日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

哲学者の道への道(1)

2004-10-15 15:55:57 | 海外旅行・海外生活
別に思索するためではないが、京都に住んでいた頃「哲学の道」を四季折々よく散策した。小間物屋風の土産物店などをひやかすのも面白いし、時には床几に腰を下ろして甘酒、おぜんざいを味わうのもいい。「マクベス」の冒頭に登場する魔女かとおぼしき老婆が注文を聞きに来る廃屋風のカフェーに立ち寄るのも一興である。

今は銀閣寺町から若王子町にいたる疎水沿いの道が「哲学の道」として知られているが、もともとは疎水の東の山際の道が、ハイデルベルグにある「哲学者の道」と地形が似ているためにそう呼ばれた、との説もあるらしい。

今回のドイツ旅行で目指した場所の一つがこの「哲学者の道」であった。ハイデルベルグにはおよそ30年前に一度訪れたことがあったが、その時は古城を訪れ街をぶらついたただけで、古城からネッカー川を挟んだ対岸にあるこの場所に行きそびれたからである。(理由はまたおいおいと述べる)

フランクフルトからジャーマンレイルパスを利用してハイデルベルグに到着、徒歩でまず古城に向かった。行き当たりばったりに街を通り抜け、川辺に出たり、マルクト広場にたどり着いてから古城に登った。私には再訪になるが、妻が初めてだったのでサービスをした次第である。昔はガイドツアーで古城跡から地下酒場のような所に入っていった記憶があるが、今回はその代わりに薬学博物館を見学した。壁面一杯にならべられている権威の象徴のような数多の薬瓶を眺めては、もし自分がこの時代に生きていたなら、いかにもお金がかかりそうなこれらの恩恵に浴することができたのかどうか、心許なく思った次第である。

ネッカー川の対岸のほぼ同じ目線のあたりがどうも「哲学者の道」のようである、と見当をつけて目指すことにした。古城から坂を下りマルクト広場を過ぎて立派な塔が端に建っている橋を渡って対岸に出た。どこかに表示でもあるかと目をこらしてみると、余り大きくはないが矢印で方向を指した掲示板を妻が見つけた。となるともう少しで登り口にさしかかるはずだ、と川沿いに歩いていっても、なかなか登り口らしいものに出会わない。幾らなんでもおかしいと思い掲示のあった場所に戻ると、案内板の直ぐ角の細い道がどうも登り口のようであった。

私の感覚では道しるべなるもの、まず手前に予告があるべきなのである。ところが私の気のせいかドイツではその箇所に目立たないように印があるだけ、見つけたら即反応しないといけないようだ。他二三の場合にも同じような思いをした。

それに登りの道幅があまりにも狭い。まさに路地であって、まさかこれが世に喧伝されている「哲学者の道」へ通じているとは思えない。それに足を踏み入れて坂を上り始めるにつれて、ひょっとして間違いじゃないのかとの思いが深まる一方である。勾配が大きい。道はくねくねと曲折が激しいから前方の視野が極めてせまい。見通しがきかないだけよけいに不安になる。汗が噴き出してくるし息は荒くなる。妻が引き返そうかと言い出した頃、展望台のようなところが目に入った。ということはやはり間違いではないようだ。

このような休憩所が全部で3カ所あったと思う。それぐらい長い道のりなんである。私どもが休んでいると、若い東洋の青年が飲料水のペットボトルを片手に元気よく通り抜けていった。さあ、どれぐらい時間がかかったのだろう、ようやく登り道の終点が目に入ってきてほっとした。

躍り出た先はなんのこともないアスファルトの変哲もない道、川側に無粋なパイプの手すりがある。道ばたのベンチに、先ほど勢いよくわれわれを追い越していった若者が、精も根も使い果たした風情でぶっ倒れていた。ここからの眺望はさすがに見事。道のほとりにここが「哲学者の道」と呼ばれる由縁をしるした案内板があった。

私が思うにこの道は眺望を愛でるにはうってつけであろうが、思索しながら歩くような雰囲気のところではない。それよりも私たちが辟易した急坂を毎日上り下りすることで、剛健な思索者としての体力を養ったことに、「哲学」ならぬ「哲学者」の名称の起源があったのだろうと一人で納得した。

始めに述べた「地形類似説」、この方の信憑性がどうも高いように私は思う。
これが私の思索の成果である。