デジカメぶらりぶらり

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絵師

2013-05-30 06:11:14 | Weblog
ロシア生まれのピアニスト、イリーナ・メジューエワさんがクラシック音楽の魅力を、こんなふうに語っていた。「作品を通して死んだ人と対話ができる。

同じ作品を何度弾いていても、新しい発見が出てくる。奥行きの深い世界、豊な世界、終わりのない世界・・・」空襲で焼失した国宝・名古屋城本丸御殿の復元も、いにしえの名工らとの対話の積み重ねだ。

残された実測図を基に、材料を吟味し、伝統工法で組み上げていく作業は、楽譜を読み込み、音の伽藍(がらん)を築く演奏家の姿に通ずる。御殿は狩野派絵師による絢爛豪華な障壁画で彩られていた。

うち千面余は空襲を免れ重要文化財となったが、三百面ほどが焼け、今はガラス乾板の写真でしか残っていない。計千三百面すべての絵を、描かれた当時の鮮やかさで蘇らせる復元模写の仕事も続く。

現代の絵師らを率いる加藤純子さん(64)は、描いていると、先達が手をとって教えてくれているような気がするという。「絵師たちも、その美を記録しした写真技師も、自分の持つ技を余すところなく出し切っている。

欲を放り出して仕事をしている。その純粋さが伝わってくる。わしたちの仕事は、そうゆう人たちの心を、心として受け止めるものなのです」。全体の3分の1が復元された御殿の一般公開が29日から始まる。

蘇った4百年前の美は、過去と現代の対話の結実だ。

テクニック

2013-05-28 07:20:19 | Weblog
あり得ない比喩による論理のすり替え、相手に考える間を与えないテクニック・・・。『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』という本に書かれている駆け引きの実践例だ。

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が10年前に書いたこの本を読むと、弁護士として磨いた交渉術を今も活用していることが分る。古書店では元値の倍以上の値がつく人気だ。

自分の発言のおかしさや矛盾に気付いた時は「無益で感情的な論争」をわざと吹っ掛けるとあった。その場を荒らして決めせりふ。「こんな無益な議論はもうやめましょうよ。こんなことやってても先に進みませんから」。

橋下さんは先日出演したテレビ番組で、在日米軍に風俗業の活用を求めた発言について、米軍と米国民に謝罪、発言を撤回する意向を示した。発言撤回に言及したのは初めてだ。

言い負かせば勝ち、という価値観も国内外からの批判に揺らいだとみえる。「(従軍慰安婦が)必要だったのは誰だって分かる」との発言を「その時代の人たちが必要と思っていたと述べた」とすり替え「日本人の読解力」やメディアに責任転嫁した。

これらの発言も撤回すべきだろう。弁護士時代のように、感情的な議論を吹っ掛け、「無益な議論はやめましょう」とはごまかせない。全て自らが巻いた種だ。頼みにする「ふわっとした民意」が逃げてゆく。

エベレスト

2013-05-26 07:57:27 | Weblog
「これ以上ない気分です。でも、これ以上ないくらい疲れている」。世界の頂から届いた声が、この上ない充実感を伝えていた。

三浦雄一郎さんが、80歳でのエベレスト登頂を宣言したのは、昨年10月。それから2回の心臓手術を受けた。階段を少し上っただけで、息が切れた、そのわずか半年後に標高8,848メートルにたどり着いた。

お孫さんにおじいちゃんと呼ばれるのが嫌で、スキー競技のスーパーG(スーパー大回転)をもじって「スーパーじい」と呼ばせている三浦さんは、まさしく驚異の80歳だ。

その超人がどの冒険より恐怖を感じたのが、東日本大大震災だという、東北は少年時代を過ごし、冒険の醍醐味を教えてくれた地。『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』(小学館)に記した。

自分が快挙を成し遂げても被災者には(何も響かないかもしれない。遠い世界の変わり者としか思われないかもしれない・・・すべての希望がなくなり、誰も復活出来ないような漆黒の闇から這い上がること。それはエベレスト登頂よりも尊い)。

三浦さんが登頂で伝えたいのは、広い意味での冒険だという。家で打ちひしがれている人が、ちょっと外に出てみる。昨日まで通ったことのない道を、歩いてみる。

自分の世界を日々少しずつ広げてみる。<その先につながっている可能性は、何歳であろうと無限大>だと。

多子

2013-05-24 07:11:20 | Weblog
日中戦争が泥沼し太平洋戦争に突入する前の昭和14年、厚生省は「多子家庭表彰要綱」を発表した。10人以上の子どもを産み、育てた約1万の家庭が翌年、表彰された。

「多産報国」の政策が打ち出された背景には、人口の自然増加が止まったことへの危機感があった。子どもに恵まれなかった夫婦は肩身の狭い思いもしただろう。

こんな歌を読んだ人がいる。<国のため生めよ殖やせときほふ世に子のなき妻と我とひそけし>倉科果村(『短歌で読む昭和感情史』)戦争のために、気負って産めよ増やせよと、多産を要請される時代は遠くになったが、社会保障の持続という観点から、深刻な少子高齢化は最大の政治課題である。

妊娠や出産の適齢期など医学的な知識、情報を若い女性に知ってもらおうと、森雅子少子化担当相の下で発足した「少子化危機突破タスクフォース」が導入を検討する「生命と女性の手帳(女性手帳)」に批判が集まっている。

若い時に出産するよう圧力をかけられている、少子化の原因を女性だけに押し付けている、と受け止められているからだ。知識の啓発なら、学校で教える方がよほど効果的だ。

働く女性が子どもを産み、時期が来たら職場に戻る。欧米では、当たり前の事ができない社会の仕組みから変えていきたい。「待機児童」という恥ずべき行政用語にはもう退場願いたい。


愛息

2013-05-22 08:12:34 | Weblog
<何百万年前か/ 初めて二本の足で立ち上がったヒトが/ そうしたように/ 手を前に差し出して/ 目の前の/ いちばん近いひとに向かって/ 進む/ ぼくも/ 時には/ そんなふうに手をのばしたくなってくる/ 誰かに向かって>。 詩人・高階杞一郎(たかしなきいちろう)さん(61)の詩集『早く家に帰りたい』にある「見えない手」だ。

わが子が初めて歩き出し、自分に向かって懸命に歩いてくる。そのときにわいた思いを、胸の奥で大切にしている人は多かろう。高階さんの愛息、雄介ちゃんは生まれ時から腸の難病に苦しめられた。

1歳になるまでに大手術を5回も受けた。家で暮らせるようになったのは生まれて3年目。1994年、3歳11カ月で逝った。その翌年に出版された『早く家へ・・・』のあとがきは、こう結ばれた。<天国にいるゆうぴーに、いつの日かもう一度ここに戻ってきてくれるようにとのながいをこめて>。

この詩集が夏葉社から復刊された。高階さんは<「もう一度戻ってきて」という願いは・・・最初から叶えられていたように思えます>と書いた。散歩の時も、食事の時も、あの子は三つの時の姿のまま、いつもそばにいてくれた。

それがたくさんの詩になったと、詩は続く、<よく晴れた朝/ こどもといっしょに窓から遠くを眺めていると/ うしろから/ そっと支えてくれる手が/ ぼくにも/ あるように思われてきて>

体外受精

2013-05-20 07:09:50 | Weblog
英国西武ブリストルに住むルイーズ・ブラウンさんは、今年で35歳になる。誕生日は1978年の7月25日。この日は、医学史に刻まれるべき記念日だ。

ルーズさんは、世界ではじめて体外受精で生まれたのだ。当時の新聞を開くと、見出しが踊っている。<科学の勝利か 生き過ぎか 神の領域に挑戦>。

ある産婦人科医のこんな意見が載っている。「子供に対する冒瀆だ。科学のもてあそびは恐ろしい・・・人類を、この地球を滅ぼす結果を生じないとも限らない。

だが今や、体外受精で生まれた子は4百万人以上。夫婦間だけでなく第3者からの卵子提供も広がっている。わが国でも、無償ボランティアで卵子を提供する女性と、不妊に苦しむ人をつなぐ民間団体の動きに期待が集まる。

ただ、卵子の提供をめぐる法や制度がないのが、現状だ。不妊治療で海外から患者を集めるスペインに目を向ければ、経済危機が深刻になるにつれて、金銭目的で卵子を提供する女性が増えている。

卵子の売買は違法だが、提供の際に肉体的負担への代償として一回10万円余が支払われるためだ。過度に提供を繰り返したために、ホルモン剤で健康な体を失った人までいるという。

こうなってしまっては、それこそ「母性への冒瀆」だ。希望を差し出す女性と受け取る女性。双方を守るための議論を集める時だろう。

ユニークな名前

2013-05-18 08:06:50 | Weblog
ユニークな名前の植物は数々あれど、ここまで気の毒な花の名は珍しい。アカネ科のヘクソカズラである。漢字で書くと「屁糞葛」と強烈だ。

やぶやフェンスに絡まって伸びるつる性の雑草で、7月から9月に白と薄いピンクの清楚な花を咲かせる。「早乙女花」という別名もあるのに、不憫な名が付いたのは葉や茎に悪臭があるからだ。

「香水で男性を魅了する女性は多いが、ヘクソカズラの作戦は逆である。この悪臭で百年の恋もいっぺんに冷めさせ、悪い虫を寄せつけないようにしたのである」(稲垣栄洋著『身近な雑草の愉快な生き方』)

名前では損しているが、実は由緒ある植物だ。柿本人麻呂が没した地とされる島根県益田市の万葉植物園には、万葉集に詠まれる約160種の植物のうち153
種が栽培されている。ヘクソカズラが美しい花を咲かせるまであと少しだ。

若さ

2013-05-16 06:57:35 | Weblog
レンギョウの黄色が躍りヤマモモの桃色が鮮やかだった。ソメイヨシノが満開だった先月中旬、福島市の花見山は文字どおり、花絵巻に彩られていた。

今はヤエザクラが満開だ、散策していると、同じ種類の花でも咲き方に違いがあることに気付いた。高低の差や日当たりなどの違いで、ハクモクレンもヤマモモも咲く時期がかなりずれている。

ふと、子どもたちも同じではないかと思った。性格や家庭環境などによって一人一人育ち方は違う。早熟なタイプもいれば晩成型もいる。それなのに同じ時期に一斉に開花するよう強要する社会になってはいないだろうか。

震災後、「夜回り先生」として知られる水谷修さんに、宮城県気仙沼市の若い女性からメールが届いた。かつてリストカットを繰り返し「死にたい」と言い続けた子だ。

津波で家を失い、家族で避難所にいた。救護班の一員となり、おばあさんの体をずっとさすっていると、泣きながら「ありがとう」と言われ、人のために何かをすることの意味を知った。

「死にたい」と言ったことを恥じ、将来は医者になりたいと伝えてきた。<「若さ」の前に不可能もなければ、陰影もない。それは一切を突破する力であり一切を明るくする太陽である>(与謝野晶子)。

若者が生きる意味を見つけた時、隠れていた才能は一気に伸びて、いつか満開の花を咲かせる。


役に立つ

2013-05-14 07:33:14 | Weblog
体の弱い、金持ち持ちのボンボンで、落ちこぼれの寝小便たれ。大学に入ってからも、友人から年賀状一枚も来ない。社会派弁護士として鳴らし、83歳で逝去した中坊公平さんは「弱虫」だったという。

父と同じ法曹の道を歩んでからも、後年の「平成の鬼平」というイメージには程遠かった。社会問題には興味はなく、ビジネス一辺倒。経済的には成功し、少年時代の劣等感も克服したと思っていた。

そんな中坊さんを変えたのが、森永ヒ素ミルク中毒事件だった。国や企業からは「解決済み」とされ、黙って後遺症に苦しむ被害者を救うために、裁判で闘う。

その弁護団長になるように頼まれた。国や企業相手に左派の弁護士たちと一緒に闘あえば、ビジネスに支障が出かねない。父も辞退を勧めるだろうと相談すると、一喝された。

「そもそも赤ちゃんに対する犯罪に右も左もあると思うのか。お前は昔から人様のお役に立つことがなかった人間やないか。引き受けるのが当たり前や」この訴訟で中坊さんが気づいたのは、何の救いの道も見いだせぬ人の絶望感だった。

母親たちは国や企業への恨み言を封印し、毒入りのミルクをわが子に与えた自分を、弱い人たちと向き合うことで、弱かった自分に向き合うことができた。と中坊さんは述懐していた。救われたのは彼らではなく、自分だったと。

二院制

2013-05-12 08:30:52 | Weblog
参議院の役割とは何か。それを考えた、それは、1946年8月、憲法改正案が上程されたばかりの貴族院本会議の記録だ。

新憲法により貴族院は廃止され、参議院となる。その生まれ変わりの過程で、どんな議論が会ったのか。秋田三一氏は貴族院に多くの開戦反対論者がいながら大戦を止められなかったと悔いつつ、二院制の意義をこう説いた。

「わが国民性の感情的であり、あるいは軍国主義が宣伝せられるや直ちに軍国主義となり・・・将来といえども過激なる急進主義が少し勢いを得れば・・・。
その主義国家と化するおそれのあるわが国におきましては、常に冷静に行き過ぎを抑える第二院は・・・絶対必要なのであります」。

実は占領当時は当初、一院制にしょうとした。だが、日本側の巻き返しで、二院制は維持された。そこには「二度と暴走を許さぬための歯止めが必要」という考え方があった。

改憲の条件を厳しくした九六条にもまた、同じ思いが込められている。その九六条をめぐる論戦が本格化した国会で9日、参院常任委員長の一人・川口順子氏が解任された。

訪中した氏が滞在を急きょ延ばしたため委員会が開けなかったのは、確かに問題だ。しかい、史上例のない解任にまで値することなのか、参院が行き過ぎた政争の府となっては、肝心の役目が果たせまい。