「ウェブ進化論」(筑摩新書)が評判だと云うことで買ってみた。私もご多分に漏れずWindows XPを載っけたPCとGoogleをいろいろと検索に利用しているが、この本はWindowsやGoogleの扱い方ではなくて、人間の知的活動にPC(+OS)とGoogleがどのように関与するかを教えてくれる。
ネットの「こちら側」と「あちら側」という話が出てくる。「こちら側」は《インターネットの利用者、つまり私たち一人一人に密着したフィジカルな世界》であり、「あちら側」とは《インターネット空間に浮かぶ巨大な情報発電所とも云うべきバーチャルな世界》なのである。「なるほど、なるほど」と頷く。
「こちら側」のことは分かりやすい。目の前にあるパソコンのことだから。「あちら側」もネットを介してアクセス出来る諸々の情報と受け取ればそれだけのことであるが、世の中には全世界の全情報を取り出しやすい形で組織化しようと考えた人がいるらしい。いわば人間の『脳細胞』を人工的に作り上げることに相当するのだろう。しかしどのような原理で組織化しようとするのかそれは分からない。
私のブログへのアクセス解析をたどってわれながら驚いたことがある。Googleで(green grass the old home town)をウエブ全体から検索するとなんと私のブログ記事が1010万件の検索結果の第4位に出てくるのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/b1/9795307dc5eac48e38910d37e093302d.jpg)
また(在朝日本人)を検索すると206万件の第1位にランクされてくる(3月21日午前10時現在)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/9d/a54cc288f0a5290091dfc1f511600632.jpg)
自分の発信した結果が人の目に触れやすい形で検索結果に出てくることは嬉しい。しかしそんなに値打ちのあることを書いたという自覚もないのに、どういう基準で百万とか千万とかいう大層な数の記事の中から私の記事が上位にランクされたのか、その理由が分からないのである意味では不気味でもある。このランク付けの裏にGoogle独特のノウハウがあり、それで情報を組織化しているのであろう。しかしその仕組みを明かさずに結果だけを示されるのでは『神のお告げ』と変わりない。
「こちら側」を築き上げた代表がマイクロソフトのビル・ゲーツで「あちら側」を作りつつあるのがグーグルのセルゲイ・プリンとラリー・ページだそうである。と、もっともらしく引用したが、私はプリンとかページいう人の名前はこの本で始めて知った。元来日常品を使用するのにそれを作っている会社の創始者の名前なんか知る必要はなにもないからである。
著者がビル・ゲーツにセルゲイ・プリンとラリー・ページの名前をわざわざ取り上げているのは余人の考えつかないものを作り出した彼らが大天才ということをただ云いたかっただけかも知れない。しかし私にはビル・ゲーツはともかく『神のお告げ』を作り上げる後の二人は大魔神のように思えてくるのである。
全ての情報を公開するとの大義名分はいいものの、公開するにあたってのたとえばランク決定法も同時に公開されないことには真の情報公開にはなっていない。「こちら側」も「あちら側」もとどのつまりビジネスがらみである以上、『オープンソース』も限界があるということだろうか。ランク付けは情報操作そのものである。利用者が納得できる原理・原則でランク付けがなされているかどうか、それを隠されては話にならない。
時代は「こちら側」から「あちら側」へと進化してきてさらには『あらぬ側』に進むのであろうが、『情報管理』を他人任せにしないことが『個』をもつ人間として生き残る最低限の条件であるように思った。著者の意図とは異なるだろうがこのことを考えさせただけでもこの本は刺激的であった。