一昨日(10月5日)の朝日新聞朝刊に載っていた記事である。現在わが国の女性研究者の割合は12.4%であるが、女性研究者を増やすために第3期科学技術基本計画(06~10年度)は採用の25%を女性にする目標を掲げた、とのことである。文部科学省が来年度から《女性の割合がとくに低い理・工・農学系を対象に、人件費の一部と初期の研究費として、女性研究者の新規採用一人当たり年600万円を3年間補助する》、というのが注目を引く。
女性研究者の割合を増やすとの趣旨は結構なのであるが、この強調部分が何を意味するのかこの記事だけでは分かりかねる。従来の定員外に女子研究者を別個に新たに雇用するという意味だろうか。それとも定員内ではあるが大学が女性研究者を一人雇うとその大学に600万円余分に支払うということなのだろうか。いずれにしても女性研究者を増やすために予算措置を考えているのだから、文科省はかなり真剣なのであろう。
私は予算面で女性研究者個人を男性研究者に比べて優遇する必要はないと思う。女性であるが故にもし研究費が何百万円も余分に与えるというのに大義名分があるとは思えないからである。しかし女性研究者が働きやすい環境を整備するのには十分な予算を注ぎ込むべきで、たとえば大学における保育所の完備などがまず挙げられるだろう。しかし女性研究者の採用やその昇進に関わる男性の意識が変わらない限り、なかなか実効が上がらないのではないかと恐れる。
私の限られた見聞の範囲ではあるが、女性研究者は間違いなく差別的に扱われてきたように思う。私が理学部の生物出身であるせいか、数学、物理、化学などに比べて周りに女性研究者が多かったと思う。ある時期には六研究室からなる生物学教室に、正規の教員として勤めている夫婦が二組いたことがある。ご本人たちをよく知る者の間では研究者としては奥さんの方の評価が高いのにもかかわらず、旦那が教授で奥さんが助手でいるのを不思議と思う人はまずいなかったと思う。数の限られたポストを夫婦で二つも占めることに対するある種の遠慮のようなものが夫婦にあり、となると女性が一歩下がって旦那を立てることになったのかも知れない。一方、奥さんを教授に旦那を助手にする手もあっただろうが、当時の男性社会ではただただ異端視されて終わりであっただろう。口さがない連中の評価が必ずしも的外れでなかったことに、研究者夫婦のなかで晩年には奥さんの方が学界において遙かに活発に活動していたという事実がいくつかある。
大学で研究者として職を得た女性は、その後の処遇にいろいろの不満があったとしても、職を得たということだけでも恵まれていたのであって、十分能力があるのにもかかわらず、男性社会であった大学・研究機関に受け入れられなかったり、また正当に扱われなかった女性研究者に同情の念を覚えることがままあった。この当時と今と、男性の意識がどのように変わっているのだろう。この新聞記事を読んでそう考えさせる伏線が私にはあったのである。
かれこれ30年ほどは前になるだろうか、私はあるユニークな学会が出す隔月刊機関誌の編集委員長をしていた。その時に私のある提案が編集会議で認められて動き出すことになった。その提案とは、手元に資料がないので正確なタイトルではないが、「女性研究者の座談会」を催して学会所属の女性研究者に云いたいことを思う存分云っていただき、その記録を機関誌に掲載して男性の蒙を啓こうと云うものであった。編集委員から寄せられた候補者をもとに参加者を人選したが、その中には何人か私の意中の方が含まれていた。
そのユニークな学会とは日本生物物理学会である。「生物物理」とは当時科学研究費の申請でも確か「複合領域」に分類されていたと思うが、新しい学問領域で、面構えからしてやる気満々の若手が寄り集まって出来た学会で、女性とても例外ではなかった。そのなかでやる気があるだけではない、学会でも高く評価される成果を挙げつつある女性研究者に出席をお願いしたのである。座談会は京大会館で開かれ、黒一点の私が司会を務めさせていただいた。
そのお一人GMさんは、私にもある程度理解できる分野で素晴らしい理論的なお仕事をされていた。ヘモグロビン遺伝子の塩基配列と、ヘモグロビンのX線結晶解析で得られた原子座標とというまさに生物と物理の究極データをそれぞれ使いながら解析プログラムで両者の相関を解き明かし、タンパク分子の立体構造を特徴付けるドメインを構成するサブ構造の存在を見出したのである。このサブ構造がマウスのような真核生物では遺伝子のエクソンに対応しており、いくつかのサブ構造がドメインを構成する際に、タンパク質に翻訳されない部分のイントロンでエクソンが分離されていることを明らかにされた。のちにこのサブ構造はモジュールと名づけられたが、GMさんはこの生物物理の理論的研究の論文を単独名でNatureに発表されていたのである。当時世界的に大いに注目された業績であった。GMさんは現在母校の大学学長として社会的にも幅広く活躍しておられる。
この座談会に出席された女性研究者の多くは助手クラスであったが、その後各分野で活発に研究を推し進め、それぞれ立派な業績を挙げて教授に昇進された。その中でもう一人取り上げさせていただくのがOTさんで、この方は私が1940年朝鮮に渡る前に神戸で幼稚園に通っていた頃、同じ社宅のご近所さんだったという不思議な因縁がある。OTさんは同じく研究者であった夫君と共に日本を飛び出して米国の大学で私と同じ研究分野の物理化学的な仕事で時代をリードする業績を挙げておられた。たまたま来日中だったので座談会への出席をお願いしたのであるが、OTさんは研究の話に加えてある意味ではエポックメイキングな話題を提供されたのである。今(1980年前後)米国の大学でセクシャル・ハラスメントが大きな問題として取り扱われている、ということで、その実情を報じる大学のキャンパス新聞を回覧された。いずれ日本でも問題になるでしょうから、女性としてはその横行を許すようなことがあってはならないと警鐘を鳴らされたのである。
「ウィキペディア」によるとセクシャル・ハラスメントと言う概念が《日本では、1980年代半ば以降にアメリカから日本に輸入された》と記されているが、この座談会の記事が機関誌「生物物理」に掲載されたのは遅くとも1980年代の始めである。従って日本でセクシャル・ハラスメントが公の形で紹介されたのはこの座談会をもって嚆矢とするのではなかろうかと私は思っている。それはともかく、OTさんが警鐘を鳴らしたように日本でも大学における女性へのセクシャル・ハラスメントが根強く蔓延しており、マスメディアでもしばしば報じられている。職場における男性の女性に対する卑劣な振る舞いこそ今では刑事罰の対象となっているが、セクシャル・ハラスメントを頂点として男性の女性に対する蔑視とは云えないものの、ある種の差別感が大学における女性研究者の処遇に現れているように私は思う。
米国でおいてすら大学や研究機関で女性研究者が採用や昇進で不利な扱いを受けていると云われている。それに関連してMITの利根川進博士が二年ほど前にニュース種になったことがある。「The Boston Globe」は《Eleven MIT professors have accused a powerful colleague, a Nobel laureate, of interfering with the university's efforts to hire a rising female star in neuroscience.
The professors, in a letter to MIT's president, Susan Hockfield , accuse professor Susumu Tonegawa of intimidating Alla Karpova , ``a brilliant young scientist," saying that he would not mentor, interact, or collaborate with her if she took the job and that members of his research group would not work with her.》のような記事を載せている。本当に女性差別があったのかどうか真偽は定かではないが、このように11人の女性教授から女性研究者のMITでの採用を利根川博士が妨害したと訴えられた事実は残る。そしてこの2006年をに利根川博士は突然MITのThe Picower Institute for Learning and Memory所長の職を辞している。
男女共同参画白書平成20年版にある「研究者にしめる女性割合の国際比較」を見る限り、日本の大学・研究機関で女性研究者の採用・昇進に関与する立場にある男性の意識がこの30年間に大きく変わったとは私には思えない。
保育所のような女性研究者が働きやすい環境を整備するにはある程度お金があればよい。しかし女性研究者を採用する際に、育児休暇や子育てなどで女性が時間を取られることを一切問題にせずに、ただ研究者としての資質のみで判断するように男性の意識を変えることは至難の業のような気がする。場合によれば保育所を作るよりも男性の意識改革のための教育プログラムを走らせる方が先決であるかも知れない。採用・昇進に公正な選考プログラムが動き出せば、ことさら女性優遇策を採らなくても女性研究者の割合が自然増加することは疑いなしと私は見る。北京五輪での女性の活躍を観れば誰でも納得できるのではなかろうか。