ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

至る人も、至らない人も・・・・!

2009-07-04 06:37:03 | Weblog




雲に覆われた朝の空、ひんやりとした冷気が流れている。
最近、山の姿を見ていない、
いつも,厚い雲に覆われ、裾野の方が僅かに見える程度だ。
昨日も、駅に行く道で、お客様に、
「この正面に富士山に形の似た
羊蹄山があります、別名蝦夷富士と呼ばれ、
それはそれは美しい山です」

と拙い英語で説明した。

「登るのには、時間がかかるのか?」
「行って帰って来るのに8時間くらいかかる」

姿形が見えていれば、一目瞭然なのだけれど・・・・。

お父様が、日本の大学で、研究をされていて、
学校が既に休みに入り、U.S.から3人の子どもさんを連れて
お母様が日本旅行に訪れた。

ブログのマスクを替えると、字体がデカクなった。
お年寄り?には、非常に見易くなったと、お褒めの言葉をいただいた。
お褒めの言葉を頂くと、嬉しい。

私(達)は、至らないことの方が,はるかに多い。
ことを始めるに当たって、一人で出来ることは限られている。
有志を募って、グループを組んで、協力していただける方に
声をかけてゆく。

それぞれの人に,役割が与えられる、ある人は、責任者,ある人は
00係、00係、副責任者と・・・・・
それぞれの人の,至らない所を,補いあって、事を進めるよう協力しあう。
そこに,心が通う連帯が生まれる。
人と人が集まり、すべての思いが同じである事はない。
許せない事も、見過ごせない事も,多い。

だからといって、出来ない,至らない人を排除してゆく方法では、
なかなか活動はままならない。営利を追求しなければならない組織は
別だけど、「協力したい、お手伝いしたい」と思う人々の心は
温度の差はあっても、同じように受け止めて,進めるべきだと思う。
自分の思い通りに,物事が運ばない方が、むしろ多いと思う。

至らない人も,至る人も、活躍出来る場が持てるよう、
上に立つ人々は,配慮されるべきだ、
「何年か経って、何とかここまで、来たね!!」と
皆が思える場所であって欲しい。
心が通わなければ、なかなか一つの事は続けて行けない。

哲学,宗教は根本理念が、まあ、しっかりしているので、
荒れ野にあっても、人々は,一つの方向を目指せる。
幾多の哲学、宗教が,目指したし,今も目指している。

それでも、なかなか世界の平和や人々が安心して暮らせる
世界はやって来ない。そうこうしている内に,終焉の方が
先にお近づきになって来るようで、私達の知恵で、それを
回避し続けて行けるのだろうか?・・・・・。

世の中に,新しい便利なものを導入する際には,経済効果だけではなく、
常に、それの「あらゆる階層の人々への」功罪を検証してから、導入するべき
時が来ていると思う。いくら便利で,経済効果が大でも、罪が懸念される場合は
はっきり「ノー」と言える社会にまで,私達は、ある意味で、
成長して行かなければならない。

今日は,朋子さんが、雲ですっぽり覆われた,羊蹄山に登る、登山の日だ。
私は、男のようなメス「ルゥ」ちゃんとお留守番をする。
明日は、京極吹き出し音楽祭に出演して,札幌に走る。
ドラムのスティックと斉藤パンを携えて・・・・。
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