住宅街の外れの児童公園にはコスモスが咲き乱れていたが、秋の気配を敏感に感じ取って実を結び、花時も終わりに近い様だ。
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「うつろ庵」の近くの植込みが豊かな遊歩道を15分ほども歩けば、この児童公園に至る。 住宅街の公園の殆どに子供が遊ぶ姿が見えない昨今だが、此処は子供達のキャッキャと遊ぶ声が溢れる、類い稀な公園だ。
さる老婦人が、草花の手入れを小まめになさって、花を絶やさないご尽力には敬服だ。 種を蒔き、或いは苗を植えて水遣りを怠らぬ彼女に出逢えば、「ご苦労さま」とさりげなく声をかける虚庵夫妻だ。老齢にも拘らず、移植ゴテやジョウロなどを自転車に積んで来られる姿には、頭が下がるばかりだ。
子供達は、鬼ごっこやボール遊びで飛び跳ねて遊んでいるが、花壇のお花を大切にしているのには感心だ。黙々と手入れする老婦人の姿を、子供達も目にしているからに違いない。「無言の教育と躾」の効果には、目を瞠るばかりだ。
コスモスは秋の陽ざしを感じるや
何時やら結ぶ 実の数増えにし
コスモスの
いと細き首のくねくねと
曲るは何故ぞ コスモスは
首を伸ばして花付けて
そよ風に揺れる花なるに
なんの謂いかな 首の曲がるは
吹き荒ぶ
秋の嵐に背の高き
コスモス堪えずに倒れしか
助けを求め幾日か
我慢の日々の続くらむ
首をもたげて 花を支えて
哀れにも
わが子を嵐は荒ぶるや
助けを求める声なくば
数多の人々手も貸さず・・・
お待ちなされと援け起し
支えを結ぶ 老いにし婦人は
コスモスの首の曲がるは幾たびか
倒れて援ける歴史ならずや