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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

大学助手とは何だったのか

2006-09-27 18:03:28 | 学問・教育・研究
阪大助手の頃、恩師の使いで七月に亡くなられた江橋節郎先生を東大医学部薬理学教室の教授室にお訪ねしたことがある。そこは教授室というよりは、モノが沢山詰め込まれた洞窟のような感じの部屋で、周りを見回す心のゆとりもなく、あの『伝説の先生』に初めてお目にかかりお話しすることで緊張していた。

少し回り道になる。

私の助手時代は長かったが、三十代に入ってまもなく独り立ち出来たのは幸せだった。恩師は定年、私の直接の指導者であった先生はすでに亡くなられていた。そして周辺の兄弟子である先輩たちは私の気ままに極めて寛大であった。研究に関しては私は自分の思い通りに進めることが出来、恵まれた環境であったと思う。ところが10年以上も助手をやっていると気分的にはうだつが上がらないのである。

この助手という身分が定められたのは、明治時代なのではなかろうか。大学を卒業して晴れて『学士』様になり、まずは助手として大学に残ったのだろう。大阪大学理学部生物学科の第一期卒業生で、卒業して直ぐに助手になった人が何人かいた。四年制大学の卒業生である。なんだか頼りなげであるが当時はそれでもよかった。

現在の学校教育法に次のような条項がある。必要箇所のみを抜粋する。

第58条 大学には、学長、教授、助教授、助手及び事務職員を置かなければならない。
2 大学には、前項のほか、副学長、学部長、講師、技術職員その他必要な職員を置くことができる。

6 教授は、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。
7 助教授は、教授の職務を助ける。
8 助手は、教授及び助教授の職務を助ける。

第58条8項にあるように、助手は「教授および助教授の職務をたすける」のが職分であったのだ。

しかし大学院が博士を定常的に送り出すようになって、制度はこのままであるのに実態が大きく変わっていった。特に自然科学系では学士はおろか大学院博士課程を修了した博士にも助手ポストにつくのが至難の業となってきた。ポストに空きがなければ無職、博士浪人がぞく続々と出て来たのである。制度が出来たときは『学士』のためのものであったのが、いつの間にか『博士』がその職についているのである。この制度と実体の乖離が助手を冷酷にも痛めつけることになった。制度そのものが人権侵害を生み出したと云えるのではなかろうか。『博士』の誇りを完全に踏みにじっていたからである。

まず『助手』の名称とそのイメージが悪い。たとえばこれを直訳調で英語に直すと「Assistant」となる。この肩書きにだと、アメリカの大学で仕事をしようと出かけても、鼻にも引っかけてもらえない。たんなるお手伝いさんだからである。アメリカの大学で日本の『助手』に相当するポストはAssistant Professorになる。そして世間の人はプロフェッサーと呼んで敬意を表す。私も三十代の助手時代に何度か短期間ではあるが招聘されて出かけたことがあるが、そのときのタイトルの一つはVisiting Professorというのであった。日本流に云えば客員教授ということになるのだろう。世間の見る目の違いが大きすぎる。

「助手は、教授及び助教授の職務を助ける」の文言のどこにも教育・研究における助手の主体性を認めていない。かっては『末は博士か大臣か』と人口に膾炙したあの博士様を、たんなる下働きに縛り付けているのである。

もちろん大学はそれなりに実力がものを云う世界でもある。身分は助手でも研究では教授を凌ぐ成果を挙げてきた人は枚挙にいとまがない。その業績に便乗するコバンザメのような教授が結構居るものだが、大学によって、人によって、それが教授のあるべき姿になっておりそうな気もする。

話を元に戻すが、このような助手という身分に長く繋がれていると心が屈折してくるものである。教授になるにはまず助教授というのが普通の筋道であるが、自分に合った助教授の空きポストなんて皆無に近い。その私の心の揺らぎを感じ取ってか、また励ましか、恩師が話されたのである。

「いい仕事をすればちゃんと世間は認めてくれる。東大医学部の薬理の教授はカルシウムで画期的な仕事をしたものだから、並み居る先輩を押しのけて助手から一足飛びに教授になることが出来た」と云うようなことであった。この話を時々聞かされているうちに江橋先生は私にとって『伝説の先生』になっていたのである。

ある会議に関する打ち合わせは簡単に終わった。緊張もほぐれしばらく雑談を交わした覚えがある。実験の合間だったのだろうか、着込んだ感じの白衣をまとっておられたのが印象的だった。現役のベンチ・ワーカーの匂いを感じたからである。自分も心がけている現場主義を実践しておられる先生に、共感の思いをお伝えしたような気がする。先生も私もある学際的な色彩の強い学会の会員であったことから、その後お会いすると言葉をかけていただいたものである。そしてどうした因縁か、この時の用件が、私に転機をもたらしてくれた。一足飛びに教授とはいかなかったが、ようやく助手の身分を離れることができたのである。

かくも時代錯誤的な職制である助手が大学で終焉を迎えようとしている。学校教育法が改正されて、来年、平成十九年四月一日から制度が変わるのである。

従来の助教授は准教授になる。アメリカのAssociate Professorに相当する。そして一定の資格を満たすこれまでの助手を「助教」という昔軍隊用語で見かけたようなポストに格付けすることになっている。

ここで改正後の教授、准教授、助教がどのように規定されているかを比べてみる。

教授:教授は専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の特に優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。

准教授:准教授は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。

助教:助教は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の知識及び能力を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。

強調の部分を消せば分かるように、基本的に三者は全く同じ、准教授は助教より『優れて』おり、教授は『特に優れた』とされるが、これはたんなる恰好付けにすぎない。職務上の支配・被支配関係は条文上は撤廃される。これは大学制度の革命といっていいだろう。これで制度的には従来の教授、助教授、助手がだれでも一国一城の主となれる。またそのようにしなければならない。研究成果において下剋上の出現することが日本の研究環境を大きく変えるであろうと期待している。

真の研究者諸君、大いに奮起せよ!である。

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