9月18日のお昼はシティホールでオペラの合唱曲を聴いた。シティホールてどこだろうと思っていたら、大阪市役所のことであった。その建物の中にホールがあって、壁も床も天井も大理石造りだとか(写真はホール正面上部)。今は赤字に苦しんでいる大阪市であるが、私はこのようなお金の使い方には賛成である。
演奏はザ・カレッジ・オペラハウス合唱団、大阪音楽大学が建設したオペラハウスである「ザ・カレッジ・オペラハウス」の専属合唱団として組織されたプロ合唱団とのことである。
当日はソプラノ、アルト、テノール、バス各四名編成での出演であった。ヴェルディ、ビゼー、モーツァルト、マスカーニ、ワーグナーの七つの歌劇から、ポピュラーな合唱曲を計11曲を聴かせて貰った。少人数の編成であったが目を瞑って聴いているとそうとは思えないフルヴォイスのとても迫力のある演奏で、すっかり堪能させて貰った。「椿姫」の『乾杯の歌』ではソリストがいないのにどうするのだろうと思っていたら、ソプラノの一人が椿姫を、テノールの一人がちゃんとアルフレッドを演じなさる。さすがプロ合唱団でメンバー一人一人がソリストとしての実力を持っているとの紹介が頷けたのである。
オペラ合唱曲ばかりの演奏会なんて非常に珍しい企画ではなかろうか。それを地元の一音楽大学専属のプロ合唱団が演じるとは大阪の誇りでもある。音楽ファンの一人として嬉しい限りであるが、この合唱を楽しむまでが私には難行苦行であった。
この催しは「レクチャーコンサート」との副題が付いていた。《大阪音楽大学学長による解説とザ・カレッジ・オペラハウス合唱団による素晴らしい合唱》というわけである。私はこのレクチャーというのを少し甘く見ていた。「さぁー皆さん、楽しんでください!」ですぐに合唱が始まると思っていた。ところがなんとこのレクチャーが50分続いたのである。
学長さんが話し始めた。「私の話は刺身のツマのようなもの、これがあると刺身が美味しく味わえるように、私の話を頭のどこかに入れておいていただけると、合唱の魅力が一段と味わえるでしょう」という趣旨である。
ところが、学長さんには申し訳ないが、話が退屈なんである。自分がオペラを観にいった話しなどが混じる。何とかのオペラを観たときは入場料が6万円だったとか、世界の歌劇場で観てきたとか・・・・。そんな話はいらん!と云いたいのだがまず我慢した。
外国のどこかで「アイーダ」を観たときは舞台に馬が出てくる。それも舞台の奥行きがあるから馬が駆けてくる、そしてターッと止まる。いやー、大したものだ、と仰る。ところがこの日の演奏には「アイーダ」からの合唱曲は含まれていないのだ。ご本人がそのように断りになりながらも「アイーダ」の話を長々とされる。「乾杯の歌」を聴いている時に馬が走ってくる話しを思い出したら大変、と自分に言って聞かせる。
この類の話が続くのである。10分、20分、30分・・・・・。
オペラ合唱曲ばかりのユニークな演奏会に、聴衆はわざわざ足を運んでいるのだ。たとえ舞台を観るチャンスはなくても、DVDとかテレビ、またはCDなど、それぞれの楽しみ方をしている人々である、と思うのが常識であろう。そういう聴衆を相手にどのような話をすべきであるのか、レクチャーと銘打つ以上その組み立てをしっかりと考えないといけないのに、それが出来ていないのである。
歌われた合唱曲は七つのオペラから選ばれていた。どういうオペラのどの場面で歌われる合唱だなんて解説が要るのだろうか。逆にどのような解説が出来るのだろう。オペラ一つの筋書きを分かりやすく説明するだけでもおおごとである。それが七つ分、いくら時間があっても足りないではないか。だからどうしても説明が等閑になり、話を聞いても少しも賢くなった気がしない。
40分過ぎた。学長さんが「私に与えられた時間は後10分ですので・・・」と云われたときに、周りの聴衆が一斉に私の方を向いた(ように感じた)。後で妻に確かめると、私が「エッ」と声を出したそうである。「まだ10分も?」という私の思いが、無意識に「エッ」という声になったのだろう。しかし私の僻目でなければ、「ほんと、ええかげん話は止めにして、はよう歌を聴かして欲しいわ」と皆さんが表情に出しておられた。
レクチャーが50分、そして演奏が小休憩を含めて50分、刺身のツマにしてはかさが高すぎる。しかもこの大根、鬆が入っている。オペラの合唱を楽しむのに、余計な説明はいらない。何をイメージしながら楽しむのは人それぞれでいいではないか。これは企画が間違っていたと思う。
上の紫色の部分、これは学長さんの話されたことである。話はこれだけで十分、10分もかからないではないか。
合唱が素晴らしかったので私のいらだちも納まった。でもこれから今日の合唱を何かで聴くたびに、鬆の入った刺身のツマを思い出しそうである。