「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「児童公園のコスモス」

2015-10-23 18:02:16 | 和歌

 住宅街の外れの児童公園にはコスモスが咲き乱れていたが、秋の気配を敏感に感じ取って実を結び、花時も終わりに近い様だ。 



 「うつろ庵」の近くの植込みが豊かな遊歩道を15分ほども歩けば、この児童公園に至る。 住宅街の公園の殆どに子供が遊ぶ姿が見えない昨今だが、此処は子供達のキャッキャと遊ぶ声が溢れる、類い稀な公園だ。
 
 さる老婦人が、草花の手入れを小まめになさって、花を絶やさないご尽力には敬服だ。 種を蒔き、或いは苗を植えて水遣りを怠らぬ彼女に出逢えば、「ご苦労さま」とさりげなく声をかける虚庵夫妻だ。老齢にも拘らず、移植ゴテやジョウロなどを自転車に積んで来られる姿には、頭が下がるばかりだ。

 子供達は、鬼ごっこやボール遊びで飛び跳ねて遊んでいるが、花壇のお花を大切にしているのには感心だ。黙々と手入れする老婦人の姿を、子供達も目にしているからに違いない。「無言の教育と躾」の効果には、目を瞠るばかりだ。


           コスモスは秋の陽ざしを感じるや

           何時やら結ぶ 実の数増えにし


           コスモスの

           いと細き首のくねくねと

           曲るは何故ぞ コスモスは

           首を伸ばして花付けて

           そよ風に揺れる花なるに

             なんの謂いかな 首の曲がるは

           
           吹き荒ぶ

           秋の嵐に背の高き

           コスモス堪えずに倒れしか

           助けを求め幾日か

           我慢の日々の続くらむ

             首をもたげて 花を支えて
            

           哀れにも

           わが子を嵐は荒ぶるや

           助けを求める声なくば

           数多の人々手も貸さず・・・

           お待ちなされと援け起し

             支えを結ぶ 老いにし婦人は


           コスモスの首の曲がるは幾たびか

           倒れて援ける歴史ならずや