鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や    但馬の小京都を訪ねて

2014-02-01 18:52:54 | 旅行
浜坂の民宿で朝食を食べながらこの日は
出石(いずし)へ向かうことに決めましたんや。

昨夜から雪が降り続き民宿をスタートしたけど
辺りの風景が一変してまんがな。

(民宿をスタートして 県道を走行中)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

豊岡市の出石に抜けるには3回ぐらい雪の峠を越えますんや。

関西ではこの辺りが豪雪地帯でスキー場も有りまんねんで。

(国道9号線 ハチ北の峠入口にて撮影)


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何せ小便の近い仲間が居ますんで
30分ぐらいでトイレ休憩ですわ。

ここは神鍋スキー場が見える道の駅でおます。

(道の駅 神鍋高原  国道482号線)


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ここは早くも兵庫県豊岡市の日高町になってまんな。

豊岡市はこれから向かう出石町(いずしちょう)温泉で有名な
城崎町に竹野町ここ日高町などを合せて
2005年(平成17年)4月1日に
新しい豊岡市としてスタートしたんだって。

右手に奥神鍋スキー場を左手には神鍋スキー場を見ながら
最後の峠越えも下りにかかりますんや。

(国道482号線の 雪景色)


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大阪人は雪が珍しいんで居眠りもせず
みんな外を眺めてまんがな。

豊岡の旧市内に入ると雪の量は減ってしまいまっせ。

(但馬の小京都 出石のシンボル)


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「辰鼓楼」(しんころう)と呼ぶ現在は時計台になってま。

元は「辰の刻」(7時~9時)に太鼓を打って
藩士に登城を知らせる為に使われたそうですわ。

現在の「辰鼓楼」は1871年(明治4年)に作られた物に
藩医の浜口と言う蘭方医が大病をし住民が願をかけて祈祷
大病が治ったのに感謝して、1881年(明治14年)に
オランダ製の大時計を寄贈したのがルーツなんだって。

現在は三代目の時計が動いているんだけど名前は昔のまま
「辰鼓楼」(しんころう)は出石のシンボルになってまっせ。

(出石町の マンホールの蓋)


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余談でっけど、札幌の時計台も1881年(明治14年)に
完成した物なんだって、でもどちらが古いのかは不明だとか。

お互いに争わないように引き分けちゅう事にしときまひょ
民間人が作った日本一古い洋式時計台ちゅう事でおます。

出石(いずし)と言えば関西では「そば」が最も有名でんな。

(出石の皿そば 協同組合のPR看板)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

関西は「うどん」が一般的なんやけど、
ここだけは不思議なことに「蕎麦」ですわ。

なんでも1706年(宝永3年)に信州上田から
ここ出石に移封さされた仙石政明(せんごくまさあきら)
と言うお殿様が蕎麦職人を大勢引き連れて
ここ出石に5万8千石で入ってきたのがルーツだとか。

江戸に近い信州上田から雪深い但馬の出石に移らされた
腹いせもあり、江戸幕府へのあて付けのような
こんな行動をしたんだとか。

農民を引き連れることは御法度だけど、
職人なら良かったんだよね。

わてらも昼食に「出石の皿そば」を
食べることにしましたんや。

(出石の皿そば  古都)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

出石は人口なら1万人を少し上回るぐらいの小さい街でっせ。

そんな街に「皿そば」の店が50軒を上回っているとか。

城崎温泉から天橋立(あまのはしだて)などに旅行する際に
ここが昼食を済ませるのに都合がいい、
手頃な観光地ということもあったんでしょうな。

(出石の皿そば  5皿でワンセット)


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男性なら追加でもう5皿、それぐらいが適当でっしゃろな。

店によっては20皿食べたら「そば通証」を発行したり
30皿食べた方には、名前を店内に掲げるんだとか。

50皿食べたら無料になるとの噂の店も有るようでっせ。

どこの店も「出石焼」の白い徳利とお皿や
汁を入れる容器に店のネーム入り。

最初は出汁だけで蕎麦を食べ
途中で卵や山芋や薬味を入れるのが出石流なんだって。

腹も収まったことで出石城址まで散策に出かけまひょ。

(出石の皿そば 近又さん)


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行列しなくても「皿そば」の店は沢山あるのにね。

味も「皿そば」の食べ方も、ほぼ同じだと、
わては思うんやけど。

観光の本やパンフレットに載っている有名店なのかな。

(出石の絵地図の案内板)


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(出石城址)


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出石城は江戸時代には但馬では唯一の
お城のある城下町でしたんや。

現在は豊岡市の旧市内の方が大きい町でっけど
江戸時代には豊岡藩は京極家の3万5千石→1万5千石。

当然ながらお城は造れない陣屋だけの小さい大名ですわ。

かたや、出石藩は豊臣秀吉の時代から小出氏6万石
途中で松平氏が10年ほど入城してから信州上田へ移封
変わって仙石氏が5万8千石で入ってきたんだとか。

幕末に「仙石騒動」と呼ばれるお家騒動があり
3万石に減らされたけれども無事に明治維新まで存続。

だから出石藩は「城持ち大名」格の殿様が配されたんだね。

(出石城址   隅櫓 & 登城門)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

明治時代の廃城令でお城の建物は全て取り壊されたそうで
石垣だけしか当時の物は残ってないんだって。

わてが昭和40年代に訪れた頃は
記憶では隅櫓も登城門もなかったはず。

おそらく昭和後半か平成になってから再建されたのかな?

(同級生と ツーショット)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

もう少し「辰鼓楼」(たつころう)の上の方まで
綺麗に入れて欲しかったけど仕方がないよね。

カメラなど触った事のない同級生が写してくれたんだから。

(出石町の道標)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

「おりゅう灯篭」とは出石川の船着場に残る灯篭ですわ。

この辺りに長州の桂小五郎が京都から逃げてきて
隠れていた長屋も残っているそうな。

でも今回は高速道路が混む前に大阪へ戻りたいとの事で
出石の町を巡ることはできまへんでしたんや。


(道の駅で 雪景色と自分撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

コンパクトデジカメで自分を写す練習をしてますんや。

半年ぐらい経ちますんで少しはサマになりましたかな。

意識しないで自分で撮るのは案外と難しいもんですわ。

ほな、今日はこれで失礼します  さいなら~♪



















コメント (24)
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