今月のお題は 「かえる」
4月はうまい具合に休めたが、5月はそうはいかない。そうはいかないけど 一向に俳句に気が向かず、うじうじして・・・本当に 宿題が済んでない夏休み終わりの2~3日前の心境!!!
だったらやればいいのに ぎりぎりまでやる気が起こらないという悪習は 60年越えても治らないのだ・・・
5月28日(火)句会 13時30分に家を出る・・・
なのになのに 洗濯して 筋トレ行って 昼ご飯作って・・・
私は 家の中には 句を考える時間は無くて(他のことに目が向いて落ち着かない)・・・
週1 古民家に一人でいく道中が唯一 考える時間! それも 好きなCDがかかっていたら もうアウトだったりして~~~ まあ~いいやって、音楽を楽しんじゃいます!!
そんな私に いい句ができるわけもなく・・・
出掛ける前に 車中からメモを引っ張り出して ドタバタで あれでもないこれでもないと・・・
さてさて 言い訳はこれくらいにして~
1.休止符も 息を合わせて 河鹿笛(かじかぶえ)・・・・・週に2回から3回 古民家に帰っていると 5月に入ってカエルが一斉に啼きはじめました。うるさいくらいよく啼くのに、ある瞬間、まるで指揮に合わせるように ピタッと啼きやみます。そしてまた始まる。この蛙の合唱を、なんとかうまく句にしたいと思いました。
2.呆(ほう)け母 せわし忙し 豆ごはん・・・・豆の大好きな認知症の母。 エンドウが実るこの時期、昨年は豆になる前から 小さなさや豆を毎日毎日採り そうなると 少々の囲いでは役に立たず 7~8割のさや豆(豆用なのでさやは固くて食べられない)を捨てる羽目になってしまいました。今年は 実採りは囲いの中に、さやエンドウはばあちゃん畑に栽培。先日からせっせとさやエンドウを採ってきています。だから エンドウの季節になると 母が忙しく落ちつかなくなるのです。
3.ひとときの 巡り廻りて 麦の秋・・・・古民家に帰る道中 麦の穂が色よく小麦色の田んぼが何枚か見えます。麦の秋を夏の季語だと知った私は、なんとかこれを句にできないものかと・・・・でも 古民家への道中 行きは 行ってからやる仕事のことを、夫と話します。が・・・帰りは、疲れと・・・痴呆母のことを思い、二人とも無口になります。そんな時 鮮やかな小麦色が目に飛び込み ほっとする瞬間です。 最初は ひとときの→母想う にしていました。 母のことが頭にめぐり、美しい麦田の回りを廻って心癒されて、なんて・・・でも 2でも母のことを詠んでいるので、出がけ30分前に とっさに「母想うを→ひとときの」 に変更しました。
さて 皆さんの意見です。
1の句 田舎暮らしの経験者は 蛙がピタッと鳴き声をとめる瞬間があることをよく知っていて・・・しかし 街暮らしの人は 蛙に休止符の意味がよくわからないという。 さらに、中の7文字「息を合わせて」は 詠み手の感情であって 蛙が息を合わせているのではないと! (なるほど ごもっともな意見です)
2の句 この句の欠点は 三段切れになっていること。 呆け母・せわし忙し・豆ご飯・・・・(そういえば、以前も言われたような気が~~~。)私が古民家に通っている事を知るメンバーは、掃除洗濯畑と忙しいのに、お母さんに豆ご飯を焚いてあげてる優しい嫁と解釈してくれた!(本当は豆を採らせまいとする鬼嫁なのに・・・)
3の句 何を巡り 何処を廻り どんなひとときなのか・・・???麦の秋が詠みたいことだけは分かる (はい そのとおりです。言い返すことばもありません。麦がきれいだったのと 麦秋ということばを 初めて知ったので 使いたかっただけですので・・・ボツにされて当然です)
そして手直し後・・・
・休止符の あるがごとくに 河鹿笛
・母呆け せわし忙し 豆ごはん (三段切れがなくなり いい嫁になりました)
・麦秋や 光り合う道 続きをり (きれいな麦畑の句になりました)
反省:どうしても私は 私の個人的感情が入ってしまう。日本の美しい風景を、美しい日本語 で詠む。まだまだ 凡人の私には 先が遠いなあ~~
そして 本日のお勉強
・縁語・・・同じような意味のことば。これを 重ねて使う必要はない。これと似ていることばで「季語重ね」 が、あったな!!
・出ず・・・は否定。 出づ・・・は肯定。 どちらも「いず」と読む(これも依然習ってた)
・三段切れ・・・知ってるだけではダメだったことば
・知識として・・・ 梅は こぼれる
桜は 散る
牡丹は くづれる
だそうな!!
美しい日本語
すぐ 忘れるけど~~ まあ~~ いいや!! ハハハ