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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

一弦琴「漁火」 あるお遊び

2006-11-16 17:38:16 | 一弦琴
「漁火」は一弦琴の名曲である。

  もののふの 八十氏川の
  網代木に いざよふ波の
  音澄みて 影もかすかに
  漁火の あかつきかけて
  汀なる 平等院の 後夜の鐘に
  無明の夢や さめぬらむ

詞は不詳とあるが、万葉集にある柿本人麿の

  もののふの 八十宇治川の 網代木に
    いさよふ波の 行くへ知らずも

が元歌になっているのであろうか。人麿が近江の国から上ってくるときに、宇治川の辺りまでやってきて作った歌である(万葉集 264)。

作曲者は松島有伯で、宮尾登美子著「一絃の糸」に実名で登場する。この小説の主人公、沢村苗の一絃琴の師であった門田宇平(実名)の師範代であり、宇平の没後、苗が師事することになる。盲目で京からのお人という以外に素性が分からないかなりの変人として描かれている。

その教授法はユニークである。「一絃の糸」ではこのようである。

《・・・宇平の塾で、教え方と云えば一曲をいく段かに分け、少しずつ口移しで伝えるのが定石と云うもので、琴譜はあってもそれは家で一人浚えるときの手引き、と云うかたちだったのに、ここでは先ず有伯が歌詞を読み、次に弾いてみせてからすぐそのあと、
「さ、今度はそなたじゃ、今のを自分流に弾いてみなされ」
と早速に促される。師の演奏をうっとりと聞いていた苗はそう急に云われても手も足も出ず、居竦んだ儘琴に触れられもせずいるのを、破れ鐘のような怒声は遠慮会釈もなく苗の頭上に落ちてくる。
「いったいそなたはここへ何しに来られた。私の物真似なら稽古はお断りすると最初から申してある。性根を据えておれば自分なりに弾けぬ事はない筈」》

いつも師匠から「あなたのは○○(私の姓名)流」と注意される私も、有伯の弟子ならひょっとして勤まったのかも知れないと秘かに思うが、それはさておき、この有伯が「漁火」を作曲して苗に伝授する。

苗のモデルは高知系一絃琴を広めた島田勝子(1850-1930)であろうと思う。江戸末期から明治時代にかけて、一絃琴を全国に広めた真鍋豊平(1809-1899)に師事した。「清虚洞一絃琴」の流祖徳弘太(とくひろたいむ)とは相弟子になる。

苗は養女を貰った。小説では稲子で、島田勝子の養女、島田寿子がそのモデルであろう。驚いたことに、その島田寿子が演奏した「漁火」のテープが残っており、それがウエブサイトに公開されていることを、ほんの数日前に知った。

私は何年か前に定例の演奏会でこの曲を演奏したが、同じ曲でありながら演奏の趣が大きくことなる。とくに後半の琴の音が弾んで流れるところに、夢の中、迦陵頻伽の舞を連想した。

「一絃の琴」の考証では、「漁火」は作曲者松島有伯が島田勝子に直伝し、勝子が養女寿子に伝えたことになる。となると「漁火」の演奏はこちらが本家であろう。そこで「清虚洞一絃琴」の流れに連なる身ではあるが、両者を取り混ぜた私流の演奏を試みてみた。至って稚拙で、寿子女史の枯淡にくらべるべきもないが、それだけにこれからの精進のしがいがあるというものだ。

追記(11月20日)
少し稽古を重ねての演奏に昨日差し替えた。稚拙さを僅かでも克服できたかなとおもっている。声がかすれているのは、早くも枯淡の境地に到達したのではなくて、ただ喉を少々傷めているからである。自己採点ではいいところ75点なり。

追記(11月22日)
少しは進歩したかと演奏を差し替え。今度は76点。

一弦琴「牡丹」

2006-11-10 17:02:11 | 一弦琴
山城一水 作曲 花崎采えん(王扁に炎)訳詞、昭和の曲である。

 鳳凰さし対ふ 金襴の衣
 一夜の雨に ぬるる牡丹花の
 鏡にうつる 爽やかな そがよそほひ
 鬢かろく張る 細おもて
 画楼(おばしま)に 眺め久しき ものおもひ
 てすりの外の 糸柳
 まてど戻らぬ おとづれや
 ひがんの燕 飛びめぐる

このように想ってくれる人がいるなら、私ならホイホイと戻っていくものを。

今年の演奏会でこの曲を奏でたが、不満足の出来だったので、男性版で唄い直してみた。全曲演奏の公開は今日の深夜までとさせていただく。その後は部分演奏に変更の予定。

一弦琴「秋の御幸」男性版

2006-11-08 16:15:58 | 一弦琴
現在の一弦琴の調弦は女性向きにされている。

大西一叡著「一弦琴 一つ緒のみち」(京都修学社)に次のような記述がある。

《東京の糸は、関西にくらべて、やや太めである。しかし、関西でも、明治ごろまでは、今よりも、太い糸を使っていた。もともと男性によって弾かれていた一弦琴が、明治時代になって女性にとってかわられるようになると、声に相応して、糸も細くなったようである。細ければ細いほど、音は軽く、優美にきこえる。》(84-85ページ)

その結果として、現在の調弦では、弦の振動数と女声の振動数は同調するが、男声は2オクターブも低い振動数の音声で歌うことになってしまう。明治時代以前の弦は今より太かった、と云うことなので、取りあえず邦楽器店で一番太い絹糸の弦を買い求めて張った。ちなみに直径は1.0ミリ、従来のが0.75ミリである。

その張り方であるが、一番低い音である一弦琴の開放弦(0)を、自分の歌える一番低い音に合わせた。調子笛でFシャープ(十)の2オクターブ下、振動数では92ヘルツである。「十二」の徽を押さえて弦を弾くと2オクターブ上の声を出すことになるが、それでも一点fis、370ヘルツである。これより高音を出す曲は滅多にないので、最低音を引き揚げるつもりでG(98ヘルツ)で調弦してもいいし、逆に高音の部分を1オクターブ下げて歌うつもりなら、A(110ヘルツ)で調弦しても良いと思う。

弦を太くしたことで弦の振動数と音声の振動数が一致するようになった。そして弦の響きに落ち着きと深みがあるように感じられる。倍音の寄与が効いているのだろうか。「秋の御幸」をFシャープの調弦で唄ってみた。

一弦琴「泊仙操」 調弦法を変えて唄う

2006-11-02 13:13:31 | 一弦琴
一弦琴の定期演奏会は毎年10月最後の日曜日にある。今年こそ最後の舞台と意識しすぎたのか、私の演奏曲目「牡丹」の出だしを失敗した。プロでなくてよかった、というのが私の言い訳である。

それはともかく、この日は同門の方と年に一度の顔を合わせる日でもある。全員女性の中なので緊張はあるが、次第にうち解けていろいろとお話しできるのが楽しい。そこで現在の調弦で低音の部分が唄いにくくはないか、と言うようなことをお聞きした。すると戻ってきた返事は「そんなことはありません」であった。「やっぱり」と思った。現在の調弦は女性向きで男性向きではないのである。女には分からぬ男の悩みを私一人だけが苦しんでいたのである。どこが異なるのか。

現在の調弦は開放弦を音階でDの高さに合わす。調子笛ではその振動数が294ヘルツで、高音記号付き五線紙で「レ」の音に相当する。

この調子笛に合わせて女性が声を出すと振動数は290ヘルツ前後であるが、私が同じように声を出すとこの半分、145ヘルツ前後になる。ところがこれまで私は一弦琴の「六」の徽を押さえて弦を弾くときに、この高さの声を出しているのだ。だから開放弦「0」を弾く時に、私は振動数が73ヘルツの声音を出さなければいけないことになる。

私の声の音域は一応テナーである。声域は振動数で大体110ヘルツから370ヘルツの範囲で、この範囲だと唄っていても気持ちが良いし聴いていただくのにもいいかと思う。ところが「0」で73ヘルツ、「三」でも83ヘルツは私の気持ちよく唄える声域外である。女性にはかかわりのない領域なのである。

男にしか分からぬ痛み、それを癒すには女性を当てには出来ない、とばかりに、遅まきながら私が気持ちよく唄える男性向けの調弦を行った。そして「泊仙操」の「秋」と「冬」の出だしを唄ってみた。女性向けの調弦で1オクターブ高く唄った前回のと較べていただきたい。いかに男性が無理を甘受してきたかが分かるであろう。

一弦琴はかっては男のなすことであった。それが女に取って代わられたときに、調弦法に変化があったのかどうか、私は変化があったはず、と推測するが、歴史的な考察はこれからの課題である。

「フーテンの風子」と一弦琴

2006-10-09 10:19:20 | 一弦琴
土曜日(10月7日)のBS映画、「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」は安心して観られた。中原理恵の演じるマドンナが、はやばやと「寅さんがもっと若かけりゃ結婚するんだけれど」なんて云ってしまうからである。寅さんは遠慮なく騎士(ナイト)になりきれると云ったもんだ。

このマドンナはツッパリの「フーテンの風子(ふうこ)」、アレッと思った。この風子は母の愛用した『筆名』でもある。この名前で朝日新聞の「かたえくぼ」などにも登場した。川柳を愛した母のことゆえ、風刺の意味もこめたのかも知れない。

その母の川柳句碑が岡山県久米南町にある川柳公園にぽつねんと立っている。

     距離おいて聴く風の音水のおと

今日の秋晴れ、丘を吹き抜けていく風の音に耳をすませているようだ。

一弦琴にその句をのせ、「風音」と名付けてみた。

一弦琴「泊仙操」から

2006-08-30 14:59:34 | 一弦琴
「清虚洞一絃琴」の流祖徳弘太(とくひろたいむ)(1849~1924)の作曲になる大曲で、演奏時間は20分を優に超える。

  われは誰が 子なるや 知らず 
  白川の 奥の岩窟(いはや)を假の宿
  すめる心は孫登(そんとう)が たぐひならねど
  ひとつ緒の琴 かきならす楽しさよ

    山中 佳趣 四時多 
   (さんちゅう かしゅ しじおほし)
    清韻伴絃 何最好
   (せいいん ともなふげん なにをかもっともよき)

  春は梢に ももどりの さへづる声も のどかなり
  夏は谷間に 真清水の 岩にせかかる 音涼し
  秋は草葉の 夕露に あはれを添ふる 虫の声
  冬は時雨の 降るなべに 落つる木の葉の 音わびし

  いつか冬暮れ また春に とし立ちかへり 立ちかへり
  渓壑(けいがく)の興 かぎり知られず

この曲を教えていただいただけでも、一弦琴を始めた甲斐があったと思っている。
人生と四季、とても素直に唄える。余生をかけてこの曲をものにしたいものと、折に触れお浚いに励んでいる。
まさに「ひとつ緒の琴 かきならす楽しさよ 」である。

季節にちなみ「秋」を浚ってみた。

一弦琴「秋の御幸」の再演

2006-08-18 00:12:05 | 一弦琴
前回に唄った「秋の御幸」は自分で聴いていても、どうも陰々滅々に感じる。それに琴の調子もよくない。しばらくお浚いを重ねて再演を収録した。

声を前に出さずに・・・、とよく注意されることもあって、陰々滅々を少しでも明るくしようと思っても、まさかカンツォーネのように歌うわけにもいかない。そうかと云って唄の風情を昔人のように表現できる境地には、命のある限り到達できそうもない。
古の情緒を自分なりに表現したいなんて、そもそも大それた願かも知れない。

一弦琴「秋の御幸」のお浚い

2006-08-13 11:46:56 | 一弦琴
曲は真鍋豊平、詞は不詳となっている。

 秋のみゆきは ゆたかなものよ
 月よ紅葉よ 刈萱の
 ひとりみだれて 大井川
 昔しのばぬ 夜半もなし

大堰川を訪れ、いにしえの殿上人の物見遊山に思いを馳せると、その世界に自分もワープしたくなって心が騒ぐ、との意であろうか。

たんに懐古の情に浸るのではなくて、そこに自分も入っていきたいとするなら、唄に躍動感も欲しくなる。

一弦琴の習い始めにこの唄が出てくるので、その頃は歌心をつかんで唄うなんて余裕は皆無、ただひたすらお師匠さんの後を追いかけるだけであった。

久しぶりにお浚いをしたが、記憶の確かでない箇所がところどころあるので、また覚え直さないといけない。日本語の発音にこだわりたいが、理屈先行で実技が伴わないのは毎度のことである。いわゆる洋楽の一音一音符式にならないように意識して唄ったつもりであるが、出来上がるには時間がかかりそうである。


追記 新しい演奏に差し替えました。(8月17日)

一弦琴「浮世草」のお浚い

2006-07-30 11:53:57 | 一弦琴
一弦琴「浮世草」を思い出しながら久しぶりに唄ったのはほぼ十日前である。録音を聞き返すと正直なところヘタである。ヘタであることが分かる分だけ習い始めからは進歩したのだろう。と、自分を勇気づけてしばらくお浚いを繰り返してきたが、今回の出来映えはどうだろう。

一つはしっとり感が少しは変わるかも知れないと思い調弦を変えてみた。

また息づかいも変えた。と言うよりこれは歌い方と関係してくるが、ふだん出来るだけ声量を上げる歌い方をついついしてしまう。というのも、年一回能楽堂で催されるの発表会てのマイク無しの独演をイメージするからである。すると息が続かないものだから、どこか適当なところで息継ぎをしないといけない。が、それを意識するとかなか歌に集中できない。しかし一弦琴の音色はもともと弱々しいもので、それを奏でながら一人静かに座敷で唄うのが筋というものである。そのつもりで唄うと途中の息継ぎを気にすることなく、歌の心を素直に表現できるような気がする。

お師匠さんに始めて稽古を付けていただいたときからかなり時間が経っていたので、ところどころの歌い方の特徴は記憶に残っているが、それを忠実に再現する自信はない。とするとつい譜面を頼りにする。ところが譜面通りに演奏すると記憶とは明らかにことなる演奏になるところが結構ある。たとえば、この曲の終わルところの前回の演奏は記憶を頼ったもので、今回のはやや譜に忠実な歌い方である。元来は両方が一致して欲しいのだが、なかなかこちらの注文通りにはいかないのが悩みの種でもある。

これをお師匠さんの前で唄えば手厳しく直されるような気がするので、ここで隠れ唄い。浮世なりけり、である。

追記 お浚いを重ねているうちに、自分なりのイメージが形づくられていくように思う。これは今日の出来上がりである。(8月3日)