日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

昭和天皇まで一、二メートル

2007-04-30 09:05:23 | 
昨4月29日が今年から「昭和の日」と呼ばれるようになった。私がそのことを知ったのはほんの数日前である。しかしカレンダーにはちゃんと「昭和の日」と印刷されているから、決まったのは去年なのだろう。当然ニュースになったのだろうが私の記憶はまったくの空白である。馬齢を重ねて情報の取捨に偏りが生まれてきたようだ。しかしそのお蔭で発見もある。昨年のカレンダーを見ると、なんと4月29日が「みどりの日」となっていたのである。元来4月29日は天長節であったのに、戦争に負けたせいで天皇誕生日になったことは知っていたが、そうか、昭和天皇がおかくれになって天皇誕生日が移ったのだ、とあらためて認識した。それにしても「みどりの日」とはいったい何だ。「みどりのおばさん」を顕彰する日と間違えてしまうではないか。

国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)には「昭和の日」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」とその意義が述べられている。昭和生まれで昭和育ちの私には特に違和感はないが、これからますます平成生まれが増えていくことを考えると、明治節が文化の日になったように、いずれ名称が変わっていくのは避けられない運命だろう。

しかし折角の第一回「昭和の日」にちなんで、私の生涯忘れられない貴重な体験を記すことにする。昭和天皇に1、2メートルのところまで接近した話で、それは昭和21年2月より始まる昭和天皇の全国ご巡幸にまつわるハプニングである。

入江相政日記第三巻昭和二十二年六月十一日(水)に次のようなことが記されている。

《九時大宮御所御出門。京都市民の奉拝は不相変盛んなものである。十時四十分神戸御着車。直ちに大阪商船ビルに成らせられる。この前あたり大変なひとである。又容易に出入り出来ない。次は神戸市立湊川多聞小学校、兵庫県庁で御昼食。ここの弁当もおいしい。午后は川崎車両株式会社、大阪鉄道局鷹取工機部、中央ゴム工業株式会社、信愛学園、県営庶民住宅とお廻りになって行在所たる県立神戸第一中学に着御になったのは午后五時過ぎ。後略》

新制中学一年生の私は級友たちと先生に引率されて、学校から2キロ足らずの道を歩いて天皇陛下の奉迎に向かった。場所は東尻池2丁目で市電高松線と松原線が直交する交差点あたりである。天皇が行幸される川崎車両はその交差点直ぐ側の南東にあり、私たちは交差点の北西で北側から来られるご一行をお待ちした。やがて鹵簿が近づいてくると号令が順次伝えられてきて私どもは最敬礼をした。

戦争中の朝鮮京城の三坂国民学校で、大詔奉戴日などには校長が奉安殿から勅語の入った箱を恭しく捧げ持って行く道筋の両側を、われわれ児童が整列して最敬礼して送り迎えするのが常であった。しかしこの時は本物の天皇陛下である。教師を始め皆コチコチに緊張しており、戦時中の雰囲気そのものだった。

鹵簿が川崎車両の門を通り中に入っていった。最敬礼から直ってわれわれは今度は伸び上がるようにしてその動きを注視した。お互いに興奮を隠しきれずに何や彼やを喋りあっていたと思うが、しばらく待っているうちに、今まで整然としていた人垣がざわざわとし出した。と、誰かが飛び出して川崎車両の門の方角に走り始めた。そのあとをわれわれが脱兎のごとく追いかけた。そして門の前は人混みで押し合いへし合いの状態になってしまった。日本の警察だけではなくてアメリカ兵のMPまでもが整理を始め、なんとか車の通る道幅だけは空けられた。嬉しいことに私は最前列にいる。やがて門から鹵簿が出て来た。後ろから身体を押してくる、それに逆らって後ろに押し返す。陛下の御料車がもう目前にある。後ろから押された、そして私はなんと御料車の前左の窓ガラス下の車体に手のひらをついて、身体を支えることになった。御料車はあずき色の角張った車であったように思う。

御料車内の陛下のお姿を一瞬目にしたような気がするが、どのようなお姿であったのか、今はもう遠い昔で記憶は定かではない。しかし御料車内の陛下と私の間の距離は1、2メートルほどであったことは間違いない。「目、潰れなかった」と誰かに話したように思う。

入江相政日記には上の段に引き続いて《今日の川崎車両なども思想的に面倒な所と聞いてゐたが、行幸を仰げば何の事も無い、皆難有がってゐた。御徳の御力である。》と出ていた。また翌六月十二日には次のご訪問地、たぶん神戸女学院であろうが、《御料車の前のジープの故障の為坂の処で御料車が停まったら女生徒がとんで来て手を振ってお名残を惜しんでいる。その中に男の生徒一人御料車の側迄来て、涙をふりしぼって「陛下しっかりお願ひします」と申し上げた。真に意味深長である。後略》との記述があり、私のように陛下を間近に拝した人々が大勢居たことが分かる。

それにしても昭和は遠くになってしまった。

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