昨日の朝日朝刊に次のような記事が出ていた。
この記事になぜ目が行ったかというと、この国史大辞典がわが家の書棚に鎮座ましているからである。そして歴史家でもない私の書棚になぜこのような全17冊という大部の辞典があるかといえば、いわば私のお遊びのためなのである。
私はなぜか歴史・伝記の類が好きで子どもの頃からそういう本を読みあさっていた。高校生の時に当時神戸栄町通にあった占領軍のCIE図書館(旧山下汽船の建物?)で見つけた、アート紙にカラー図版のたっぷりある世界歴史のテキストに魅せられて、何回か貸出を更新して読み上げたのも懐かしい思い出である。これで英語にかなりの自信も持てたのである。それはともかく、いつかは読めるだろうと期待して現役時代に岩波の「大航海時代叢書」や「岩波講座 日本通史」をはじめとするいわば歴史の基本図書を買い求めてきた。その頂点がこの「国史大辞典」なのであるが、その発刊から完成に至るほぼ20年の歳月が、私の人生の重要な時期とぴったりと重なる偶然があった。
私が阪大理学部から京大医学部に移ったのが昭和54(1979)年4月であるが、「国史大辞典」第一巻が発行されたのが昭和54年3月1日なので京大生協の書店で買い求め全巻予約した。そして最終17冊目の第十五巻下の発行が平成9年4月1日で、その1年後の平成10(1998)年3月31日に私は京大を定年退官したのである。だから私が京大にいる間に、平均して毎年1巻ずつ受け取っていた勘定になる。ちなみに「国史大辞典」の別巻と目される「日本史総合年表」が刊行されたのは隠居生活も3年目に入った平成13年で、これはたしかジュンク堂で買い求めた。
この「国史大辞典」が思いもかけぬことで役に立ったことがある。入学試験の理科の責任者を仰せつかった時のことであるが、半年ほどかけて各科が入試問題を作り、複数の候補を最後は各科の責任者などからなる全体会議で絞り込み最終決定する。この会議では理科なら物理、化学、生物、社会なら世界史、日本史、地理それに数学、国語、語学などの全試験問題を各科責任者が一問ずつ全員に説明し、それから文系理系にかかわりなく厳しい質疑応答が委員の間で交わされる。少なくとも三日間は続いたと思うが、一字一句から侃々諤々の議論が交わされるので、前任者からはデス・マッチです、と引き継いだ覚えがある。たまたま日本史の問題を担当者が説明したときに何か引っかかることがあったので、いったん帰宅後「国史大辞典」で調べてみると、試験問題の表現に問題があるようなのでそのことを翌日の会議で指摘すると、確かにそうだということでこの試験問題はボツとなってしまった。後で社会の責任者から問題点に気付いた経緯を聞かれて手元の「国史大辞典」で確かめた旨をお話しすると、「実は私も予約購読しているのです」と言われて仲間意識が深まった思いをしたものである。そう言えば京大で何人ぐらいが個人で買っていたのだろう。
昨日の朝日朝刊第1面には次のような大きな記事が出ていた。
さっそく元興寺を調べてみると、「国史大辞典」に写真もあわせてほぼ2ページにわたる説明があり、今回問題となった『極楽坊禅室』の終わりの方には「転用されてのこる古材が多く、屋根には古く飛鳥寺から移されたと思われる行基葺の瓦を葺いている。国宝」との記述があり、「その古材のことなんだ」と頷く始末。もっとも元興寺というといかにも古めかしく聞こえるが、十二世紀の初めには往生院とか極楽房(坊)と称せられ、江戸時代には極楽院、昭和30年より元興寺極楽坊と改め、昭和52年8月に元興寺と改められた、とあるので、この寺自体には古い歴史がある一方、現在呼ばれている名称は極めて新しいことなどが分かる。もともと元興寺は飛鳥の飛鳥寺の号であり、これを平城遷都後、京内に移したものであることから新元興寺とも言われていたそうである。それが紆余曲折を経て昔の名称を継いだと言えよう。それがどうした、と言われたらそれまでであるが、だからこそ私のお遊びなのである。
「国史大辞典」のもう一つの大きな特徴は図版が実に豊富なことで、たとえば元興寺の出ている第三巻の巻尾にある図版目録だけでも26ページにわたり、図版を見るだけでもいろんな想像力がかき立てられてつい興奮する。今回のデジタル版には残念ながら図版が含まれていないそうであるが、紙版の独自性を訴えているようにも思える。歴史好きの年配者で懐具合にも少々ゆとりがあって知的好奇心をかき立てられるお遊びを求めておられる方は、ぜひ電子版ならぬ紙版「国史大辞典」の購入を考えてはいかがだろうか。暇つぶしにはもってこいの材料である。
この記事になぜ目が行ったかというと、この国史大辞典がわが家の書棚に鎮座ましているからである。そして歴史家でもない私の書棚になぜこのような全17冊という大部の辞典があるかといえば、いわば私のお遊びのためなのである。
私はなぜか歴史・伝記の類が好きで子どもの頃からそういう本を読みあさっていた。高校生の時に当時神戸栄町通にあった占領軍のCIE図書館(旧山下汽船の建物?)で見つけた、アート紙にカラー図版のたっぷりある世界歴史のテキストに魅せられて、何回か貸出を更新して読み上げたのも懐かしい思い出である。これで英語にかなりの自信も持てたのである。それはともかく、いつかは読めるだろうと期待して現役時代に岩波の「大航海時代叢書」や「岩波講座 日本通史」をはじめとするいわば歴史の基本図書を買い求めてきた。その頂点がこの「国史大辞典」なのであるが、その発刊から完成に至るほぼ20年の歳月が、私の人生の重要な時期とぴったりと重なる偶然があった。
私が阪大理学部から京大医学部に移ったのが昭和54(1979)年4月であるが、「国史大辞典」第一巻が発行されたのが昭和54年3月1日なので京大生協の書店で買い求め全巻予約した。そして最終17冊目の第十五巻下の発行が平成9年4月1日で、その1年後の平成10(1998)年3月31日に私は京大を定年退官したのである。だから私が京大にいる間に、平均して毎年1巻ずつ受け取っていた勘定になる。ちなみに「国史大辞典」の別巻と目される「日本史総合年表」が刊行されたのは隠居生活も3年目に入った平成13年で、これはたしかジュンク堂で買い求めた。
この「国史大辞典」が思いもかけぬことで役に立ったことがある。入学試験の理科の責任者を仰せつかった時のことであるが、半年ほどかけて各科が入試問題を作り、複数の候補を最後は各科の責任者などからなる全体会議で絞り込み最終決定する。この会議では理科なら物理、化学、生物、社会なら世界史、日本史、地理それに数学、国語、語学などの全試験問題を各科責任者が一問ずつ全員に説明し、それから文系理系にかかわりなく厳しい質疑応答が委員の間で交わされる。少なくとも三日間は続いたと思うが、一字一句から侃々諤々の議論が交わされるので、前任者からはデス・マッチです、と引き継いだ覚えがある。たまたま日本史の問題を担当者が説明したときに何か引っかかることがあったので、いったん帰宅後「国史大辞典」で調べてみると、試験問題の表現に問題があるようなのでそのことを翌日の会議で指摘すると、確かにそうだということでこの試験問題はボツとなってしまった。後で社会の責任者から問題点に気付いた経緯を聞かれて手元の「国史大辞典」で確かめた旨をお話しすると、「実は私も予約購読しているのです」と言われて仲間意識が深まった思いをしたものである。そう言えば京大で何人ぐらいが個人で買っていたのだろう。
昨日の朝日朝刊第1面には次のような大きな記事が出ていた。
さっそく元興寺を調べてみると、「国史大辞典」に写真もあわせてほぼ2ページにわたる説明があり、今回問題となった『極楽坊禅室』の終わりの方には「転用されてのこる古材が多く、屋根には古く飛鳥寺から移されたと思われる行基葺の瓦を葺いている。国宝」との記述があり、「その古材のことなんだ」と頷く始末。もっとも元興寺というといかにも古めかしく聞こえるが、十二世紀の初めには往生院とか極楽房(坊)と称せられ、江戸時代には極楽院、昭和30年より元興寺極楽坊と改め、昭和52年8月に元興寺と改められた、とあるので、この寺自体には古い歴史がある一方、現在呼ばれている名称は極めて新しいことなどが分かる。もともと元興寺は飛鳥の飛鳥寺の号であり、これを平城遷都後、京内に移したものであることから新元興寺とも言われていたそうである。それが紆余曲折を経て昔の名称を継いだと言えよう。それがどうした、と言われたらそれまでであるが、だからこそ私のお遊びなのである。
「国史大辞典」のもう一つの大きな特徴は図版が実に豊富なことで、たとえば元興寺の出ている第三巻の巻尾にある図版目録だけでも26ページにわたり、図版を見るだけでもいろんな想像力がかき立てられてつい興奮する。今回のデジタル版には残念ながら図版が含まれていないそうであるが、紙版の独自性を訴えているようにも思える。歴史好きの年配者で懐具合にも少々ゆとりがあって知的好奇心をかき立てられるお遊びを求めておられる方は、ぜひ電子版ならぬ紙版「国史大辞典」の購入を考えてはいかがだろうか。暇つぶしにはもってこいの材料である。