日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

平成の拳銃狩りを

2007-05-24 14:29:10 | Weblog
愛知県長久手町で5月17日から18日にかけて発生した立てこもり事件の犯人が、両手にそれぞれペットボトルとビニール袋?も持って投降してくる場面をテレビで観た。警官隊が犯人に拡声器で呼びかけている。その口調が何とも穏やかで、まるでスピード違反の調書を取っている警官の口調と変わらない。

その程度で驚くのはまだ早かった。警官が犯人に何か指示した後、あろうことか「ありがとう」なんて云うのを聞いて、目を白黒させてしまった。凶悪犯に話しかける時のマニュアルがそうなっているのだろうか。こんな調子で携帯電話を通じて犯人と交渉していたのかと思うと、事件解決に29時間もかかったのが分かるような気がした。安保闘争や浅間山山荘事件の時のような機動隊の凛とした命令や号令を懐かしく感じた。

29時間は長すぎたが、それより拳銃で撃たれて犯人宅の前で倒れた負傷警官が5時間も救出されずに放置されたことには唖然とした。日本中がこの警官隊の不甲斐なさにいらだったのではないだろうか。それほど時間をかけたのも、万全の態勢で臨むためなのかと思ったら、いよいよ救出作戦が開始されるやいなや機動隊の特殊部隊(SAT)隊員が射殺されるという最悪の事態になり、ただただ言葉を失った。

作戦の成否の鍵を握っているのは現場の最高指揮官である。現場で一体どのような判断をし指揮をとっていたのだろう。負傷警官の救出には銃弾の飛んでくることを予想して、銃弾を跳ね返すような移動式の防護壁を準備すればそれで済む話と素人の私は考えるが、その様な装備すら無かったのだろうか。5時間を無為に費やした経緯の中で指揮官の姿が浮かび上がってこない。そもそも指揮系統が確立していたのだろうか。もし指揮系統がはっきりしているのにもかかわらず、この事態を招いたのであれば、現場指揮官が無能だったと断定せざるをえないが、実情はどうであったのだろう。いずれにせよ時間をかけたにもかかわらず新たな犠牲者を出したことは明らかに警察の失態で、林警部はその犠牲者でもある。林警部の死を悼むマスメディアの報道に、指揮官の責任追及の姿勢が伴わないのが不思議である。

犯人逮捕に向けて装甲車?の後に身を隠した警官の群れが車と共に動き始めた時に、宵闇の暗さもあってか警官隊が私の目には烏合の衆に映った。烏合の衆を新明解辞典(第五版)は《おおぜいの人の、規律・団結力の無い寄り集まり》と説明している。機動隊のおのおのは職業意識に徹した隊員なのであろう。ピリッとした指揮官不在に対するいらだちが、私の目を曇らせたのかも知れない。

それにしても家の中のもめ事に拳銃が顔を出すとは怖ろしい。日本全国で5万丁に及ぶ拳銃が不法に所持されていると報道されていたが、秀吉の刀狩りではないが、平成の拳銃狩りがなぜ出来ないのだろう。今回の事件でも犯人が拳銃を隠し持っていることを家族が知らなかったとは考えにくい。拳銃を持っているからこそ「キレるとこわい」と家族の一人が警察に保護を求めたのであろう。密告と言えば聞こえが悪いが、家族の協力が有効であると思う。家族が拳銃不法所持を警察に申告すれば、不法所持者は罪一等を減じるなどの扱いが出来ないものだろうか。しかし今回は家族から拳銃が「おもちゃ」と伝えられたと聞く。事実を知りながら偽りを述べたとすると、これは明らかに犯罪に荷担したことになり、厳しく罰せられるべきではなかろうか。

一事が万事、今回の事件はものの見事に愛知県警の平和ボケぶりを炙り出してしまった。