日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

ベルリンで救急車に乗る

2004-10-04 13:13:16 | 海外旅行・海外生活
妻の頭は仰々しく包帯で巻かれ両手は血染めになっている。赤い革ジャケットのところどころに血が付着して盛り上がっている。救急車は音もなく走る。エンジン音はあるけれどサイレンを鳴らしていない。そこでふと思った、一刻を争う大事ではないようだ、と。徒歩で回るはずだったところを救急車の窓越しに眺めている。人生、何がどう転ぶものやらまさに予断を許さない。

病院に到着して妻は直ぐに診察室に導かれ、私は手続きを進めるために受付の女性と向かい合った。救急車が走り出す前にすでに救急隊員から氏名、住所とか滞在しているホテル名などを聞かれていたが、ここでも同じようなことを聞かれた。救急車ではクレジットカードを持っているかと聞かれ、病院での支払いを心配してくれてのことと思い、持っていると答えると、それで納得してくれた。案の定、病院ではそのカードを出して下さい、といわれる。説明によると何はともあれ初診費用として50ユーロを払わないといけないとのことである。まずダイナーズを出すとそれは駄目で、次に出したVISAを受け取って貰えた。

ドイツ語でやりとりするようになればおおごとだなと案じたが、すべて英語で用が足りた。ネイティブ・スピーカーでないだけにかえって分かりやすい。日本の病院の窓口で、外国人が英語で話しかけた時に直ぐに英語に切り替えて応対できるような係員が配置されているのかどうか、ちょっと気になることであった。

連れて行かれた病院は、支払い手続きの書類を見るとCharite -Universitatsmedizin Berlinとあるので、大学の付属病院であることは分かった。さらに場所がCampus Virchow-Klinikumとある。ウィルヒョウといえばあの19世紀の著名な病理学者ではないか、とするとこれはベルリン大学医学部の付属病院と云うことになる。森鴎外もかって留学したことのある大学だ。いろんな歴史にも関心を持っていた私にとって、思いがけなくも運転手付きの車でこの由緒あるところに連れてこられたのはラッキーなこと、災いを転じて福となす、である。なんとなく歴史上の人物に連なるような気がしてきた。ベルリン大学は戦後は東ドイツに入れられ、フンボルト大学と呼ばれるようになり、現在もその名称を引き継いでいる。

手続きが済んで診察室に案内された。妻は既に治療を終え、大袈裟な包帯は除かれ大きめのばんそこうが右額に貼り付けられている。ベッドに横たわっている間に医師から説明を受けた。単なるかすり傷で深くはなく、綺麗に洗って消毒をしたし出血ももう止まっている。吐き気に嘔吐、ものが二重に見えることもないし頭痛もなし、首なども自由に動くし頭骨の異常はなしとのこと。破傷風の予防注射を受けたことがあるかと尋ねられたので、無い旨を答えると、念のためにしておこうという。浅い傷だから必要はないとは思ったが、10年間有効、に釣られてウンと云ってしまった。気の毒に、痛い目にあうのは妻である。

出血のひどさにまず頭に浮かんだのは、もし入院ということになって、旅行を中断することになったらどう対処しようか、ということであった。嬉しいことに、医者は旅行には支障はない、ただ、三日ほど何か異常が起こらないかを注意するように、もしその時は直ぐに病院に来るようにと云ってくれたので、やれやれと胸をなで下ろした。B型人間で日頃頑固振りを発揮する妻(全国のB型女性諸姉へ あなたのことではありません!)に辟易の私も、今回ばかりはその石頭に心からなる敬意を払ったのである。元気も戻ってきたことでもあるし、今日は帰ってホテルで静かにするように、との声に送られて意気揚々病院を後にした。もっとも妻は、若くてハンサムな男性医師二人に大事にされたものだから、実はもっと居りたかったらしい。私はハッとするような美人医師ともっぱら話していたから、これはどっこいどっこいである。

ホテルの自室に戻ったら早くも救急車の請求書が届けられていた。ドイツでは救急車が有料だったのである!