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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

一弦琴「今様」

2007-04-19 12:10:55 | 一弦琴
一弦琴の習い始めがこの「今様」だった。折に触れてお浚いをするが、なかなかしっくりこない。自分のものになっていないからだと思う。精進がまだまだ足りない。あらためて『精進はじめ』の演奏がこれである。


          今様

春のやよひの あけぼのに 四方のやまべを 見渡せば
花ざかりかも 白雲の かからぬ峯こそ なかりけれ

花たちばなの かほるなり のきの菖蒲も 匂ふなり
夕暮れざまの さみだれに 山ほととぎす 名のりして

秋のはじめに なりぬれば 今年の半ばは 過ぎにけり
わが夜ふけゆく 月かげの 傾く見るこそ あわれなれ

冬の夜ざむの 朝ぼらけ ちぎりし山路に 雪ふかし
心のあとは つかねども 思いやるこそ あはれなれ 


追記(4月20日)
今日の演奏に差し替えた。

一弦琴「春の日」

2007-03-24 19:32:24 | 一弦琴
芭蕉の門人、山本荷兮(かけい)がまとめた「春の日」の句に、「清虚洞一絃琴」の流祖徳弘太(とくひろたいむ)(1849~1924)が曲をつけた。

春めくや人さまざまの伊勢まいり        荷兮

 櫻ちる中馬ながく連              重五

山かすむ月一時に舘立て           雨桐

 鎧ながらの火にあたる也           李風

しほ風によくよく聞ば千鳥(鴎)なく       昌圭

 くもりに沖の岩黒く見え            執筆

今日は生憎の雨だったが、春の陽気に誘われて唄ってみた。



一弦琴「朝顔」の再演

2007-03-14 15:03:53 | 一弦琴
前回「朝顔」を唄ってみて、それからお浚いを重ねて唄い直してはアップロードを繰り返したが、まだまだである(2月18日 → 3月3日)。唄が荒っぽい。浄瑠璃で聴いたイメージが強くて、ついついそれを意識してしまうせいだろうと思う。変に力がこもるから粗雑になる、というぐらいは分かっても、さてどうすればいいのか、すぐには考えが浮かばない。

そこで調弦を変え、浄瑠璃を意識しないで唄ってみることにした。どちらかといえば私はこの唄い方の方がいいように思う。

一弦琴「須磨」

2007-03-12 23:20:05 | 一弦琴
久しぶりに須磨寺を訪れた。一弦琴「須磨」の曲が宝物殿から流れてくる。なかなか風情があっていい。唄い方が私の習ったのと少し違うが、琴の演奏はほぼ同じである。

世界大百科事典の一弦琴の項目に《松平四山の「当流板琴大意抄」(1841)では、9世紀に在原行平が須磨に流されたとき、庇の板で一弦の琴を作りつれずれを慰めたので須磨琴と呼ばれて一弦琴の祖となったと記している》と、いわゆる須磨琴伝説が紹介されている。須磨の浦に流れ着いた船板を細工し、冠の緒を張って作ったとの説もある。

謡曲「松風」では、行平が須磨の浦で過ごした間、松風、村雨という二人の海人を寵愛したが、三年後に御立烏帽子と狩衣を形見に残して都に帰り、その後いくらも経たないうちに行平が亡くなった、と村雨に語らせている。

国史大辞典によると、行平は寛平五(893)年七月十九日没す。七十六歳、とある。謡曲「松島」の物語を信じるなら、須磨に住んでいたのがすでに七十歳代になる。それで二人の美女を寵愛したとは私もあやかりたいところであるが、ちょっと事実とは考えにくい。それに行平が須磨に流されたという史実は確認されていないということで、国史大辞典にもそのことは記されていない。

在原行平朝臣の歌として古今集(962)に、この「須磨」で歌われる歌が載せられている。それには題詞がある。

    田村の御時に、事にあたりて津の国の須磨
    といふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに
    侍りける人に遣はしける

  わくらばに問ふ人あらば
     藻塩たれつつわぶと答へよ

事にあたりて、という事件の内容は不明であるが、特に罪人にならなくても、一時都の外に身を潜めた、と受け取ることが出来よう。とすれば、須磨には住んだことになるのだろうが、昔から空想力豊かな歌人は、自由自在にどこにでも飛んでいくから、これでもって史実であるとするわけにはいかないだろう。

さらに行平の作ったとされる一弦琴の弦の材質や、その張り方も気になる。冠の緒の弦では、弾いてもただ震えるだけで、耳に聞こえる音が出そうでない。まあ須磨琴伝説は『神話』として受け取っておればよいだろう。

ところでこの「須磨」こそが一弦琴の最古の曲なのである。中川藍窓の「板琴知要」(1803)にそう記されているそうである。作曲者は不詳となっている。須磨寺で耳にした演奏に刺激されて、私も奏でてみた

一弦琴「玉簪花」(ぎぼし)

2007-03-09 17:17:16 | 一弦琴
山城一水 作曲 花崎采えん(王扁に炎)訳詞、昭和の曲で「牡丹」と対の曲である。

 秋ひそやかに ほかげのうつる 御簾(みす)すずし
 緑のしとねも ふせぎえぬ あけの寒さ
 南楼に ふえの音きこゆ
 おもひやる 壺のぎぼしの 花の萼
 一夜の西風(あきかぜ)に ひらきけむ
 夢よりさめてきく あけ烏 月も落ちぬ
 花の香 幽かにに ただよへる



最近台北に出かけて中国風の寺院を訪れたときになんとなくこの歌を口ずさんだのである。

「玉簪花」の全曲演奏の公開は今日の深夜までとさせていただく。その後は部分演奏に変更の予定。


追記(3月13日)
 お浚いを繰り返して少しはゆとりをもって唄えるようになってきたので、後半の部分であるが、最近の演奏で差し替えた。録音をしていることを意識するとどうもいけない。集中が途切れるからである。どうすれば無心に唄えるような境地に到達できるのだろう。

 ところで先ほどGoogleで「玉簪花」を検索すると、私がこの曲を演奏しているブログが32900件中の第二位に顔を出しているのに驚いた。投稿して四日目なのに、である。少しでも多くの方に一弦琴を知っていただける切っ掛けにでもなれば嬉しい限りである。

一弦琴「朝顔」

2007-02-18 21:27:41 | 一弦琴
NHKの番組で見た人間国宝竹本住大夫がお弟子さんに稽古を付ける場面を、これは『やらせ』であろうと私は思ったが、真偽のほどはどうなんだろう。これに関連して昨日(2月17日)、朝日の朝刊で気になる記事を見た。文楽研究家の岡村志嘉子さんが「私の視点」の欄でこのようなことを述べている。《国立文楽劇場で、文楽の後継者育成の中心的役割を果たしてきた文楽研修生が、在籍者ゼロの非常事態となっている》と。

NHKは芸道精進の厳しさをアピールする意図で放映したのかもしれないが、発想があまりにもワンパターン、竹本住大夫が執拗に弟子を面罵する場面を見せつけられては、よほどの変わり者でない限り、弟子入りを志望者も足がすくんでしまうことだろう。この番組の企画者にそこまでの気遣いはなかったのだろうと思う。

この竹本住大夫出演の「生写朝顔話」(しょううつしあさがおばなし)のことに触れたので、久しぶりに一弦琴の「朝顔」を浚ってみた。なんだか怪しいところもあるが、また折に触れて修正しようと思う。

浄瑠璃の板本から、この歌を抜粋した。

  露のひぬ間の朝顔を、照らす日かげのつれなきに
  哀れ一むら雨のはらはらと降れかし


追記(2月27日)
 少し演奏を変えて唄いなおした。

追記(3月3日)
 さらにお浚いを重ねた。

一弦琴「初春」

2007-01-18 21:08:12 | 一弦琴
松の内は過ぎたが、お正月らしい「初春」のお浚いを重ねてきたので披露する。保津川下りの舟がゴッツンゴッツンと岩にあたりながら流れていくようなぎこちなさがあるが、のどかな気分で唄ってみた。

自己採点では100点満点のいいところ70点。やはりゴッツンゴッツンがいけない。流れに乗りきっていない。そして間延びが聞き苦しい。つまり『つながり』が良くないのである。それにところどころで変な思い入れのある弦の弾き方がいやらしい。

これだけ自分で問題点が分かっておりながら、そうしてどうすればよいのかある程度見当はついていても、なかなか修正できない。先ずは手が独りでに動き出すところまで、身体が覚え込んでいないのが根本原因のような気がする。


追記(1月19日)
昨日の演奏は歌い出しに違和感がある。そこで教本から離れて唄ってみた。
演奏は差し替えた。

追記(1月20日)
リズムに多少乗れた感じになった。そこで少し遊びを入れてみた。
演奏はさらに差し替えた。

追記(1月21日)
遊びを入れたがやはりしっくり来ない。調弦も変えてあらためて唄ってみた。

一弦琴「住の江」

2007-01-10 13:18:17 | 一弦琴
新年に臨んで一弦琴の弾き初めに「住の江」を選んだものの、長い間お浚いをしていなかったので、なんとか思い出しながら一応仕上げた。自分で意識して弾き方を変えたところもあるので、いわば私家版の演奏である。

一弦琴では「住の江」と名付けられているが、元は謡曲「高砂」で、詞は世阿弥元清の作で曲は真鍋豊平。高砂生まれの私にとって縁の深い曲である。

   高砂や この浦舟に 帆をあげて
   月もろともに 出で潮の
   波の淡路の 島影や

   遠くなるをの 沖過ぎて
   はや住の江に 着きにけり

観世流の謡曲を嗜んでいた父が、高砂神社で「高砂」を奉納した時の古い写真が残っている。まだ私となんの繋がりも出来ていなかった頃の父の姿が妙に懐かしい。

追記(9月13日)
私家版の演奏を正調版の演奏に差し替えた。



またまた一弦琴「漁火」

2006-11-30 22:34:51 | 一弦琴
「漁火」を久しぶりに唄ってブログにアップロードしたのが11月16日、それから2週間お浚いを重ねてきた。とにかく弾いてみた、という最初のゆとりのない状態から少しは脱却でき、音楽性もある程度顔をのぞかせてきたように思う。

口幅ったい言い分であるが、音楽をどのように作り上げるか、そのイメージを自分なりにまとめ上げることから、一弦琴の演奏が始まると思う。大きく云えば、オーケストラの指揮者と同じような仕事をしなければならない。その独自の世界を、一枚の板に一本の弦を張っただけの、世の中でもっともシンプルな楽器と、声というもっとも身近な楽器のアンサンブルで作り上げるのだから、なんとも大したものである。

とはいいながら、今のところ「漁火」のイメージの出来は八分で表現は七分足らず。目指す到達点の前途遼遠なのがまたよい。


一弦琴 郷愁の音色

2006-11-22 10:54:59 | 一弦琴
昨日(11月21日)は一弦琴のお稽古日で、いつものごとく京都に出かけた。小春日和とかで穏やかな天候が有難い。

習っているのは昭和の曲で 「玉簪花」(ぎぼし)、オリジナルは漢詩で「牡丹」と同じく花崎花崎采えん(王扁に炎)さんの訳詞に山城一水さんが曲をつけたものである。詞の趣というか風情が私にはぴったりとくる。琴の間奏が三味線をつま弾いているように流れるのが面白く、曲全体がとてもお洒落で弾いていて楽しい。それに音域がやや高音側に寄っているので、従来の女性向きの調弦で私も十分唄える。出来たら年内に仕上げたいものである。

10月29日の定期演奏会の紹介記事が、「一弦琴 郷愁の音色」の見出しと、大きな写真入りで地元の京都新聞に掲載されていた。そのコピーお師匠さんにお願いしていただいたが、写真に「優雅なしらべを披露する一弦琴京都山水会のメンバーら(京都市上京区・河村能舞台)」のキャプションが添えられている。「須賀」を演奏したときの舞台だと思う。私も最後列に顔をのぞかせているのがご愛敬である。