ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

食育と餌?の狭間で!

2007-08-24 06:23:21 | Weblog
期待を込めて、

窓は開けてられません、引き締まった朝になりました。
道の駅に泊められた車の窓ガラスはすべて曇り、
『11月のおわりみたいやな~~』と関西なまりの
伯父さんが呟きました。

暑さにことのほか弱い、ワン公はすこぶる元気で
食も進みます。

3時起床、お客様の食事と息子の弁当のネタを仕込んで
今日は、一時間間違えて起きたと思いました。
26日レッスン、それぞれの生徒さんのレッスン内容をチェック
仕込みをします。音は出せないのでコピーその他音の確認は
は後でします。

11月4日発表会の名簿作成、プログラム用の曲目一覧も合わせて
打ち込んで行きます。その前に10月7日、HAAサロンコンサートも
多くの生徒さんに協力を求めなければならず、名古屋からお迎えする
ゲスト奏者:シャオフォンさんのタイムスケジュール、役割分担など
と共に、そろそろ、考えます。

昨日は、学校給食センターの視察に、恵庭と厚真にお邪魔しました。
いずれの給食センターも最新鋭の器機を取り入れた、完全ドライ方式
の素晴らしい施設でした、それぞれ、調理能力?が6000食、3500食
800食という優れたものでした。衛生面でも完璧に文科省の基準を
クリアーし国内でも有数の施設として知られているそうです。

YHでは、毎日5食、10食、多い時は25食とお客様の食事を提供しています、
食事を考える時は、食材の善し悪しはありますが
いかに手間をかけるかによって、テーブルに並べられた時の
景色が変わって行きます。手を抜こうと思えばいくらでも
抜けます、テーブルの景色も貧相な物となります。

昨日、給食センターを拝見し、何十億とかかった立派な施設で
吟味された、地場の食材を素早く調理されていましたが、
食数が増えれば増えるほど、どうしても景色として、餌?に
近づいて行くことは避けられないことなのだと思いました。

食育という言葉が聞かれます、私は食育とは、そのとき食事する
テーブルに子供たちが座り、『いただま~~す』と始まった
その部屋の、やはり景色だと思います。ゆっくり落ち着いた
時間が確保され、あれこれおしゃべりしながら、楽しくお昼を
いただけるのであれば、それは素晴らしいと思います、
時間に追われ、せせこましくかき込まなければならないのであれば
それは、淋しい景色となります。

昨年、秋、斜里町の小学校を全部回らせていただき、給食をともに
いただき、強く感じました。

何十億という資金を使い、給食センターを新築し、どうしても餌に近い
食事の提供となるのであれば、思い切って給食をやめ、弁当を持って
通うことを基本に考えてもと思いました。時間がくれば、すぐテーブルの
上に弁当は並び、食事をする時間は保たれます、食物アレルギーの
子供が非常に増えていると聞きます、金払って不味い物を食わせる
という苦情も、給食費不払い?の心配もありません、
自治体で、幾ばくかの給食食材購入券のような補助制度を考えて
家庭に配布しても良いかも知れません。

本当に食べれなかった時代、私達は学校給食という恩恵にあやかりました。
人々の価値観が変わり、学校に対する保護者の共通認識も胡散霧散して
しまった今日、学校給食という制度は今一度、考えられるべきだと
強く感じました。
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