朝から、良く晴れた、ニュージランドのご家族を、五色温泉まで
お送りし、大学生のお客様を駅までお送りし、
掃除の後、買い出しして、
午後一番で、11月の民族歌舞団『こぶし座』
ニセコ公演の打ち合わせ。
その後.直ぐに夕食の準備、19:00時頃、最後のお客様を
駅までお迎えに行って、厨房を片付けて、アコーディオン弾いて
10:00時になった。
今日は、マレーシア、韓国,日本、中国、
その他チョット不明なナショナリティーの
お客様が、宿泊している、いろんな事があって
たまには、凹む。
凹んでも、笑顔を絶やさず、アコを弾き続ける。
明日は、朝から練習して大正琴の皆さんと
ニセコディサービスセンターへ慰問に出かける。
アコも持参して聞いて頂く。
この街にあって、こつこつ重ねて行くしかない、
光が当たらなくても、当たらなくても、自分の演奏をこつこつ
積み重ねて行くしかない。そのうち、木漏れ日くらいが
当たる事もあるだろう。必ず何処かで、聞いている人もいる。
今週はノースウェーヴで私の出演分の放送があると
先日のディレクターさんから電話頂いた。
あ・き・ら・め・な・い。
色々、思い出させていただいて感謝感謝となります。
OOOO山荘のあの年月は、私の歴史上、金字塔のごとく
光り輝いていた、非常に濃くもあり、ヘビーで
楽しい日々でした。今から思えば、懐かしく、目から
鱗ばかり落としてたようなものですが、私も間違いなく鍛えられました。
何十人いたんだろう?おばちゃん、ねえちゃん、
職人さん、高校生のシフトを、早番、遅番、毎週
うんうん組んで、12月30日~1月4日あたりまでの
毎日朝昼晩/メニューの食材を1月4日から順番に逆算して冷凍庫に放り込むという離れ業も覚えました。
そう、生きていれば、色々あります。
彼は『なんもだべさぁ』だけど、正月とか
私達は、ピリピリして必死に200食くらいの
メニューと戦っていました。
一日コーヒー3杯だけ飲んで、何もしないで
帰った夏の日も多かったけどね。