日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

相国寺承天閣美術館若冲展と図録

2007-05-16 16:06:30 | 音楽・美術

5月14日(月)JR京都駅近くのセンチュリー・ホテルで開かれた関西三坂会が終わってから相国寺に急いだ。伊藤若冲展を観るためである。会場の承天閣美術館に着いたのは午後3時過ぎ、閉館は5時である。

13日に始まったので二日目、行列を覚悟してきたが、会場入り口まで結構長い通路を歩むが前に人はいない。ようやく入り口に辿り着いて即入場、待ち時間ゼロであった。22日間の会期中無休なのだが、月曜日は美術館はお休み、と思い込んで来館を控えた人が多かったせいかも知れない。客入り具合もほどほどで、ゆっくりと展示品を鑑賞できたのが良かった。

お目当ては第二会場の壁面を埋め尽くした「釈迦三尊像」三幅と「動植綵絵」三十幅の計三十三幅である。正面に「釈迦三尊像」三幅が、その両脇に十五幅ずつ並んでいる。「釈迦三尊像」は一幅が215.0×110.8cm、また「動植綵絵」は一幅がほぼ142×80cmと文字通り大作である。この三十三幅がものの見事にピタッと納まっているのに感心したが、それも道理、この展示場がその為に作られたとのことである。臨済宗相国寺派管長の有馬頼底氏が「この承天閣美術館は、昭和五十九年に完成したんですが、実は、設計プランを立てる時から、この寺に残っております若冲作の「釈迦三尊像」の三幅を中心に、その両サイドに十五幅ずつが並ぶという構想を前提に設計しました」と語っておられる。

「釈迦三尊像」は相国寺に残っていたとして、では「動植綵絵」はどこに所蔵されているのかというと宮内庁三の丸尚蔵館なのである。若冲がこれら全三十三幅を亡き家族と自分自身の永代供養を願って相国寺に寄進したのち、相国寺は年に一度の観音懺法(かんのんせんぽう)という儀式で公開していたのである。

ところが「動植綵絵」三十幅が明治二十二年三月に宮中に献上されて、相国寺には保存費として一万円が下賜された。現在の金額にすると何百億円に相当する。このお蔭で明治維新後の廃仏毀釈の波にさらされていた相国寺の一万八千坪の敷地が維持された、というから、相国寺にとっては若冲様々なのである。明治宮廷も味なことをしたものだ。

このようにして別れ別れになった三十三幅が今回、相国寺の「開基足利義満六〇〇年忌記念」ということで百二十年ぶりに一堂に会したとのことである。

後は実物を観るだけである。若冲が生き物を自分の目で納得のいくまで観察し、それを形と色で表現する。大きな画面を埋め尽くすその精緻さに、これが人間業か、とただただ驚嘆するのみ。しかしパワーに圧倒されてから徐々に自分を取り戻してくると、今度は画の持つエネルギー我が身にドクドクと流れ込むのが分かる。精神が高揚するのである。

図録がなかなかよい出来である。画幅の形に合わせてか、26.5×30.5cmのやや縦長の判型で、三十三幅がそれぞれ一頁を占めている。また部分図も十四頁あって、若冲の精緻な技を十分に堪能できる。実に細かいところまで再現されている。あら探しのつもりで虫眼鏡で覗くと、細緻さがますます浮き上がってくるのだから驚く。もちろん第一会場の展示品を含めて、すべてが図録に収められている。造本もしっかりしておりこれが2500円とは極めてリーズナブル、インクの匂いがまたよい。

ところで最新のデジタル画像複製技術で、原寸大のプリントを一般に提供して貰えないものだろうか。実費プラスアルファが5~10万円程度なら、希望者が殺到するのではなかろうか。こういう味なことを今度は平成宮廷に期待したい。