日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「家族承諾のみで初の臓器提供へ」は家族が無理に言わされたのでは?

2010-08-11 17:17:49 | Weblog
脳死と判定された男性からの臓器移植が、臓器移植法改正後初めて行われた。9日のasahi.comは次のように伝える。

日本臓器移植ネットワーク(移植ネット)は9日、関東甲信越地方の病院に入院中の20歳代の男性が、改正臓器移植法に基づいて脳死と判定され、臓器提供に向けた手続きを始めたと発表した。男性は提供の意思を書面で残していなかったが、あらかじめ「万が一の時は(臓器を)提供していい」と話していたことを家族が尊重した。7月17日の改正法施行で、脳死になった人の意思が書面で確認できない場合に家族の承諾で提供できるようになったが、実際に提供されるのは初めて。(中略)
 
 移植ネットによると、男性は交通事故による外傷で脳死とみられる状態になり、8月5日午後、入院先の病院から移植ネットに連絡が入った。移植ネットのコーディネーターが同日中に家族と面会し、1時間半にわたり提供の仕組みを説明。家族は8日夜に脳死判定と臓器提供を文書で承諾したという。

 男性がいつ、どのような会話の中で気持ちを話していたかについて、移植ネットは「いまつらい状況にあるご家族だけの思いもある」として、明らかにしなかった。病院名についても、家族の要望を受け、公表していない。
(2010年8月9日23時8分)

そして毎日jpはこう伝えた。

 本人の書面による意思表示なしに家族の承諾で脳死判定が行われ、改正臓器移植法に基づいて初めて脳死と判定された20代の男性が、家族で臓器移植関連のテレビを見ていた時に提供の意思があることを話していたことが分かった。
(2010年8月10日 11時22分 更新:8月10日 12時34分)

臓器移植法が改正されてこの平成22年7月17日に施行され、その適用第1号のニュースである。

iPadに無料でダウンロードした「電子法令検索」で見た改正移植法では、第六条第一項に改正前の内容に相当する(一)と、改正で新に加わった(二)があり、その(二)とは次のようなものである。

二  死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

これがいわゆる「臓器摘出の要件の改正」であり、「臓器摘出に係る脳死判定の要件の改正」では第六条第三項に次の(二)が加わっている。

二  当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。

私の接した新聞報道だけで、どのようにことが運ばれたのかをちょっと想像してみた。まず『移植ネットによると、男性は交通事故による外傷で脳死とみられる状態になり、8月5日午後、入院先の病院から移植ネットに連絡が入った。』とのことであるが、入院先の病院は「脳死とみられる状態」と判定した時点で、先ず家族にその状況を説明して同意を得た上で移植ネットに連絡したのか、それとも家族への状況説明をせずに直接移植ネットに連絡したのか、そのいずれであろうか。その辺りの事情はこの報道からは分からない。家族とのやり取りは病院にとっても大仕事であるので、まずは移植ネットに任せる判断を下したとしてもそれは納得出来る。脳死移植のことが頭にある医師がまずは移植ネットに連絡したと考えるのが素直であろう。

男性の家族が移植ネットのコーディネーターから臓器提供の仕組みについて説明を受け、ほぼ3日後に『脳死判定と臓器提供を文書で承諾』したことになる。その間の家族の方々の心境は察するにあまりあるが、苦渋の決断をされたのであろう。家族が交通事故にあって生死の境にあるというだけでも青天の霹靂で、その上に脳死という形の死の受容を迫られた揚げ句、迷いに迷っての決断ではなかったのか。何故そこまで家族に苦しみを背負わせるのだろうか。これも本人が臓器を提供する意志を書面により表示していないにも拘わらず、法律がその家族の意志で臓器の摘出を可能にする道を開いたからである。

私はこれまでも臓器移植法改正が必要? 自分の身体は誰のものなのか臓器移植法改正問題 子供の臓器移植 「あきらめ」もで臓器移植法改正問題に疑念を表明してきた。とくに最初のエントリーでは

自分の身体は自分のもの、たとえ家族といえども太古からの自然のことわりを侵す権利はないのである。われわれは自分の臓器が他人に取られることをわざわざ拒否しなければならないという発想自体が自然のことわりを犯していることを心に銘記すべきなのである。自分の身体は誰のものでもない、文字どおり自分のものである。その自然のことわりを破壊する権利が国会議員なんぞにあるはずがない。参議院での審議が始まったにせよ、「臓器移植法改正A案」が否決されることを、それこそ『良識の府参議院』に期待する。

あらためて繰り返すが、私は現行の臓器移植法は「自分の身体は自分のもの」という基本理念の上に立っている妥当なものだと思っているので、この法の理念の下に行われる臓器移植は容認するというのが私の立場である。

と述べて、本人が臓器提供の意志を明示していない場合の脳死判定と臓器提供に反対したのである。

最初の記事で

平成9(1997)年10月にこの法律が施行されてから初めて脳死ドナーからの臓器移植がなされたのは平成11年2月で、今年平成21年2月で81例に達していることが分かる。これが現時点における法律の施行の状況なのである。

と述べ、

いくら法律が出来ても、脳死による臓器移植が現実には日本国民により支持されていないのである。

と論じたが、この事実こそ日本人の脳死臓器移植に対する心情の「論より証拠」であろう。

これからはげすの勘ぐりである。今回の脳死臓器移植で移植ネットのコーディネーターの果たした役割は極めて大きいと思う。男性の意志が明示されていなかったにもかかわらず、遺族から『臓器移植関連のテレビを見ていた時に(この男性に)提供の意思があることを話していたこと』を引き出し、どういう情況で出てきた言葉なのか、どの程度確固たる意志であるかの検証もほどほどに、「それなら」と言葉巧みに家族を説き伏せ、無理矢理に同意させたのではなかろうか。「そうではない」と言うのであれば、今回が最初のケースであるだけに、いかに家族を納得させたかの手練手管、いや、その経緯を隠すことなく公開したらどうなのだ。死んでも「自分の身体は自分のもの」という太古からの自然のことわりを侵す行為に、私は心から反発を覚える。