前回、国史大辞典デジタル化の新聞記事を取り上げたが、実はその真上に赤染晶子さんの「かまい」という芥川賞受賞エッセイなるものが載っていた。「かまい」とは『人のことがほうっておけなくて、あれこれかまって世話をやく人の事』を言うのである。京都の小さな商店街に小さな本屋さんがあって、この本屋に赤染さんのお母さんが娘時代、下宿していた頃にまつわる人情話なのである。そして最後がこのように結ばれる。
「いいな」と思った。ひとつだけちょっとした「しかけ」があるが、とても素直な流れで自分の書きたいことを書いている。赤染さんに失礼を承知で申し上げれば、直木賞を受賞した中島京子さんの「小さいおうち」と同じ肌触りである。やっぱり赤染めさんは「乙女の密告」を芥川賞を意識して少々無理を承知で書いたのだろうと一人合点した。
と言うのもある友人の言葉を思い出したからである。わが家にはオリジナルの油彩は二点しかないが、一つがその友人の奥方の描いたものなのである。奥方は主婦業のかたわら本格的に絵の勉強を始めたそうである。ある時自宅でその作品の数々にお目にかかり、とてもいい感じだったのでおねだりをして花の絵を描いていただいた。淡い彩りがほどほどのデフォルメのマッチして、心地よい和らぎを与えてくれる。ところがその友人、絵画展に賞を狙って出品する作品はがらっと作風が違うから驚くよ、なんて言っていたのである。
「芥川賞の傾向と対策」なるものがあるのかどうかは知らないが、賞を狙う以上は選考委員を意識することだろう。選考委員を上手く釣り上げるにはそれなりの仕掛けが必要になるだろう。一般読者とはかけ離れた理屈っぽい人たちではあろうが、それだけにその作品などを研究すればその特徴を把握出来るだろう。そして選考委員の数さえ確保すればよい。
何はともあれ赤染さんは今や堂々たる芥川賞作家である。これからは「選考委員」を意識せずに自由に作品を生み出していけばよい。エッセイ「かまい」から察するにそういう作品に一般読者も大勢引きつけられていきそうである。このエッセイに添えられた顔写真からも「やったるぜ」というメッセージが伝わってくる。それで私が連想したのは田辺聖子さんである。最近また別の友人に指摘されるまでは彼女を直木賞作家だと思い込んでいたが、彼女も芥川賞を受賞していたのである。そういえば官能小説家として令名が高い宇能鴻一郎さんも芥川賞出である。いったん賞を得た以上、活躍の舞台は無限に広がっているではないか。私は以前のブログで『この著者の作品にふたたびお目にかかることがあるだろうか』なんて早々と書いてしまったが、ぜひ近々お目にかからせていただきたいと思う。
つけたし
私は中島京子さんの直木賞受賞作「小さいおうち」をしっかりと確認せずに、つい私の語感で最初「小さなおうち」と間違って引用してしまったが、上のエッセイには「小さな商店街」に「小さな本屋さん」というように、「小さな」と使われている。私はこの使い方の方が自然に思われるが、中島さんの「小さい」という使い方に何か特別の意味があるのだろうか。
「いいな」と思った。ひとつだけちょっとした「しかけ」があるが、とても素直な流れで自分の書きたいことを書いている。赤染さんに失礼を承知で申し上げれば、直木賞を受賞した中島京子さんの「小さいおうち」と同じ肌触りである。やっぱり赤染めさんは「乙女の密告」を芥川賞を意識して少々無理を承知で書いたのだろうと一人合点した。
と言うのもある友人の言葉を思い出したからである。わが家にはオリジナルの油彩は二点しかないが、一つがその友人の奥方の描いたものなのである。奥方は主婦業のかたわら本格的に絵の勉強を始めたそうである。ある時自宅でその作品の数々にお目にかかり、とてもいい感じだったのでおねだりをして花の絵を描いていただいた。淡い彩りがほどほどのデフォルメのマッチして、心地よい和らぎを与えてくれる。ところがその友人、絵画展に賞を狙って出品する作品はがらっと作風が違うから驚くよ、なんて言っていたのである。
「芥川賞の傾向と対策」なるものがあるのかどうかは知らないが、賞を狙う以上は選考委員を意識することだろう。選考委員を上手く釣り上げるにはそれなりの仕掛けが必要になるだろう。一般読者とはかけ離れた理屈っぽい人たちではあろうが、それだけにその作品などを研究すればその特徴を把握出来るだろう。そして選考委員の数さえ確保すればよい。
何はともあれ赤染さんは今や堂々たる芥川賞作家である。これからは「選考委員」を意識せずに自由に作品を生み出していけばよい。エッセイ「かまい」から察するにそういう作品に一般読者も大勢引きつけられていきそうである。このエッセイに添えられた顔写真からも「やったるぜ」というメッセージが伝わってくる。それで私が連想したのは田辺聖子さんである。最近また別の友人に指摘されるまでは彼女を直木賞作家だと思い込んでいたが、彼女も芥川賞を受賞していたのである。そういえば官能小説家として令名が高い宇能鴻一郎さんも芥川賞出である。いったん賞を得た以上、活躍の舞台は無限に広がっているではないか。私は以前のブログで『この著者の作品にふたたびお目にかかることがあるだろうか』なんて早々と書いてしまったが、ぜひ近々お目にかからせていただきたいと思う。
つけたし
私は中島京子さんの直木賞受賞作「小さいおうち」をしっかりと確認せずに、つい私の語感で最初「小さなおうち」と間違って引用してしまったが、上のエッセイには「小さな商店街」に「小さな本屋さん」というように、「小さな」と使われている。私はこの使い方の方が自然に思われるが、中島さんの「小さい」という使い方に何か特別の意味があるのだろうか。