日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

一弦琴「井手の花」

2007-05-19 10:51:13 | 一弦琴
             詞  不詳
             曲 真鍋豊平

  井手へとは 思ふものから
  道遠み 植えてわが見る
  山吹の花
  折りかざす 春の暮


《【井手】京都府南部の地名。木津川に注ぐ玉川の扇状地にあり、奈良へ至る交通の要地。井手左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)が別荘をおいた所。ヤマブキとカエルの名所。歌枕。》(日本国語大辞典、第一版)

《いでの花(はな) (昔、井手の里がヤマブキの名所であったところから)「やまぶき(山吹)」の花の異称。転じて、黄金をもいう。》(同上)

橘諸兄は奈良時代の人(684~757年)。その後、井手は古今和歌集(913年)、後選和歌集(956年)、大和物語(957年)、狭衣物語(1077年)、袋草子(1159年)、新古今和歌集(1205年)、伊勢物語(平安中期)などの作品に顔を出しており、その故事は後世の文人には周知のことであったのだろう。

一弦琴を奏でる楽しみの一つは、昔の人に心を通わせることである。真鍋豊平が「今様」と「須磨」に始めて接したのが1830年頃と推定されている。それ以来延べ何千人の人たちが、「今様」、「須磨」を唄ってきたことだろう。嬉しいとき、悲しいとき、忙しいとき、暇なとき、どのような状況で、どのような気持ちで唄っていたのだろう。私の唄に「これこれ、そんな勝手な唄い方をしたらいけないよ」なんて声も聞こえてきそうだし、「なんだか無理をして低い声をだしているね。そんなの聞き苦しいよ。唄いやすいように唄いなさい」と親切に云ってくださる声も聞こえてくるようだ。

それはいいのだけれど、先日若冲展の「動植綵絵」を観て受けたような感動に類するものを、一弦琴演奏で人に伝えることが出来るのだろうか、と考えると、虚脱感が先立ってしまう。ちなみに伊藤若冲が没したのが1800年、真鍋豊平の生誕は1806年なのである。

実は昔の人の演奏技倆に現代人は到底到達できないのではないか、との思いを最近抱くようになった。いずれ私なりの考えをまとめるつもりであるが、よろしければ先ずはお耳汚しながら私の演奏をどうぞ。


追記(5月20日) 花(ハナ)がアナに聞こえる。発音もよろしくないし、息づかいももう一つ。それで唄い直してみた。