昨日はみぞれが降ったりで冬に逆戻りの寒さで
長野の友人から送られてきた雪の積もった桜の木の写真をみると
今週初めに見た信州の満開の桜も寒さに震えた事でしょう。
6日の帰りに立ち寄った上田城の桜を掲載させて頂きます。
上田駅前に「上田城千本桜まつり」の看板が出ており、まつりは4月8日から19日となっていましたが、
多分大丈夫だろうと思って行くと、幸い満開の状態でした。

上田城について
上田城は、甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸により、1583年に築城された平城で
真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名です。
第二次上田合戦後、関ヶ原の合戦にて、真田昌幸、信繁が属した西軍が負けたため
上田城は徳川軍に徹底的に破却され堀も埋められあしたが、江戸時代には上田藩の藩庁が置かれ
真田氏が信濃国松代へ転封された後は仙石氏が入城し、破却された上田城を現在のような姿に再建しました。
仙石忠政により、本丸は櫓7棟、櫓門2棟、それらをつなぐ塀と
二の丸にも櫓や櫓門を再建するための櫓台などが再建されましたが
忠政の突然の病死により再建は中断され、そのまま幕末を迎えました。
明治以降は、破却や城外への移築が行われ、城内には石垣と櫓(西櫓)が1棟残るのみでしたが
昭和期に、移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期には櫓門や塀などが復元されています。
現在は下図の上田城址公園となっています。

上田城千本桜まつりについて
江戸時代、城の中が松、杉の大木や竹がうっそうと生い茂る林だったことから
「カラスのねぐら」と例えられた上田城は、廃城後には松や杉が千本もあったそうで
秋になると、城の周辺ではキノコ狩りができたとも伝えられています。
松や杉が伐採された後、城跡内に多くの梅や桜が植えら
明治40年頃の絵葉書には、「花の上田公園」という題名がつけられ、当時から花の名所だった様です。

東虎口櫓門・南櫓・北櫓と桜





戦時中に軍に徴発された「時の鐘」が、昭和47年に復元されたもので
「この鐘の鳴り響くかぎり再び悲惨な戦争が起こらないように」の願いを込めた「平和の鐘」

東虎口櫓門の正面右手にある高さ2.5m、横3mある巨石で
築城のおりに柱石として据えられたと伝えられているものです。
大手の石垣に巨石を用いる例は多く、城主はその権威を示すために大きさを競った様です。
大阪夏の陣において武具を赤で統一した「真田赤備え」部隊を率いた真田幸村がかぶった朱色で鹿角型の兜です。

変わったものがありましたが、茶室と書いてありました。

長野の友人から送られてきた雪の積もった桜の木の写真をみると
今週初めに見た信州の満開の桜も寒さに震えた事でしょう。
6日の帰りに立ち寄った上田城の桜を掲載させて頂きます。
上田城の桜
上田駅前に「上田城千本桜まつり」の看板が出ており、まつりは4月8日から19日となっていましたが、
多分大丈夫だろうと思って行くと、幸い満開の状態でした。

上田城趾公園の外から眺めた桜と北櫓(右)と東虎口櫓門と南櫓(左)
上田城について
上田城は、甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸により、1583年に築城された平城で
真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名です。
第二次上田合戦後、関ヶ原の合戦にて、真田昌幸、信繁が属した西軍が負けたため
上田城は徳川軍に徹底的に破却され堀も埋められあしたが、江戸時代には上田藩の藩庁が置かれ
真田氏が信濃国松代へ転封された後は仙石氏が入城し、破却された上田城を現在のような姿に再建しました。
仙石忠政により、本丸は櫓7棟、櫓門2棟、それらをつなぐ塀と
二の丸にも櫓や櫓門を再建するための櫓台などが再建されましたが
忠政の突然の病死により再建は中断され、そのまま幕末を迎えました。
明治以降は、破却や城外への移築が行われ、城内には石垣と櫓(西櫓)が1棟残るのみでしたが
昭和期に、移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期には櫓門や塀などが復元されています。
現在は下図の上田城址公園となっています。

上田城千本桜まつりについて
江戸時代、城の中が松、杉の大木や竹がうっそうと生い茂る林だったことから
「カラスのねぐら」と例えられた上田城は、廃城後には松や杉が千本もあったそうで
秋になると、城の周辺ではキノコ狩りができたとも伝えられています。
松や杉が伐採された後、城跡内に多くの梅や桜が植えら
明治40年頃の絵葉書には、「花の上田公園」という題名がつけられ、当時から花の名所だった様です。

櫓門に行く途中の桜
東虎口櫓門・南櫓・北櫓と桜

東虎口櫓門と南櫓と桜

北櫓と桜

北櫓と桜

東虎口櫓門前の右手の堀と桜
平和の鐘と桜

平和の鐘と桜
戦時中に軍に徴発された「時の鐘」が、昭和47年に復元されたもので
「この鐘の鳴り響くかぎり再び悲惨な戦争が起こらないように」の願いを込めた「平和の鐘」
真田石

真田石
東虎口櫓門の正面右手にある高さ2.5m、横3mある巨石で
築城のおりに柱石として据えられたと伝えられているものです。
大手の石垣に巨石を用いる例は多く、城主はその権威を示すために大きさを競った様です。
真田赤備え兜
大阪夏の陣において武具を赤で統一した「真田赤備え」部隊を率いた真田幸村がかぶった朱色で鹿角型の兜です。

真田赤備え兜
茶室
変わったものがありましたが、茶室と書いてありました。

茶室
こうして紹介していただくと助かります
桜がこのようにきれいだったんですね。
戦いの時には杉や松のほうが、良いのでしょうけど(^_^;)
お堀にも桜が多くて、水面が見えないほどですね
上田城だけ何時も通過していました。
綺麗で素晴らしいお城ですね。
何時でも見ることが出来ると油断していました。
今思うと残念です。
実は上田城の桜を見にいったのは
今回が初めてです。
ヒューマンさんが行った事がないのは
極く普通の事でしょうね。
流石全国を歩き回られている三面相さんですね。
上田駅は小生年中利用するのですが、桜を見に
行ったのは初めて。上田城に行ったのは3度だけです。
桜を見に出掛けたのは今回が初めて。
城と桜はなんだか景色として合っているようで
素敵でした。
年中上田駅を利用している小生も、上田城の
桜を見に出掛けたのは今回が初めてです。
城と桜のコラボはやはり素敵でした。
松や杉から梅や桜に植え替えられて花の名所に変わったのですね。とても変わった茶室もあり、見所が沢山ありますね。
思ったより素敵でよかったです。
櫓門にも上れるのですが、今回は新幹線に
乗る前の1時間弱の時間異様の見物でしたので、
出来ませんでした。次回を楽しみにしています。