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瀬島龍三 回想録 「幾山河」を読んで(1)

2013-05-03 | 読書

瀬島龍三 回想録 「幾山河」を読んで(1)

 

昭和16年(1941)12月8日頃の記事を読んで、当時を思い出しました。

小学校1年生でした。開戦を伝えたラジオ放送を覚えています。

最初に軍艦マーチが鳴り、つづいて
「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」

と、声高らかに放送されました。

子供心に、カッコよく聞きました。

 

記事を一部引用すると

「・・・ハワイ奇襲作戦は海軍の精鋭延べ三百五十機をもって大戦果を挙げた。米空母を逸したことが若干、気がかりではあった。
また、第二十五軍もマレー半島への奇襲上陸に成功し、長駆シンガポールに向けて作戦根拠地を確保した。
香港、フィリッピン攻略も順調に進展しつつあった。・・・」

また、

「十二月十日、海軍航空部隊はマレー・クアンタン沖を北上中の英東洋艦隊を捕捉し、・・・英海軍最新鋭の戦艦『プリンス・オブ・ウエールズ』及び『レパルス』を撃沈し、英東洋艦隊の主力を事実上壊滅させた(マレー沖海戦)。」

 

当時を振り返ってみると、
燃料問題で米英等から経済封鎖を受け

「昭和16年7月下旬 米、英、香港、蘭印から対日資産凍結。石油の対日供給もストップ。
我が国のストック:重油1.5か月、灯油1か月、軽油1/3か月、航空揮発油15か月。」

という状況であったらしい。

そして、米国との交渉は11/27の米国務長官の「ハル・ノート」で、決定的になったようです。

その要点は、
「支那及び仏印から一切の陸海空部隊及び警察の全面撤退」「三国同盟の死文化」等で、

「もしこれを忍ぶとしたら、日清、日露両戦争の成果をも一蹴することになるばかりでなく、満州事変の結果をも放棄しなければならないこととなる。・・・開戦やむなき次第である。・・・」

こうした、日本ののっぴきならない状況が、米英で読めなかったはずがないだろうに、ハワイ奇襲を受けた米国もうかつであったと思いますが・・・。
丁度、今の北朝鮮の状況によく似ています。

そして、北(ソ連)からの脅威の少ないであろう冬を選んで、火ぶたが切られました。

今回は、『12月8日と南方要域攻略作戦の遂行』を読んで、いったん本を閉じます。

ちょっと、書き加えますと、

私は、シンガポール陥落記念に軟式ボールを貰った覚えがあります。

確か、数が少なく、選ばれてもらった記憶です。当時は貴重品でしたからね。
ボールには『シンガポール陥落記念』と青い判が押してありました。
2年生の頃だったのですね。