鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  宝之市神事 & 升の市を 訪ねて

2015-10-19 19:01:01 | デジカメ散歩
松尾芭蕉が1694年(元禄7年)旧暦9月13日
生涯で最後になった日帰り旅行を詠んだ俳句でんな。

「升買て 分別かはる 月見かな」

住吉大社と、この句がどんな関係に有るのか
鉄ちゃん爺やとしては大きな疑問でしたんや。

ましてや、どんな意味かも知りまへんでしたわ。

(住吉大社の 汐掛け道に 芭蕉の句碑)





旧暦9月13日を十三夜と言い、平安時代から長く
中秋の名月と並び宮中では重要な行事だったようでんな。

十三夜(じゅうさんや)と読んで頂戴ね。

あの仁和寺を創建された宇多天皇が云われた言葉でっせ。

「この夜の月こそ 名月という名にふさわしい」

十三夜はこの宇多天皇のお言葉から始まったとか。

中秋の名月は旧暦の8月15日でっから十三夜の方は
旧暦の9月13日なので「後の月」と言うんだって。

ここまでは何処かの書物で読んだような気もしまんねん。

(平成27年度 升の市 住吉公園にて)



江戸時代には「升の市」が大坂で庶民に良く知られていたとか。

その「升の市」は毎年・旧暦9月13日に行われたんだって。

だから十三夜・当日昼間の行事と言うことになりまんな。

松尾芭蕉は「升の市」を見学中に気分が悪くなり急きょ
門人の宿舎へ戻り、その夜に催された長谷川畦止亭での
月見の句会を欠席したと記録が残ってますんや。

この「升の市」の句は、翌日には少し体調も回復し
発句として、その日の句会に発表されたそうでんな。

木の升を買って気分が変わってしまい、句会に出られなかった
ご免なさいねと、病気を隠しユーモアで詠んだ感じでっしゃろか?

でも~ その後再び病状が悪化して1か月後の
旧暦10月12日に大坂は南御堂の近くで
芭蕉翁は亡くなりはったそうですわ。

(住吉大社 神事の予定掲示版)



住吉名勝保存会のパンフレットから、この神事と関連があると
そんな考えから、再び10月17日に住吉大社へ向かいましたんや。

この日は境内の「御田」から初穂を刈り取る日だそうですわ。

新暦の9月13日では、まだ稲穂が刈り取れないので
明治以降は新暦の10月17日に決まっているようでっせ。

私が住吉大社に到着したのがAM11時前ぐらいでしたかな。





初穂の束は刈り取られて住吉大社の第一本宮に供えられた後。

デジカメ撮影に一寸だけ出遅れましたけどご容赦の程。

参拝客が見守る中で厳かな神事が始まってましたで。

(住吉大社 第一本宮にて)





(第一本宮内 神楽女=かぐらめ と神官)



(神前に並ぶ 市女=いちめ)



この神事には5人の市女(いちめ)と呼ばれる独身女性が
神前に登場し五穀豊穣を願う五穀に合わせて5人のようでんな。

現在は大阪市内の東洋きもの専門学校の生徒さんが任命され
伝統的な神事の一部分を司るんだそうですわ。

(神官と 神楽女=かぐらめ 退場)









この宝之市神事は現在は忘れられてしまった「神嘗祭=かんなめさい」

戦前には祝日だった10月17日に初穂を神様に捧げる日でおます。

80歳以上のご老人でないと、ご存じが無いかもしれまへんな。

11月23日の新嘗祭は宮中や伊勢神宮で天照大神を始め皇祖神と
天皇陛下が新米を共に初めて食べられる重要な神事ですわな。

神嘗祭の方は現在では神社にしか残っていない神事なのかも?

だから~ 宝之市神事もしくは升の市神事とも呼ばれるこの行事は
住吉大社版の神嘗祭(かんなめさい)だ、ちゅう事でんな。

(市女=いちめ 神前から退場)



(市女さん 整列して写真撮影に応対)





裃姿と白装束の男性2人は御田から初穂を刈り取る役目だった人。

5人の市女(いちめ)さんはそれぞれが升を手にされてまっせ。

それぞれに異なった五穀が下げ降ろされたという意味でつしゃろな。

五穀豊穣を願う古い昔からの神事だとお分かり頂けるかも。

これから住吉大社を出て「升の市」を訪問されるそうですわ。

鉄ちゃん爺やもデジカメ撮影に移動しまっさ。

途中で前回に紹介できなかった名所も貼り付けて置きまひょ。

(島津忠久公の 誕生石)











詳しいお話は説明板を貼り付けましたんで、そちらを読んで頂戴ね。

丸に十の字が提灯に入ってまっしゃろ、薩摩・島津家の紋どころ。

初代の忠久公が後に頼朝に命じられて薩摩と大隅の守護として
現在の鹿児島県に着任したというお話になりまんねんで。

太鼓橋を左手に見ながら境内から出て行きまっさ。

(境内の北側から 反り橋を望む)



(神馬の 厩舎)





昔は前の扉が開いてあって白い馬が見えたんだけどな~

現在は閉じられているので、中に居るのかどうかも不明。

まあ~ 神様の馬だから偽りは書いてないとは思うんだけど。

(頼山陽の筆で 刻まれた燈籠)





(住吉大社 北門の鳥居)



官幣大社の文字が戦後にセメントで埋められてまっせ。

終戦直後には進駐軍の取り締まりが厳しかったんだとか。

ここは住吉大社では北門になりまんねん。

それじゃ「升の市」をやってる住吉公園に向かいまっさ。

(升の市で 自分撮り)



(市女=いちめ さん ご登場)





「升の市」に和服姿で写っている方々も東洋きもの専門学校の
生徒さんと関係者だそうで学校のHPにも載せられてましたで。

これも学校の学習授業の一環として毎年ながら続けているんだって。

今年で17回目の参加だということのようですわ。

ご当地から派遣された売り子さんに混じって、売り子役を補助する
和服姿の女性は「升の市」に花を添える雰囲気でおます。

(芭蕉の句碑に お供えされた五穀)





一足先に市女(いちめ)さんがお供えされたようでんな。

蛇足ながら住吉大社の初穂は後日に伊勢神宮へ奉納され
11月23日の新嘗祭の神事に使われると書かれてまっせ。

(升の市 風景)















色んな「木造りの枡」が現代風に作られてまっしゃろ。

ビールのジョッキみたいなユニークな物も売られてましたで。







「木の枡」は現在は岐阜県の大垣市で大半が製造されているんだって。

昔はどこの家庭にも枡がおましたけど、現在は殆ど見られまへんな。

枡でお隣からお米を借りて、枡に少しだけ多めに盛ってお返し。

こんな庶民の風習も現在は廃れてしまってご存じないかも。

鉄ちゃん爺やも、小学校の修学旅行や臨海学校には枡で量り
お米持参という戦後の配給制度での想い出がおますんや。

お米持参じゃないと旅館は大量のお米が手に入らなかった
そんな戦後の食糧難時代のお話でっけどな。

(大垣名物 柿の羊羹)






鉄ちゃん爺やもお土産に柿の羊羹を一つだけ買って帰りまひょ。

「升の市」のお話、少しは分かってもらえたかしら?

松尾芭蕉も訪れた大坂で江戸時代から続く伝統行事でした。

それじゃ今回はこれでお仕舞にしまひょ。

ほんじゃ~ さいなら~♪


































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15 コメント

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Unknown (おばさん)
2015-11-09 22:59:58
ありがとうございます
でもなぜかリンクが張れず・・・
URLが間違ったのか・・・・
恐縮ですが《じゃがいもの独り言》で
検索して頂けますか
ごめんなさい
返信する
コメント有難うございました~♪ (おばさん へ)
2015-11-09 07:59:00
我が家には何処かの飲み屋さんで記念に貰った春慶塗りの1合枡があります。

何処で頂いたものなのか記憶が無い(笑い)

相当に酔っぱらっていたんでしょうね。

確かに昭和30年代までは何処の家庭にも1升枡が有りましたね
我が家のもいつの間にか行方不明になりましたけど。

後程、ブログを拝見にお邪魔致します~♪
返信する
始めまして (おばさん)
2015-11-08 20:23:51
くちかずこ様のところからの訪問です
新嘗祭のことをUPしたらこちらを
教えて頂きました
神嘗祭も死語になってきた感じ
知らない人が多い世代になりましたが
辛うじて私は知って居ました
いえ まだ若いですが (笑)

わが家にはまだ枡が残っていますし
結婚式の時ケーキカットではなく
樽酒を振舞い枡も家紋を入れ配りました
そうなんです
田舎住まいなんです
返信する
コメント有難うございました~♪ (tenshikana さんへ)
2015-10-25 08:56:02
成田山の豆まきなどは一升桝でやられてますね。

今日の10月25日は旧暦で9月13日になります、まさに本当の十三夜ですよ。

これも話題になることは少ないですかな。

返信する
コメント有難うございました~♪ (oyajisann 様へ)
2015-10-25 08:51:28
神楽女さんと市女さんの画像を比較すると

神楽女さんの方が和服の着こなしや
歩く姿が様になっているように思いませんか。

市女さん達は普段は洋装だから立っている姿なども、ぎこちない感じがしますね。

返信する
コメント有難うございました~♪ (小倉のヒデさんへ)
2015-10-25 08:47:30
今度お会いできたら路面電車に乗って
住吉大社や堺市などへ
ご一緒するのも良いかもしれませんね。
返信する
コメント有難うございました~♪ (くちかずこ 様へ)
2015-10-25 08:44:58
お正月の初めに飲み屋さんへ行くと
1合枡でお祝いの日本酒が頂けます。

最近では枡もこんな感じでしか見かけませんね。

我が家にも1升枡が有ったんだけど
捨てたのかしら? 見かけなくなりました。
返信する
解りました^^ (tenshikana)
2015-10-24 22:14:31
新嘗祭そうだったんですね。。。。
升酒で飲んでる姿は美味しく見えましたよね あまり見かけないですね 豆まきぐらいかな     kana
返信する
今晩は (oyajisann)
2015-10-24 20:35:17
今晩は立派な由緒ある神社には伝承・伝説
付きものですね。
升=日本酒ってイメージもってますがめった
に見なくなりました。
このような祭事続いて、日本の伝統工芸が
続くこと祈りたいです。
何時も勉強になります。
返信する
今晩はです。 (小倉のヒデ)
2015-10-24 18:08:07
今晩はです。了解です色々と住吉大社付近待って見たいと思います。 TOTO第二工場今物流会社になってるようですから近いうちに確かめに行きます。野崎産業がこの第二工場に移ったと聴いてるので、行って見ます
本社にあった時に野崎産業で働いてましたけんね。
懐かしいです。お天気続いていますね。明日でも行けたら行こうと思いますが。東陶本社から大型トラックで運転手さんと僕ともう一人の仕事仲間と三人で荷物を運び手伝ってましたよ。時々写真も写してきますね。入ったら。
コメント有難う御座いました。
返信する
神嘗祭って言葉、思い出しましたよ (くちかずこ)
2015-10-24 15:50:15
確かに、忘れそうな言葉でした。
いろんな升があるんですねえ。
今だからかな?
サメ氏実家には、古い升がいろいろ残っていますよ。
返信する
コメント有難うございました~♪ (小倉のヒデさんへ)
2015-10-24 08:51:33
住吉大社の周りには他にも色んな名勝や伝説の物語が残っていますよ。

太鼓橋の下にある神池と呼ばれる池も
昔の海の名残りだと伝えられています。

上町台地の急な坂がここ住吉大社の付近からは、なだらかになり
歩いていても殆ど上町台地だと感じられなくなりますね。






返信する
コメント有難うございました~♪ (hide-san 様へ)
2015-10-24 08:44:09
この芭蕉の句碑は昔からこの位置にありましたが説明書きが無かったので
芭蕉の句碑だと知ったのは最近なんですけど。

江戸時代に刻まれた物なので句を知っていないと何と書かれているのか判別できませんね。
返信する
こんばんはです (小倉のヒデ)
2015-10-19 22:09:47
今晩は升の市の神事と言うのがあるのですね
そして松尾芭蕉も、この地を訪れて見て廻ったのでしょうね。 芭蕉は歴史で習いましたよ、奥の細道で有名ですからね。升がお酒の升もありますし、大きさも多種多様ですね。昔はこの升一合升でお米を入れて図っていたような記憶あります。私に小さい頃ですね。お酒飲みには特大の升で飲んでいた方々もいたのではないでしょうかね
住吉大社の北門にあるのですね。今度いったら行って見ましょうね。通天閣も来年綺麗になると言ってましたけんね。今度おじゃマップします。行くとき知らせます。
大阪こげんな良いところおおかけん頼みでごわす。
仕事も午前中になり順調に行ってます。午後はのんびりできます。自転車移動もね。明日の午後はコロッケからお誕生日券来てるので一人でのんびり歌ってきます。北九州市の神社巡りも時々します。升の勉強に
なりました
返信する
升の市 (hide-san)
2015-10-19 20:58:47
升の市の神事など興味深く拝見しました。

芭蕉は、この神事を見たのを「升こふて」で表したのでしょう。

供えられた五穀の升の写真を拝見して、意味が解ったような気がします。
返信する

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