鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

備後の国 新市町と一之宮を訪ねて

2017-08-05 20:33:20 | 神社
今回は備後の国 新市町を訪ねましたんや。

JR福山駅からローカル線に乗り換えて約1時間。

現在は福山市に編入されて「新市町=しんいちちょう」
皆さんには、初めて聞く地名でっしゃろか。

実は鉄ちゃん爺やの住む町が昔は「古市町」でおます。

正反対の町名なので、昭和の時代から知ってましたんや。

訪れたのは今回が初めてでしたが、現役時代には
取引先や出荷先としては、良く知ってましたけど。

(7月31日 世界文化遺産に推薦!)(古市古墳群)


先月末に国内で世界文化遺産の推薦に決まりましたで。

正式な世界文化遺産に決まるのかは疑問でっけど?

古墳は横から見ても観光客には理解が出来まへんやろな。

この件は機会を改めていずれ紹介する事にしまひょ。

(JR福塩線 新市駅 駅名標)




この町は鉄ちゃん爺やが現役時代から馴染の町で
当時は「広島県芦品郡新市町」と呼ばれてました。

現役時代にはジーンズの縫製企業が多かった記憶。

戦前は軍服を縫製していた時代があったんだとか。

お隣の岡山県・倉敷や児島地区の学生服と並び、現在も
ワーキングウエアやカジュアルウエアの縫製が盛んで
岡山県西部と備後地区で大半が生産されてるんだって。

(新市町の 観光案内地図)


備後絣(びんごかすり)ってご存じかしら?

戦前から戦後の1950年代まで婦人用の
作業服として愛用された綿の織物なんでっせ。

黒っぽい紺色に白い柄と言えばお分かりかしら?

そうそう! 女性の「もんぺ」に使われた生地でんな。

戦争中は女性の和服が自粛されたので、絣(かすり)を
使った「もんぺ姿」が一般的な姿だったような記憶。

あまり、良いイメージは無いかもしれまへんけど。

(備後絣=びんごかすり)






鉄ちゃん爺やが就職した頃から「備後絣」は斜陽化し
200件ぐらいあった企業も、数件を残すのみだとか。

久留米絣・伊予絣・備後絣が日本の三大産地でしたな。

最近はネクタイとか浴衣などで僅かに復活も見られとか。

(備後絣=びんごかすりの パンフレット)


先染めと呼ばれる紺色に染色した経て糸に、片や白く
染色した横糸で織り上げる日本独特の織物だったそうな。

その技術を生かして、デニムの生地が備後地区では
日本最大の生産地になっているようでっせ。

デニムと言えばジーンズに使用する生地だとご存じかも。

縫製は中国や東南アジアに安い人件費を求めて進出し
ここ備後地区も、苦しい時代が続いているんだとか。

それでもジーンズの縫製では日本有数の生産を現在も
維持し、岡山県とここ新市地区で作られるようでっせ。

ブランド名でしか流通しないので生地や縫製の地区が
一般の人には、知られてないのが現状でっしゃろな。

それでは鉄ちゃん爺やが最近始めた「一之宮巡り」

備後の国の一之宮は、ここ新市町にありますんや。

JR新市駅から北へ約2kmぐらいの所にありまんねん。

「吉備津神社=きびつじんじゃ」と呼ばれてまぁ。

(吉備津神社 ご参拝のしおり)




(吉備津神社の 鳥居 & 下随神門)


(石の鳥居には 慶安元年の銘が)


慶安元年と言えば西暦1648年で徳川三代将軍の
徳川家光公の晩年になりますかな。

ここ吉備津神社の本殿を再建されたのは前回に紹介した
福山藩初代藩主の水野勝成さんだそうですわ。

水野勝成さんが亡くなられたのは慶安4年だそうで
この石の鳥居も存命中に奉納された物なんでしょうな。

(上随神門への石段)


備後の吉備津神社には随神門が上と下の二つが有りまんねん。

全国の神社で随神門が二つもあるのはここだけだとの話。

10月を昔は神無月と呼び、全国の神さまが出雲に集まられ
神さまが居られないので、神無月と呼ばれたそうでんな。

出雲では逆に「神有月」と呼びますが、神代の時代に
出雲に来ない吉備津彦命(きびつひこのみこと)心配し
大国主命(おおくにぬしのみこと)が心配されて部下を
派遣された処、備後の国は大祭の真っ最中だとのこと。

それ以降は派遣された部下二人がそのまま門守に命じられ
備後の国も10月を「神有月」と呼ぶようになったんだとか。

(吉備津神社 本殿)(国の重要文化財に指定)




(吉備津神社 本殿を背景に自撮り)






(吉備津神社 ご朱印)


社伝では大国主命や吉備津彦命などの逸話が記されてますが
平安時代初期の「式内社」には備後の国の「吉備津神社」は
記載されてないんですわ、だから中世以降に出来たのかも?

昔は「吉備の国=きびのくに」と呼ばれた現在の岡山県と
広島県の備後地方は、奈良時代に三つに別けられたとの説。

京都から近い方から備前は「前つ国」真ん中の備中は「中つ国」
一番遠い備後は「後つ国」と呼ばれたのが始まりだとのこと。

おそらくは平安時代か鎌倉時代に備中に鎮座する「吉備津神社」
から分祀して造営された「一之宮」だと考えられますんや。

(吉備津神社の 神楽殿)




吉備津神社のご祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)と
呼ばれ、大和朝廷に匹敵するような豪族だったような感じ。

岡山県の備前の国には「吉備津彦神社」が同じく備中の国には
「吉備津神社」が鎮座されてるのは当然なことですわな。

ご神木なんでしょうな、大きな銀杏の木が植わってまぁ。

(吉備津神社の ご神木 大公孫樹)




(吉備津神社の拝殿)


(吉備津神社 拝殿の内部)


本殿は慶安元年(1648年)に福山藩主・水野勝成が再建して
「備後の国一之宮」として今日に至ると記されてるようでんな。

備後の国のお殿様として、吉備津神社は大事な神様でしたんや。

(吉備津神社 本殿の彫刻)






流石に備後の国・一之宮です立派な彫刻が施されてまぁ。

吉備津神社の入口には「御池」という池がおますんや。

パンフレットの画像に成りますが貼り付けて置きまひょ。

(吉備津神社 御池)


昔はこの池で参拝者は心身を清めてからお参りしたそうですわ。

社務所からタクシーを呼んで貰ったので立ち寄れませんでいた。

タクシーは2kmもの駅前からメーターを倒さずに神社まで
JR新市駅まで790円で乗せてもらい有り難かったですわ。

タクシー待ちの時間に上の随神門から下の随神門をデジカメで
写してみたらこんな感じに成りましたんや。

(上随神門から 遠くに下の随神門を望む)


広島県は安芸の国の厳島神社、それに今回の吉備津神社
これで広島県の一之宮は完了したことになりますんや。

それではJR新市駅まで戻ることにしまひょ。

(JR新市駅 駅舎)


この跨線橋から先は広島県の府中市になりますんや。

東京の府中市と広島県の府中市が同じ紛らわしいでんな。

現在はこんな同じ都市名は付けられないようでんな。

両方共に政令が出来る前に市制が成立したんだって。

(JR福塩線 新市駅 時刻表)


(吉備津神社 参拝下車駅のご神燈)


マクロで誤って撮影したのでボケてますがご容赦のほど。

のんびりしたローカル線の田舎の風景ですね。

福山市とは思えないような長閑なホームでっせ。

(JR新市駅 ホーム)


(JR新市駅に 到着の105系電車)


(JR福山駅にて 福塩線のホームを撮影)


(JR福山駅前にて 自撮り)


(JR福山駅前から 福山城の月見櫓を撮影)


新幹線で福山駅を通過する際に見える福山城の
再建された新しい「月見櫓」ですよ。

これで広島を巡る最後にしますので、糸崎駅で
出会いましたラッピング電車を貼り付けて置きまぁ。

(JR山陽本線 糸崎駅 駅名標)


(サンフレッチェ広島 ラッピング電車)






(115系 瀬戸内配色の 郊外電車)




JR山陽本線は糸崎駅までが岡山支社管轄になりまんねん。

普通電車はここで広島方面も岡山方面へも全てが乗り換え。

次の三原駅からはJR西日本の広島支社管轄になりまぁ。

ここで広島方面行きの新型電車と乗り換えましたで。

(227系 JR西日本 広島管轄の新型電車)


それじゃ鉄ちゃん爺やの広島県巡りはこれにてお仕舞い。

次回は奈良県の大神神社を紹介させてもらいまひょ。

それじゃ、これで、さいなら~🎵

 

コメント (12)
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