日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

日航機123便墜落事故から25年にある脳科学者との思い出が甦る

2010-08-12 22:17:04 | 
1985年8月12日に日航機123便が墜落して520人の命が失われた。今年でちょうど25年目に当たる。このニュースがテレビで流れたがそれで思い出したことがある。この事故で亡くなられた脳科学者の塚原仲晃氏(当時大阪大学基礎工学部教授)とのほんの淡い触れあいである。

この事故の2、3ヶ月前に私は中国を訪れていた。太湖のほとりにある無錫市で開かれた日中合同生物物理学シンポジウムに出席するためである。学会そのものもさることながら、初めての中国訪問で上海と無錫間の汽車の旅に加えて、無錫から蘇州までハイヤーで出かけるなど旅情を大いに楽しんだ記憶が鮮明である。この帰りに上海駅であったと思うが、時間待ちの時にたまたま塚原さんと隣り合わせになった。

私が阪大理学部にいたころ、塚原さんが隣の基礎工学部にある新設の生物工学科に教授として赴任されたが、その時はまだ三十代の中頃ですでに脳科学者としての令名が高く、その評判が伝わって来たのである。後で分かったことであるが塚原さんは私より一歳年長ですでに教授、助手であった私からは遙かに仰ぎ見る存在に感じた覚えがある。しかし専門分野が異なることもあって、何かの折りにこの方が塚原さんと認識できたが、同じ学会に所属しておりながらも接触はないままであった。その後私が京都に移り、そして偶然にも上海駅頭で隣り合わせになったのである。

私がかって阪大理学部にいたことや研究分野のことから自己紹介をはじめ、何かを話しているうちに、そうだ、この機会に一つお聞きしてみようとの思いに駆られて、「脳を働かすことで脳の働きを理解できるようになるのですか」というようなことを口走ったのである。「ハイゼンベルグの不確定性原理」なるものがチラッと頭を掠めたような気がする。今から思えばいわば初対面の方に、どう答えていいのか見当のつきかねることをお聞きするなんて失礼この上ないことであったが、私としては生徒になったつもりだったのである。「さあ、どんなものでしょうね」なんて受け答えした下さったような気がするが、話の中身は今となっては忘却の彼方である。10分そこそこの短い触れあいで、やがて移動している間に離ればなれになってしまった。これが塚原さんとの触れあいのすべてである。

日航機123便の乗客名簿だったか、塚原さんのお名前を見たときには信じられない思いであった。塚原さんを長とした大きな研究プロジェクトが、まさにスタートしようとした矢先ではないか。そんな不条理があり得るはずがないと思ったが、大阪大学松下講堂であったかと思うが、そこで催された追悼の集いに出席した時には事実を受け入れざるをえなかった。


ごく最近、書店で塚原さんの著書が文庫本で出ているのを見つけて購入した。脳のことなど分かるだろうか、とこれまでも脳関係は敬遠してきたが、今あらためて手に取ってみると私の脳でも何とかついて行けそうである。少なくとも30ページまでは違和感がないどころかぐんぐん引きつけられていく。これは面白い。塚原さんと25年ぶりに対話を楽しむことにしよう。


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