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コーヂ 日々のあとさ記

管理人の趣味であるアコギとバイク、登山に限らず、日々のあんなことこんなことを気が向いたように書き散らすぐだぐだなブログ

9.起算日から111日

2003年09月04日 | ドナー体験記
ドナーに選ばれたなら体には気を付けなきゃなぁと思い、そう言う意味でも趣味のバイクは自重せねばという事になって、それならこれでしばらくの我慢と滋賀県までツーリングしました。

ところが帰り道、渋滞の1号線で同進行方向の左折車に巻き込まれ転倒してしまいました。警察に来てもらって現場検証の後、近くの病院で診察と治療。痛みはあるのですが大した事も無く、曲がったハンドルで高速道路を走って帰宅しました。

今回の事故は右半身の打撲で済みましたが、この事故でなおさら気を付けなければと反省し、ドナーとしての立場を考え直しました。

・・・もしかしてコレは




『そろそろ大人しくしとかんかい』




というナニかの暗示だったのでしょうか(^^;
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8.起算日から106日

2003年09月04日 | ドナー体験記
なーんにも連絡がないなぁ、と思っていた矢先に郵便が来ました。開封してみると見出しが






『ドナー選定のお知らせ』








「へっ・・・?」








『先日の検査の結果、最終的なドナー候補者に選ばれました。』










「・・・んな・・・バカな!(驚)」








ドナー登録時の根拠の無い自信はどこへやら、です(^^;

かなり動揺してしまいました。ですが、そうはつぶやいていても気持ちの中では骨髄採取をこの期に及んで断るつもりはありません。ひとつ気になるのは手術や全身麻酔どころか入院も未経験である自分自身の不安。この事に対してどれだけフォローしてもらえるのでしょうか?
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7.起算日から31日

2003年09月04日 | ドナー体験記
確認検査で行われた血液一般検査結果が郵便で送られてきました。

『財団の基準で問題はありませんでした』

というお知らせと検査報告書が入っていました。

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6.起算日から21日

2003年09月04日 | ドナー体験記
確認検査&面談の日です。僕が検査を希望した病院で、初めて担当コーディネーターさんと調整医師に会いました。病院では採血と以前送られてきた『骨髄提供者となられる方へのご説明書』という冊子を使って移植に関する説明をお二人から受けました。平日で会社を抜け出して来たので、出来る限り早く終わらせていただきました。
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5.起算日から10日

2003年09月04日 | ドナー体験記
夜、自宅にコーディネーターさんから電話があり初めてのご挨拶(^▽^)

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4.起算日から6日

2003年09月04日 | ドナー体験記
財団の地区調整委員会事務局から郵便で、担当コーディネーターさんと調整医師が決定したとの通知がありました。
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3.ドナー登録から10数年後のある日(起算0日)

2003年09月04日 | ドナー体験記
財団からA4サイズの封筒が自宅に送られてきました。『重要』『進展』の赤印と封筒下の印刷に『初期コーディネート担当』の文字があります。


「こっ・・・、これはもしや・・・(緊張)」


数年前の2次検査の時と同じ緊張を感じつつ開封します。1枚目は僕の住所と名前。2枚目に



『HLA適合のお知らせ』



この見出しでかなり動揺しました(^^; いきなりの事で心の準備ができてません。続いてその先を読みます。



『ドナー候補者の1人に選ばれたので確認検査と骨髄提供に協力できるかどうかよく考えて、そしてその際、家族とよく話し合いを・・・うんぬん・・・』


「・・・ああ、候補者の1人で再検査ですか、そうですか(^o^;ホッ」



いきなり決定という事ではないので少し落ち着きました。同封の問診表と説明・採血(確認検査)希望場所の用紙に記入して、その話と内容を妻(この時は看護士の彼女と結婚していました)にも報告。妻は特に何も言いませんでした。
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2.登録から2~3年後(だったような(^^; )

2003年09月03日 | ドナー体験記
数年経過してバンクから連絡があり、HLA2次検査をしました。仕事を抜け出し、病院へ出向いて採血のみで終わったのですが、その後は何も連絡がありませんでした。この時は

「もしかしてドナーに?」

というドキドキと手術の不安、そしてその後の連絡が無くて

「やはり適合の確率は低いんだなぁ」

の感想に加えて、痛い思いをせずに済んで安堵したのを覚えています。その後、僕の所には骨髄バンクの会報誌が定期的に来るだけでした。
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1.ドナー登録

2003年09月02日 | ドナー体験記
ドナーになるにはまずドナー登録というものをします。ナニも登録してないのに、いきなり「骨髄提供願います」なんてことはありません。


最近でこそしばらくは行ってませんが、16歳からプチ献血マニア(笑)だった僕は、付き合い始めた彼女が、とある病院で血液内科(再生不良性貧血やいわゆる白血病の専門治療の科)に看護士として勤務していました。

時々聞く治療の話(もちろん患者さんのプライバシー関係のことではなく)の中で、骨髄移植というものを遠い世界の事ではなく、なんとな~くですがそう遠いものではなく身近に感じていました。病院の待合室には

「登録をお願いします」

というポスターも貼られていたりして

「じゃあ、登録くらいはしてもいいかな」

程度の気持ちでした。


そもそも登録時、何の根拠の無い自信ですが自分がドナーになる事は一生無いと思っていました。

HLAが適合するのは大変低い確率と聞いたからです。普段の暮らしでも宝くじや懸賞に当たったためしがない僕。

うん、ありえない。


逆に適合する確率が高い場合、何度も適合してドナーになってしまうようなら何度も協力しなきゃいけなくなると思って登録しなかったかもしれません。


当時はまだ財団としての「骨髄バンク」ではなく、名古屋骨髄献血希望者を募る会の「東海骨髄バンク」の頃です。その時のドナー登録者は2000人余でした。


ちなみに看護士の彼女は僕に1度も「ドナー登録して」と言いませんでしたし、僕もわざわざ「登録する」と言わず、伝えたのは登録後ずいぶん経ってからでした。
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ドナー体験記 前書き

2003年09月01日 | ドナー体験記
goo簡単ホームページで掲載していた「ドナー体験記」。

平成19年9月末で goo簡単ホームページ のサービスが終了すると
いうことで、つまりはコーヂHPが僕の意思に関係なく閉鎖することに
なりました。

でもってそのままにして放置しておくと全ての記事が無くなって編集どころか
見ることもできなくなってしまうので、とりあえず当ブログにデータ保全のため
引越しすることにしました。


再度HPを構築するべく一時的な退避になるのか、それとももうHP作成を
する気力もなくずーっとこのままなのか(笑)わかりませんが、しばらく
経過を見ようと思っているところであります。


また、この「ドナー体験記」は記事を書いてから数年経っているので、
いま思うところの校正も入れながら記録していきます。


平成19年8月1日
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