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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

私の大好きな{白鳥の歌」

2007-12-31 09:07:22 | My Song
また五郎部さんと歌ってしまった。若山牧水の短歌三首に古関裕而が作曲した「白鳥の歌」である。

   白鳥は 哀しからずや
   空の青 うみのあをにも
   染まらずただよふ

   幾山河 越えさり行かば
   寂しさの はてなむ国ぞ
   今日も旅ゆく

   いざゆかむ ゆきてまだ見ぬ
   山をみむ このさびしさに
   君はたふるや

私のこれからの人生の道しるべとも道連れともなる歌、そういう想いで歌うと不思議と力が湧いてくる。

2007年も今日で終わり、皆さん、どうかよいお年を!

忙中閑ありで歌った「あざみの歌」

2007-12-30 10:19:30 | My Song
昨日中に年賀状も送り出した。とたんに気が大きくなって家の片付けなど、まだ明日があるとばかりお遊びを始めてしまった。五郎部俊朗さんとのデュエットである。プロを相手に恐れ多いことであるが、歌唱法の勉強にはもってこいである。アップロードするのは音楽著作権とかなんとか難しい話もあるかもしれないが、年忘れと言うことでお目こぼしをいただこう。

クリスマスイヴに歌う「おお 愛しの恋人よ」

2007-12-24 23:24:10 | My Song
別にクリスチャンではないけれど、練習を始めて少しは歌えるようになったかな、と思えるようになったのが12月24日のクリスマスイヴ、というだけのことである。

                
    O del mio dolce ardor

       Christoph Willibald Gluck 作曲

  O del mio dolce ardor bramato oggetto,
  l'aura che tu respiri, alfin respiro.
  Ovunque il guardo io giro
  le tue vaghe sembianze
  amore in me dipinge:
  il mio pensier si finge
  le più liete speranze;
  e nel desio che cosi m'empie il petto
  cerco te… chiamo te… spero e sospiro.

オペラ「オルフェとエウリディーチェ」で知られるGluck(1714-1787)の同じくオペラ「エレーナとバリーデ」の中のアリアで、演奏会などでも歌われる。

伴奏のDELL嬢はいつもながら私の思い入れには無関心にただ淡々と弾いてくれる。折り合いをつけるのがなかなか難しい。私が譲ればいいのだが・・・。

「音楽著作権法」をかいくぐり歌った「Der Lindenbaum」

2007-10-21 18:36:11 | My Song
月に2回ヴォイストレーニングを受けている。その間、ほとんど声を出さないから進歩はない、ただ退化をかろうじて防いでいるつもりである。

昨日(10月20日)、例年より一月以上も早く勉強仲間のリサイタルがあり、私もシューベルトの「菩提樹」を歌った。練達のピアニストが伴奏をシュタインウエイピアノで弾いてくれたのに、舞台では一カ所歌詞を誤魔化したのが残念だった。そこで帰ってきてからDell嬢の伴奏で歌い直した。お耳汚しでよろしければどうぞ。

     Der Lindenbaum

Am Brunen vor dem Tore da steht ein Lindenbaum;
ich träumt' in seinem Schatten so manchen süßen Traum.
Ich schnitt in seine Rinde so manches liebe Wort;
es zog in Freud und Leide zu ihm mich immer fort.

Ich mußt' auch heute wandern vorbei in tiefer Nacht,
da hab ich noch im Dunkel die Augen zugemacht.
Und seine Zweige rauschten, als riefen sie mir zu:
komm her zu mir, Geselle, hier find'st du deine Ruh'!

Die kalten Winde bliesen mir grad' ins Angesicht,
der Hut flog mir vom Kopfe, ich wendete mich nicht.

Nun bin ich manche Stunde entfernt von jenem Ort,
und immer hör' ich rauschen: du fändest Ruhe dort!

Nun bin ich manche Stunde entfernt von jenem Ort,
und immer hör' ich rauschen: du fändest Ruhe dort,
du fändest Ruhe dort!

これだと歌詞は原語なので悪法「音楽著作権法」に縛られずに自分の歌をネット上に公開できる。

歌の相棒とはMendelssohn Duetteから「Gruss」と季節に合わせて「Helbslied」を歌った。一応の出来だったとは思うが、先生と仲間が思っている以上に褒めてくれるのが気味が悪い。でも落ち着いて考えてみると、少なくとも仲間は選曲を褒めてくれていたのだった。

香川京子さんに捧げる「オ・ソレ・ミオ」

2007-03-11 18:10:47 | My Song
NHKの朝の連続ドラマには何十年もご無沙汰であったが、今は「芋たこなんきん」を観ている。ストーリーと役者に惹かれて見始めたが確かに面白い。3月いっぱいで終わりと思うせいか、ここ最近は展開のテンポが速くなったような気がする。花岡町子のお母さんが今週だったか、徳永家に同居するようになった。香川京子さんである。

これまでもすでに登場していたが老境に差し掛かった設定だろうか、今回は頭が昔の女学生を思い出させるような髪型になっている。すこし目を細めて彼女を眺めると、もう半世紀も前の女学生姿が甦ってきた。

銀幕の香川京子さんに始めてお目にかかったのは「ひめゆりの塔」を観たときである。大東亜戦争の末期、圧倒的に優勢な米軍の攻撃を受けた沖縄で、にわか作りの看護婦に動員されて負傷兵の看護にあたる女学生が、悲惨な最期を遂げていく物語で、今井正監督の東映作品(1953年)である。彼女がデビューして二年目、現代的で理知的な容姿に、大学生になりたての私はくらくらしたものである。

洞窟に仲間と隠っていて、砲撃のやんだ束の間に外に出る。明るい日射しをうけて、彼女が「オ・ソレ・ミオ」を歌う。映画の中で彼女にどのような運命が待ちかまえていたのかは覚えていない。しかし木漏れ日に光り輝く彼女の顔、歌う姿が晴れやかであればあるほど、戦争の残酷さが私の心を鷲掴みしたことは今でも覚えている。

戦後の混乱期を乗り越え、平和のありがたさを満喫し、そして共に老境を迎えようとしている彼女に、同志愛からとでも云おうか、私のつたない「オ・ソレ・ミオ」を捧げる。

パパの出てくる「小さな木の実」

2006-10-26 19:22:47 | My Song
母を歌った歌は沢山あるのに父を歌った歌があるのかどうか、思い出せない。淋しいような気もするが、父親はその程度の存在なのだろうか。

「小さな木の実」は海野洋司さんの詩をビゼー作曲の曲で歌うもので珍しくも『パパ』が出てくる。私が口ずさんでいると、PTAのママさんコーラスで歌ったと妻が云っていた。父親が見捨てられていたわけではなさそうだ。


男の歌う「さくら貝の歌」

2006-08-06 17:19:51 | My Song
土屋花情作詩・八州秀章作曲「さくら貝の歌」を倍賞千恵子の歌で何度も何度も聴いた。このLPが出たのが1971年だからもう35年間、折に触れて彼女の歌を聴いてきた。しかしこの曲が始めてレコードに吹き込まれたのは1940年で、まだ戦争の始まる前である。しかし「時期でない」とのレコード会社の判断でお蔵入りになってしまった。

復活したのは戦後の1949年で小川静江がNHKの朝の「ラジオ歌謡」で歌ったのが切っ掛けとなった。 

八州秀章(本名・鈴木義光)には北海道真狩村の尋常小学校の後輩で、いつか結婚したいとは思っていた横山八重子という女性がいた。その思いを伝えることもなく上京したが、看護婦を志していた八重子は胸を患い18歳で亡くなった。傷心の八州は八重子の俗名と法名から一字ずつ取って筆名とした。

一方、作詞者の土屋花情も三浦半島に仕事でやって来た看護婦と知り合い相思相愛になり、彼女が東京に帰った後も文通を続け、彼女から求愛される。しかし母親の反対もあり、結婚を断念した。その失恋の傷を癒すために土屋は同人誌に詩を発表するようになり、その作品に興味を持った八州が「いっしょに作品を作りたい」と土屋を訪問した。

鎌倉の海岸を散策していた八州は、渚でさくら貝を見付け、一首の歌を詠む。

 わが恋の如くかなしやさくら貝かたひらのみのさみしくありて

これをモチーフにして土屋が詩を作り上げた。

この失恋二人組男性の作った曲を歌う女性歌手は多いが、これは男が歌ってこそ味わいのあるものとばかりにチャレンジしてみた。でも本当の味が出てくるにはまだ失恋をいくつか重ねないといけないのかもしれない。

参考 読売新聞文化部 「愛唱歌ものがたり」(岩波書店)


藍川由美さんと歌う日本語の歌「悲しい酒」

2006-07-18 20:55:53 | My Song
日本の伝統的な歌唱法とは何か。藍川由美著『「演歌」のススメ』の中に、山田耕筰の解説を引用しているので、そのまま拝借する。

《強弱に就いて見れば、洋楽の場合には、上昇する場合に多く漸強を用ひ、その反対に、下降時には漸弱を採る。しかし日本的歌唱法は全くその逆である。邦楽の歌唱に注意すればこの行き方は直ちに感得できる。長唄、常磐津、浄瑠璃、清元、新内はもとより俚謡、民謡の唄ひ方にもこの方法が用ひられてゐる。それは恐らく、日本語そのものの特性が要求するのであらう。》

音階が上がるにつれて軽くぬける、そのためには常にリラックスしておらねばならない。そうするとコブシのような細かい節回しを自由にこなせる。これは歌い方になるが、このようにリラックスしていると日本語の発声も無理なくできるのであろう。

私はかねてから藍川由美さんの日本語発声を真似したいと心がけているが、なかなか近づくことすら大変である。それでもリラックスを心がけてゆとりをもって歌うと、新たな地平線が開けてくるような心地がする。美空ひばりが歌ったあの名曲「悲しい酒」をまずは藍川さんと歌ってみた。

五十歳年上の女性と歌う「埴生の宿」

2006-06-10 10:29:51 | My Song
里見 義作詞、ビショップ作曲「埴生の宿」は明治二十二(1889)年の「中等唱歌集」に掲載されている。

♪埴生(はにゅう)の宿も わが宿
 玉のよそい うらやまじ
 のどかなりや 春の空
 花はあるじ 鳥は友
 おーわが宿よ たのしとも たのもしや

 書(ふみ)よむ窓も わが窓
 瑠璃(るり)の床(ゆか)も うらやまじ
 清らなりや 秋の夜半
 月はあるじ むしは友
 おーわが窓よ たのしとも たのもしや

女学校で習ったのだろう、母が口ずさむのを聴いたことがある。原詩にある「be it ever so humble, there's no place like home」という歌詞などは「手鍋を下げてでも」の時代にノスタルジアを覚える私の心にいまでも生きている。しかし何かがあれば『家庭崩壊』が取り沙汰される昨今、映画「ビルマの竪琴」のなかで歌われた曲として記憶されている方がほとんどではなかろうか。

この「埴生の宿」を『マダム・バタフライ』三浦環が歌っている。存命なら私より五十歳は年長であるが、録音したときは四十八歳で私はまだ生まれていなかった。けれど今の私より二十歳は若い。昨日に引き続き、ふたたび世界的プリマに相手になっていただいた。幸せなことである。『時代』がかった歌い方も面白かった。二番の「おーわが窓よ」を一番と同じく「おーわが宿よ」と歌っているところはご愛敬である。

『共演』してそれなりに感じたことがあるので、私なりの『三浦環 観』をまた述べてみようと思う。