鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  岩間寺を訪ねる。

2012-12-01 15:48:11 | 日記
西国三十三カ所・第十二番の札所を岩間山・正法寺と言いますんや。

滋賀県は大津市の外れ岩間山(標高443m)のほぼ山頂にあるお寺なんですよ。

正法寺(しょうほうじ)と言うより岩間寺(いわまでら)と呼ぶ方が多いでっしゃろな。

交通の便が悪く普段はJR石山駅から京阪バスで中千町バス停まで行き
そこから山道を1時間ぐらい登ることになりますんや。

ところが毎月17日だけに限り、貸切バスがお寺の側まで送迎してくれはりまんねん。


(岩間寺行き 貸切バス)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


バス代が無料とは今時にしては珍しい事でっしゃろ。

まことに~ 有難いことでおまっけど。

「バス代の分はお寺さんへ お賽銭を多めに宜しく~」

バスの乗務員さんジョークとは言え、お客の笑いを誘いお上手でした。


(岩間寺 仁王さんがお出迎え)


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この日は一日中の雨でしたんやけど、バスは立つ客もいて臨時便まで出してま。

やはり17日に決めてお参りする人が多いちゅう事ですわ。

そりゃ~ バス代がタダで 山道を歩かんで済みまっさかいに納得ですわな。

山門はおまへんけど、立派な仁王さんがお出迎えしてくれはりまっせ。


(岩間寺境内の 大銀杏)


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黄葉には少し早かった(11月17日)んですが立派な大銀杏でっしゃろ。

このお寺には他にも色んな巨木や霊木が在ることで有名なんですわ。


(岩間寺の本堂) (真言宗醍醐派)


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まずは~ お参りして西国三十三カ所のご朱印を頂くとしまひょ。

ご本尊は千手観音さんなんですよ、秘仏だそうでお顔を拝見はできまへんな。


(岩間寺境内 霊木の由来を刻んだ石碑)


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奈良時代に元正天皇の病気を平癒させたと言う泰澄(たいちょう)という僧が
この地で千手観音他三尊をカツラの木で彫られたんやそうな。

元正天皇の勅願で正法寺というお寺が創建されたそうですわ。

元正天皇ちゅうのはあの奈良の大仏さんを創建した聖武天皇の叔母さまに当たり
聖武天皇が成人になるまで、中継ぎをした女性天皇さんでっせ。


(岩間寺境内の ご霊木) (桂の木)


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夫婦桂(みょうとかつら)と書いた立札がありまんな。

学問的には双幹の桂と呼ぶんだそうですわ。

第二室戸台風で倒木した幹から蘇生した現在は三代目のご霊木と言われてまんねん。

初代の桂の木から泰澄(たいちょう)大師が本尊を彫ったちゅう訳ですな。


(岩間寺境内の古池)


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(松尾芭蕉の句碑)  (芭蕉の真筆だそうです)


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「古池や 蛙飛び込む 水の音」 松尾芭蕉の一番有名な俳句でっしゃろか。

でもこの俳句は東京の清澄公園にも芭蕉が近くの深川庵に住んでいた時に詠んだと
立派な句碑が建っていたのを4年前に見ましたんやけど。

松尾芭蕉がこのお寺を訪れた事は彼の日記にも記録されているらしいでっせ。

真相は不明でっけど芭蕉さんの真筆をコピーまでして句碑を建てているからには
このお寺の古池を眺めて詠んだ俳句だとも言えるんと違いまっしゃろか。


(岩間寺境内の モミジ)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


残念ながら紅葉しているのはこの木だけでしたんや。

晴れてたら琵琶湖大橋や瀬田川と遠く比良の山々が見えるんでっけど
この雨じゃ霞んでしまって何も見えまへんがな。

琵琶湖の南半分が見下ろせる絶景なんやけどな、あきまへんわ~。


(岩間寺 ぼけ封じの幟)


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私の様に西国三十三カ所のお参りで訪れる人よりも、毎月17日には
ぼけ封じのご祈祷があるので訪れる人の方が多いようですわ。

真言密教なんでしょうな、ゴマを焚いて山伏姿の人や真言宗の僧侶が
一生懸命にお祈りをされてまっせ。

写真撮影は禁止だそうな、お姿はお見せできまへんけど。


(JR石山駅舎)


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有名な石山寺はこの駅からは3kmぐらい離れてまっせ。

ここも西国三十三カ所第十三番札所でっけど今回はパスしまっさ。

お天気やったらカメラで写すのには良いお寺でっけどこの雨ではね~


(京阪電鉄 石山坂本線) (700系 路面電車)


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石山寺にはこの電車で終点まで行くか、ここから京阪バスに乗るか、どっちかでんな。

この路面電車は昔は京都市内の京阪三条まで走ってましたんでっせ。

京都の地下鉄東西線が出来て、地下へ乗り入れが出来なくなって現在は
京都市の山科は御陵ちゅう駅で折り返しになってしまいましたんや。


(JR石山駅 橋上広場の銅像)


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松尾芭蕉はんの銅像が建ってまんな、なんでも松尾芭蕉はここ滋賀県の石山地区が
お気に入りで奥の細道の旅が終わった後に長く滞在したそうですわ。

石山寺の近くの「幻住庵」とお隣の膳所に在る義仲寺横の「無名庵」に
住んで琵琶湖や瀬田川の風景を、こよなく愛したようでんな。

お墓も「義仲寺」の木曽義仲の側に葬って欲しいと親しい門人にも語ったそうな。

義経だとか義仲とか悲劇のヒロインがお気に入りだったのかも知れまへんな。


(松尾芭蕉の銅像をズームアップ)


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奥の細道の旅が終わって5年後の1694年(元禄7年)10月松尾芭蕉は
大阪市内で亡くなってまんな。

門人たちは京都の伏見までは船でそこからは徒歩で琵琶湖畔の義仲寺に
遺体を運び遺言に従って埋葬したそうでんな。

「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」 (又玄作)  

この俳句は門人の一人「島崎又玄」(しまざきゆうげん)の作で
師匠の松尾芭蕉を訪ねて「無名庵」で泊まった際に詠んだとされてま。

現在は松尾芭蕉の眠る「義仲寺」境内に句碑が建てられてましたかな。


(JR新快速 223系電車)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


JR西日本さんご自慢の新快速電車は関東とは違いクロスシートやしスピードも
特急電車を追い抜くぐらいの韋駄天なんでっせ。

昔は特急雷鳥や寝台特急が追い抜かれるのが見れましたんやけど
現在は同じ外側線を走るので見れんようになりましたけど。


(大阪駅 新装後の遠景)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


実は雨の中をわざわざ遠出したんは、夕方にお馴染みさんの還暦祝いにお呼ばれし
17日と言うことから滋賀県は大津市の岩間寺まで出かけた訳でしたんや。

大阪駅まで戻ってきて梅田阪急や大阪駅の駅ナカ・マルシェ大阪がオープンしたとか
是非に見てみたいと思い早めに大阪駅へ戻ってきましたんですわ。

次回はその駅ナカ・マルシェ大阪と梅田阪急百貨店を紹介しまっせ。

ほな~ 今日はこれで失礼しまっさ さいなら~
















コメント (20)
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