東ドイツ50年と「ソリヤンカ」のスープ

2010年10月02日 | 社会




今年の夏の旅行の時に久し振りに食べたスープソリヤンカ」。
ドイツの伝統的なスープではない。
もともとはロシア、東欧の方の料理。

ベルリンの壁が崩壊する前、旧東独(DDR)で半年程働いた時、何処に
行ってもこのスープがあった。
工場の食堂、暗い冬の街の国営ホテル、
雪の中で次の接続を待ちながらの小さなレストラン。何処でも
メニューにはこのスープがあった。キュウリのピクルスやハムや
肉の切れ端がトマト味のソースの中でぐつぐつと煮込まれて、
油が表面に浮いていた。今でもその名前を聞くと、旧東独の
知人や友人との悲しい思い出がよみがえってきて、切なくなる。

西ドイツでの学生生活を中断し、旧東独ライプチッヒからやや離れた
ビッターフェルトの工場地帯、国営の化学コンビナートで日独の通訳として
働いた時のこと。社会主義・共産主義の国での初めての生活だった。

そこで見たこと、経験したことはマルクスが語り、ハイネが夢見た社会とは
何の関係もなかった。それは権力の嘘と建前話が隅々まで行き渡った
全体主義の社会だった。人々は外で話をする時には小声で話し、酒場や
料理店では右、左に視線を伸ばしながら、ものを語る癖がついていた。
化学廃液を垂れ流しにしていた湖からは、
風向きが変わると僕達が住む
外国人専用宿舎まで息が詰まるような異臭が漂って来た。

けれども、ドイツの人の気さくさや素朴さ、心の暖かさを旧東独ほど感じた
ことはない
。家庭での持てなしや、互いに話をすることをとても大切に
していた。
一度、クリスマス休みで、東独ライプチッヒから西独フランクフルトに
夜行列車で国境を超えて戻って来た朝、街行く人達の無機質な表情、
言葉のかどの立ち方、人当りのキツさに驚くよりは、呆然としたことを
今もよく覚えている。


今年の夏の旅行先では妻と二人で
ソリヤンカ」のスープをすすった。
当時とは異なり、具材がきちっとしていて、さっぱりした味だった。
妻にも旧東独地域の親戚が何人かいる。25年が過ぎた。

明日は東西ドイツ統一20周年の日。僕達、西ドイツに住む人間は旧東独復興
の財政的重荷や個人個人にかかる統一負担税の話をよくする。東ドイツの
人の「親方日の丸
な気質を揶揄したり、冗談の種にしたりもする。

けれども、この20年間、毎日の暮らしがすっかり変わり、失職や転職を
繰り返したのは東ドイツの人達である。全体主義の過去、抑圧の歴史、
技術の遅れ、資産、生活水準の格差、その引け目や苦しさを経験してきた
のは西ドイツの人達ではない。

一つの料理が他国に伝わり、日常の暮らしの中に入り込むには様々な背景が
ある。その味が変化していくには多くの人々の人生がある。
僕は外国人だけれども、どれだけ多くの人達がどんな想いでこの50年間
ソリヤンカ」のスープをすすってきたかと思うと、言葉に詰まる。


「ひとり水泳部」、無理をしない。

2010年09月25日 | 社会

今日は本当に久し振りの「ひとり水泳部」
泳ぐよりもブールサイドに寝っ転がって、大きな伸びをしたり
日向ぼっこをしたりホンワリしている。秋の陽射しも心地よい。
僕のコーチは、「明日のジョー」より「バカボンのパパ」。
無理をしない。





そんなことを考えながら、ここ最近読んだ2つのツイートを思い出す。

@minorikitahara「国益」って言葉を使って話す人に、
あんたは大臣か! と笑ったところ口論になる。
バカにした訳じゃないよ、ほんとに冗談だと思ったんだよ! …
私にとって「国益」なんてものがあるとしたら、
ご近所どうし仲良くね! だけだな。一人一国益よん。


(その通り!)

@footballanalist ドルトムント戦を見る。ただゲームを殺す力が
まだないのは、チームが香川が全能の神として君臨するときを
待っているから。…


(ドイツでは誰も考えなかったことだ!客観性も根拠も全く無いが
実にユニークな発想。)

双方どちらも気軽に書いた言葉だろう。でも両者の間には大きな
開きがある。一方は少し神がかり、変な愛国主義、意味の無い
島国根性。男性論理が転がって行く。他方はすっきり自然体。
女性の当たり前。

なお、このサッカー評論家の方のツイートは、
文芸春秋書籍営業部@bunshun_hceigyo のRTで見つけたものです。
僕は「全能の神?。ただの外国人選手です。いくらRTとしても、
文芸春秋の知性を疑います。」と@bunshun_hceigyoリプライ
したところ、いつの間にか、そのRT自体を削除していました。

文芸春秋は昔から好きな雑誌です。事大主義と事なかれ主義は
あまり好きではありません。

無理をしない。理の無いことをしないこと。


ドイツ副首相の結婚

2010年09月18日 | 社会
昨日、ドイツ副首相のべスターベレ氏がパートナーのモンツ氏と
2001年の改正法に基づき、ボン市の役場で正式婚、入籍を済ませた。
僕の地元の、かなり保守的な地方紙「ライニッシェ・ポスト」でも
祝福の想いを込めた明るい報道の仕方だった。

政治家としてのベスターベレ氏は強烈な性格で、昔から問題発言も多い
僕自身も彼の政治的思想には賛成できない事が多々あるが4、5年前
から自分の同性愛を公けにかつ堂々と明るく語り、個人、一市民として
の勇気を示したと思う。また、それによってドイツの同性愛者たちに
とってもポジティブ、励みになるような社会的貢献をしたと言える。

他方、つい最近の日本では若い芸能人、俳優の瓜田氏(僕は全く知らない
人だ)が同性愛者というだけでカップルに突然の暴行を行い、自分の
ブログの中でそれをひけらかし、更なる言葉の暴力を働く事件があった。
事件の現場となった吉野家は、このような差別思想に基づいた
暴力行為に直接の反応を示さず、最後まで曖昧な企業態度を取り続けた。

僕は日本とドイツやヨーロッパを直接比較する考え方はあまり好き
ではないし、この、日本人が明治以降親しんで来た比較モデルや
思考パターンは、ますます役に立たなくなってきていると思う。

それでも今回の件では、ドイツの社会が基本的に開放系であり
個人の自由度が高い側面が良い形ではっきり出たと感じるし、
片や日本ではという思いが非常に強かった。

日本のサービス業や大企業の保身主義、因習へのとらわれ、そして
何よりも瓜田氏のような人を人とも思わないような行動。
暗い気持ちになるとともに、一種の恐ろしさを感じる。




花の都、パリの現実

2010年09月04日 | 社会
東京駅八重洲口で、機関銃を持った自衛隊員がパトロールを始めた。
京都駅でも観光客に混じって迷彩服、完全武装の国家公務員が、
そこかしこで眼を光らしている。
日本も近いうちにそんな風になるのだろうか。

花の都バリでは、それが日常の現実のようだ。
その背景には
アフリカ等の旧植民地からの移民流入、フランス社会の流動化、
いまだに激しい階級差などがあるのだろう。
ヨーロッパにいると、西欧世界に根付くヨーロッパ中心主義と
植民地時代から第二次世界大戦後までの歴史に想いが至る
ことが多い。





パリ北駅の夕景。外から見ると本当に美しい。
「過去と現在」、「光と陰」の姿。
ヨーロッパの文化は美女と野獣の積層体のように思う。
フランスは香水の国。



京都の色

2010年07月26日 | 社会
東京のど真ん中、銀座から京都に戻る。御所西のホテルから自転車で
京都の街中、中京に向けて自転者のペダルを踏む. 夜の青い闇の中、
東山がほんやり浮かび上がる。


京都は今も京都の色をしているが、日本の現代がここにも深く浸透
していることは間違いない。戦後70年が経とうとしている。
人間の暮らしを支える技術がここまで進歩し、資本による大量生産及び
消費が先進国を覆い、交通手段の飛躍的発展と情報革命が世界の文化と
文明の構図を大きく変えようとしている。

日本人の暮らしぶり、生き方も大きく変化した。都市部、特に大都市
ではその傾向が著しい。東京はその際たるものである。
当たり前のことだろうか。凄まじいことである。