短歌や俳句 作者の意図と 読み手の解釈・・・
違って当然だと思うし それでいいのだと・・・(※私の勝手な解釈です)
時折 スマホで好きな歌を聴く以外は テレビもラジオも 一切 点けない 生活
日曜日以外は リハビリ・シャワー・看護師・ヘルパー・訪問医療・そして週3回のマッサージと時折の友人たち・・・何らかの形で さまざまな支援を受けている毎日。
としさんは 訪問者に合わせるように それなりに つじつまを合わせるかのように ちぐはぐながら 会話をしていく
数時間にわたって こだわりから抜け出せないときも 訪問者があると 不思議なくらい切り替えていき びっくりします
夕食 摂りながらの会話は いつも同じことの繰り返し
おいしいね~おいしいねえ~
としさんは やさしいねえ~~
ありがとう~
実は 話すことがないんです 新聞も読めないし・・・
先日のこと 突然 ・・・
「夕食後相手を褒め合ううしろに眼」と 短歌でも読むように言い始めたとしさん・・・
あわてて書き留める私。
下の句を一緒に考える
息子たちに ラインで送ると~~
「うしろの眼」 という言葉は どういうことなのか 話し合ってる孫の動画が返ってきました
じいじとばあばが 後ろからそっと僕たちの成長を見守ってくれてるってことかな!?(中1)
なるほど~~!!
じつは としさんとの会話には 続きがあります
としさんが病気に負けず頑張ってる姿を 息子たちは見てるからね! 親として最後の教育だよ!
毎日のように こんな会話を繰り返して むりやり 自ら応援しているんです
「うしろの眼」は 親の死ぬまでの生き様を 息子はしっかり見ているよ。だから みじめじゃあなくて 不幸じゃあなくて しあわせで 楽しい生活をしようよ!
毎日のように むりやり としさんと確認
じつは こんなことしか 話すことがないのが 実情!
「うしろに眼」の解釈が 人それぞれによって 違っていたのが ちょっと 面白かった
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ