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地形図 余呉湖と断層地形を見て

2013-05-27 | 読書

地形図 余呉湖(よごのうみ)と断層地形を見て

「北国街道・・・に並走する北北西~南南東の谷(断層崖)に沿って、西側の山地が相対的に陥没し、余呉湖や木之本町の低地を形成した。
余呉川の堆積物が余呉湖の北側をふさいでいる。」(武揚堂発行「地形図の手引き」より)

余呉湖の北側には、地形図を着色したように、同じような三角形の砂地が連なっています。東側の断層地形に邪魔されて出来た砂地のようです。

余呉湖は奥に深く囲まれていたため、湖になったようです。
多分放水隧道が出来るまでは、水害で大変苦労された地帯でしょう。

余呉湖の砂地は下の断面図にもはっきり表れています。
全長1.5kmもある広い水田地帯です。


そして、戦後になって、余呉湖放水隧道や飯浦送水隧道が掘られ、下余呉一帯の干拓が完成しました。

 

素人考えですが、飯浦送水隧道をもう少し深く(約20m)掘っていたら、余呉湖全体の干拓が出来たのでは。
戦後しばらくは干拓工事が盛んでした。(結果的には残されてよかったのですが)

送水道が出来たためか、北陸本線も、水害の心配もなく、干拓地を横切るコースに変わったようです。
下の旧図と比較してください。(昭和25年応急修正版)


最近、たまたま日本の民話を読んでいますが、その中に
『余呉湖の天女』の、いわゆる “天女の羽衣” 物語に出くわしました。

その一端を引用しますと
「遠いはるかなむかし。
近江の国で、一夜のうちに、大地がメリメリと落ち込み、大きな深い湖となった。琵琶湖である。
そして落ち込んだ土は駿河の国へドシン、ドドンと盛り上がって、富士山になった。
ところが、どうも富士山の姿が、もう一つ、美しさが足りない。
そこで神様は近江の土を一つかみ、つかみ取って、富士山を良い形に仕上げた。
そのつかみ取ったくぼみが湖となって、余呉湖という。」

「・・・天女たちは、海のように広い琵琶湖より、この湖が好きだった。・・・
水は、わき水(?)で冷たく、青く澄んでいた。
湖に映るわが影を楽しみながら舞い降りると、岸辺の柳に、羽衣をふわりとかけて、水浴びを始めたと。・・・」
「余呉湖の岸べには今も、天女が羽衣をかけた柳や、子供が母を慕って泣いた石などが残っている。」そうです。
いい話です。

この湖は、約3万年ぐらい前、琵琶湖と同じ頃に出来たと言われています。
始めは、琵琶湖に包含されていたのが、分かれて独立したと言われています。

長らく鏡湖(きょうこ)とも呼ばれていました。澄み切ったきれいな湖だったのでしょうね。
面積1.8km²、周囲長 6.4kmです。ジョギング大会もあるとか。