昨日のニュースでは福島第一原発1号機が3月11日午後2時46分の地震発生で緊急停止し、3時30分頃の津波到達後4時間経った午後7時30分頃には燃料棒のすべてが水から完全に露出し、午後9時には燃料溶融が起きたと伝えた。このニュースソースともなる福島第一原発事故に関する膨大なデータを今日(16日)東京電力がホームページで公表した。私たちも見ることが出来るが、それよりも専門家によるデータの迅速な解析が待たれる。現時点で私の知りたいことはただ一つ、地震によってとくに1号機の場合は原子炉圧力容器、格納容器に亀裂が生じた(穴が開いた)のではないかということである。3月11日午後2時46分の地震で炉が緊急停止するとともに容器内の水の漏出が始まったような気がするからである。地震発生から津波到達までに約45分あり、その間にも高圧の水が圧力容器、格納容器から噴出することで大量の水が失われてしまったのではなかろうか。これに加えて津波による全電源喪失により冷却水の供給が絶たれてしまったことが、燃料溶融の進行を早めたと考えられるからである。
これまで原子炉は地震の衝撃には耐え抜いたと伝えられていたように思うが、地震直後に目視で漏出が否認されたわけではあるまい。「安全神話」の中核をなす耐震性がここで否定されると、その影響は計り知れないほど大きくなる。だからこそ私はそれを知りたい。
これまで原子炉は地震の衝撃には耐え抜いたと伝えられていたように思うが、地震直後に目視で漏出が否認されたわけではあるまい。「安全神話」の中核をなす耐震性がここで否定されると、その影響は計り知れないほど大きくなる。だからこそ私はそれを知りたい。
ずっと探してみたのですが、探すのがヘタみたいで見つかりませんでした。もしたどり方を御存じでしたら教えて下さい。公開データを見たいのです。
に「東北地方太平洋沖地震発生当時の福島第一原子力発電所プラントデータ集」がpdfファイルで公開されています。
プラントデータ、毎日、見ていましたがこうしてふり返ると被曝しながらの決死の作業の積み重ねだと、また思いを新たにしました。
残念ですが、この事故は非常に長引きそうですね。
ありがとうございました。
ご参考までに
http://www.magazine9.jp/interv/hida/index2.html
私は1982年から1年間、セラフィールドSellafieldから100キロほどのブラックバーンBlackburnという街にホームステイしていました。2009年に家族に再会した際、その間3名の親族が肺がんで亡くなったと聞きました。その家族がとても懸念しています。あらゆる意味でも歴史はどのなど教科書よりもよほど教訓になるのではないでしょうか。