日々是好日

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岩田健太郎著『「患者様」が医療を壊す』あれこれ

2011-02-21 18:55:46 | 読書

タイトルが面白そうだったので本屋で見たときには中身も見ずに買い、この週末に読み上げた。著者の意見に頷くところが多いが、饒舌というのだろうか言葉数が無闇に多くて読むのに少々疲れた。さらに言えば、矛盾するようであるが、読みやすくて結構分かりにくいという印象を持った。この本を読んでも、なぜ『「患者様」が医療を壊す』のか、私には結局分からなかったのもそのせいなのかも知れない。

著者は医科大学を1997年に卒業して医者になり、海を渡って沖縄の県立病院で研修を受けてさらにアメリカに行き、ニューヨーク市の病院で3年間内科のトレーニングを受けた上に、感染症専門医になるために2年間の研鑽を重ねた。北京インターナショナルSOSクリニックや亀田総合病院勤務を経て2008年に神戸大学大学院医学研究科教授に就任、神戸大学医学部付属病院感染症内科診療科長とのことである。なかなかユニークな経歴である上に、医学部卒業後10年ほどで臨床の教授とはこれまた異例であろう。

それはともかく、臨床家として患者に接する日常体験に基づいて感じたこと、考えたことを話としてまとめているので難しい専門語が飛び出るわけでもなく、その意味では読みやすいのである。ところが喋りまくる。「患者か、患者様か」(23ページ)で、なぜ「患者様」が医療を壊すことになるのか、その手がかりがあるのかなと思って読んでも、岩田節?が炸裂しっぱなしで、話がなかなか先に進まない。そしてカタカナ語が気になる。この「患者か、患者様か」の小節にも「ポリティカリーにコレクトなボキャブラリー」なんて出てくるかと思うと、その続きの節は見出しそのものが「レトリックではなくダイアレクティク」とカタカナ表現になっている。これはやばいなと思っていると案の定「ルサンチマン」なんて、見たことはあるようだが私自身知らない言葉が出てきた。使ったことがないので(恥ずかしながら)意味が分からない。新明解には出てこないので広辞苑(第五版)を見ると、《①ニーチェの用語。弱者が強者に対する憎悪や復讐心を鬱積させていること。奴隷道徳の源泉であるとされる。》なんて出てきて、なるほど、私が知らなかったわけだと始めて納得する始末である。こういう調子でなにやかや引っかかる上に話があれもこれもと続くのでポイントがハッキリせず、だから分かりにくいのである。長々と書き連ねるのは誰でも出来る。推敲を重ねてピリッと引き締まった形にするには、現役の診療科の教授であるがゆえの時間不足だったのであろうと納得することにした。

ところで患者様ではなく患者が医者と良好な関係にあると、病気そのものもよくなるという話が出てくる。ではどのようにして良好な関係が生まれるかといえば、自分の主治医を心から信じればよいのである。そしてここに著者のひねりが入る。

主治医を信じるという「フィクション」に身を任せればよいのです。つまり、患者さんの方も心の底では、これはファンタジーだよ、とこっそり感じ取っていればよいのです。(47ページ)

またこうもいう。

 病院に来たら、そこには適切なファンタジーの手順というものがあるのです。それはヴァーチャルなものではありますが、有効な医者患者関係を築く上ではとても役に立つのです。それが、お医者さん「ごっこ」です。
 あなたの主治医は偉大です。あなたが心の底から信頼し、尊敬しても良いのです。
 というファンタジー。(49ページ)

そして「ごっこ」だから医者の方も適切に振る舞うことが期待される。

 患者さんは、「この先生についていきたいわ」と敬意を持ってついていくのが、「適切な振る舞い」です。それに応じる医者も「適切に」振る舞う必要があります。これが「お医者さんごっこ」というゲームのルールです。あるファンタジーを振る舞うという行為(ゲーム)には当然両者に了解されるルールが必要なのです。(53ページ)

この提案、間違っているとは思わない。しかしこの種の心理劇を演じるには患者・医者の双方がかなりの名優でないと終わりまで芝居がもたないのではなかろうか。医学生に患者と医者のロールプレイ(カタカナで失礼)を演じさせるのならともかく、そういう「演技」を普通の患者に期待するのは高望みではなかろうか。もっともルサンチマンなんて言葉をすらっといえるような知識人患者は別であろうが。そしてこんな話も出てくる。

 率直に言って、僕にとっての患者さんよりも自分の家族の方が大切です。患者さんの生活よりも自分の生活の方が大切です。(中略)僕は自分の家族のほうが、患者さんやその家族よりも大切、という世界観で生きています。(89ページ)

まったくその通り。でもそれは言わずもがなのことではないのか。八百長相撲の電子メールが出てきたようなものである。これでは患者が医者に抱きかけた「お医者さんごっこ」のファンタジーがペシャンコになってしまう。ファンタジーを持って貰わないといけないが、あまり美化されては迷惑なんだ、なんてことさら言わなくても誰にでも分かっていることではないか。先生とこ一家でエーゲ海クルーズに出かけてお休みなんだって、で文句をいう患者なんていないだろうに。実はこの部分、本では違う文脈で語られているのであるが、患者にファンタジーを抱かせればそれで十分と私が勝手に単純化したので、著者の言い分については本文に当たって頂きたい。

ところでこの本、臨床医を目指す医学部受験生が読めばいいのにと思った。たとえばこれからの医療のあり方について的確な意見が述べられている。これをやってのけるスーパードクターが社会で活躍するようになれば、医療現場がますます活気を帯びたものになっていくことだろう。

 いずれにしても、医療において「絶対的に」正しい行為や判断というものはだんだん減ってきており、「何が正しいか」という問いに対する簡単な答えは見つけにくくなっています。そこで、医療の現場を「正しい行為を行う場」というよりは「患者さんと価値観の交換を行う場」として機能させたほうがより健全なのではと思います。寿命を重視する人、仕事を重視する人、家族を重視する人、趣味を重視する人、それぞれの価値観に報じて「適切な」医療のあり方は異なってくるでしょう。(192ページ)

それでふと思ったが、この著者の岩田先生、一人ひとりの患者を診るのもよいが、厚生労働省で医療制度改革を積極的に推し進めていく役割を担われるのはいかがなものだろう。停年を迎える頃、この医療制度は僕が作ったんだ、と胸を張って言えるのも格好が良さそう。



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