人形町界隈の散歩
先の『私の東京地図』(小林信彦 著)の「今は下町の代表地区――人形町」を読んで、今日はぶらり人形町界隈を散歩しました。
歩いたルートは次の地図の赤線です。距離は大体5Kmぐらいですか・・・。
馬喰横山駅に着いたのが11:30ぐらい。
少し空腹を感じていたので、まずは腹ごしらえを。
幸いに、うまそうなお店があちこちにあり、その中の焼き鳥屋に入りました。
お昼まえで、まだ混んではいませんでした。
きのこ入りのうどんと焼き鳥一皿。それでやめとけばいいものを、お酒一本(熱燗二合徳利)を頂きました。
これじゃいい気分にもなろうもの。
ゆっくり休んで、小伝馬町、大伝馬町へと歩きました。
途中、おばあちゃんに人形町通りへの道を聞きましたら、人懐こいおばあちゃんで、聞きもしないことまで、べらべらしゃべられて、困りました。
私も少しお酒が入ってたから、どっちもどっちでした。
さて、人形町通りを南に進んでいると、以前来たことのある「風呂敷や」を想いだし、寄ってみました。
表通りを少し入ったところですが、商売抜きののんびりしたいいお店です。
京都に本店があるとか。私の好きな店です。
そこから少し行くと、人形町交差点。一番賑やかな所です。
そこからが、人形町の一番賑やかな通りです。確か水天宮通りと呼ばれています。
先ず、鉄造菩薩頭で知られてる観音様に寄りましたが、改装工事中で、まともには拝めませんでした。
もと鎌倉にあったものですが、廃仏毀釈かで粗末に扱われていたのを、この地の有志が迎えて大切にお祀りしているようです。
今も、こうして改築してくれています。有難いことです。
さらに先へ行くと、ちょうどお昼時らしく、街角の『人形町からくり櫓』が時を告げていました。
他では味わえないい、いい気分でした。2台もありました。
そして、その先を右に回り、いわれあるコーヒー店があるとかで、寄ってみました。
コーヒーは飲みませんでしたが、谷崎潤一郎生誕の地に巡り合いました。
そこの中央区教育委員会の説明板によると、
「谷崎潤一郎(1886~1965)は、明治19年7月24日、この地にあった祖父経営の谷崎活版所で生まれました。・・・『蓼食う虫』、『春琴抄』、『細雪』、『少将滋幹の母』などを遺しています。・・・」とありました。
そしてその先を右に回ると、なんと素晴らしい小学校に出会いました。
区立の「日本橋小学校」です。
こんな立派な建物の小学校は見たことがありません。
さぞかし、立派な生徒さんたちが通っていることでしょう
そして、安産や子授かりの神様、水天宮様に着きましたが、白い覆いがしてあって、全く中が見れません。
建て替え工事中でした。今日は建て替え工事中が多いです。
さぞかし、少子化対策で賑わっているのではと期待していましたが・・・
仮社務所は明治座の隣とか。
そこから、箱崎JCTの東京シティターミナルの横を通り、明治座の方へ廻りました。
明治座は、ちょっと見には歌舞伎や新派の殿堂とは思えない、立派なオフィスビルです。
そして、その横に水天宮の仮社務所が静かに建っていました。
あまりお参りの人はいませんでした。
そして、東日本橋駅から電車で帰りました。
暫く up が無かったので どうしたのかと思っていました
安心しました。残り半月 風邪ひかないようにね
途中で電話するかも!
近ければ、来てもらうんだがね。残念!!
貴女のイメージだけで我慢します。
いいお年を迎えてください。