌を」を合い言葉にいつまでも歌い続けましょう。
フロイントコールの選曲など、確かに「くせ」がありますね。半世紀もすでに過ぎ去っているのに、創設当時の命脈が保たれているとは奇跡のように思えます。合唱団ブレーミアの名称がロシア語というのもいい。機会を見つけて歌声を聞かせていただこうと思います。嬉しいお便りを本当に有難うございました。
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はじめまして。 (kacho)
2009-07-16 20:06:35
はじめまして。
フロイント・コールの現団員です。
(文学部の4回生です。)
たまたま創設当初の方のブログを見つけることができてとても嬉しいです。

>この合唱団ではよく遊んだ。夏は合宿、春秋>はピクニックに出かけるし、冬になるとクリ>スマス・パーティである。

読んで、今と変わらないなぁと思いました。
春には万博公園に新歓ピクニックに行ったり、
個別にも、皆サークルのメンバーとよく遊んでいます(淀川沿いでバーベキューをしたり、ケンタッキーの食べ放題に行ったり)。
私もこの3年間フロイント・コールに所属したおかげで、ずいぶん楽しく過ごしました。

最近のコンサートは、
ポップス等も多くなってしまい、
昔とは少し雰囲気が変わってしまっているかもしれませんが、
今年も、ジェリコの戦い(黒人霊歌)や、
Newly Highway Man(アメリカ)などを歌います。
また、歌おう会も顕在です。

8月30日に、箕面市のライトピア21にてサマーコンサートを、
また、12月19日に、箕面市のメイプルホールにて定期演奏会を行いますので、
お時間がありましたらぜひ一度いらしてください。(公式HPです→http://sound.jp/freund/

1月の記事なのでどうかなと思いつつ、コメントしてしまいました。
卒業してからも、こんな風に懐かしく思い出せたら素敵だなと思いながら、読ませていただきました。
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ぜひ (lazybones)
2009-07-17 09:16:53
大阪大学フロイントコールの現団員の方からのお便りを嬉しく拝見いたしました。今からでも出来ることならタイムスリップして青春のまっただ中に戻っていきたい思いです。

12月の定期演奏会では若々しい歌声をぜひ聴かせていただこうと思います。お便りをほんとうに有難うございました。
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Unknown (kuracchi)
2011-05-23 00:15:35
フロイントコールの現団員です。
将来、こんな風に楽しかったなぁ・・・とこのサークルについて思い出してみたいものです。
このサークルはよく遊びますし、和気藹藹としてます。
団員もどんどん増えていき、今年度は在団生が100人に届きそうです。

かなり前の記事ですが、フロイントの先輩の記事を読むことができうれしかったのでコメントしました。
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こんにちは (村川進作)
2011-09-24 16:56:19
1972年から1977年までフロイントコールに在籍した村川と申します。
とあることから、こちらのブログを見つけました。
フロイントコール、懐かしい。健康で人間的な歌を歌おうという原則は何を意味するのかとか、音研で議論したことを思い出します。

現在は合唱はしておらず、musical sawなどで遊んでいます。その曲目たるや、当時なら大きく批判を浴びたことでしょう。

政治/経済/メディアなどに対する失望が広がる中、フロイントコールが掲げていた原則とか思想性を議論したことが、今や新鮮に感じます。

当時はまだ社会主義リアリズム芸術論の流れが強く、行動は思想の真理である、とかといった言葉とともに学生集会へも出たように思います。そこには豊かな感情と情熱、社会は我々がこれから作っていくのだと言う気概もあったように思います。

今のフロイントコールがどのような色彩を帯びているのか存じませんが、是非とも「個」を育てるグループとして活動していてくれることを願っています。

懐かしくなり書き込みをさせていただきました。
失礼をいたします。

村川進作
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