デジカメぶらりぶらり

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アナログ

2011-07-31 06:57:07 | Weblog
消えゆくものは懐かしい。時代遅れといわれてもかばってやりたい。銭湯、街中の映画館、SL,そうしてアナログテレビ。

そこで分かったのは、国会中継など同じ内容の音声をリアルタイムで伝えているのに、ラジオの音声はデジタルテレビよりも2秒近く先に届くということだ。

アナログテレビならラジオ放送と同着になるのに対し、デジタルテレビだと遅くなるのである。これは仮に、野球中継で松井選手が快音を発したとして、ラジオでホームランと分かった後に一呼吸置いてデジタルテレビが「入った、入った」と叫ぶのと同じだ。

ニュースは1秒でも早く届く方に価値がある。総合点で比較してみないと、互いの長所と短所は分からない「アナログ(時代錯誤)と笑われそうだが、アナログ最後の瞬間を目撃し、一つの時代の終わりを実感した。

汚染

2011-07-29 08:07:08 | Weblog
放射性セシウムに汚染された牛肉が流通しているとの記事に、「被ばくマグロ」を思い出した年配者も多いだろう。

1954年(昭和29)年、米国の水爆実験で被ばくした漁船が、東京の築地市場にマグロを水揚げした。放射能による汚染がわかってパニックになった。当時の社会は「放射能汚染」の言葉しか知らなかった。

現在は「セシウム」や「ベクレル」の専門用語が飛び交っている。検査能力も向上して「その量なら大丈夫」と専門家は言う。57年前の「被ばくマグロ」は埋めるしかなく、築地に「原爆まぐろの塚」が立ったという。

水爆と原爆の区別ができなくても無理はない。今も本質は同じだ。消費者の情報量が増え、知識も豊かになったのに、何か進歩したものがあるだろうか。肝心の原発事故の収束は「数十年」かかるという。

あいまいで無責任な数字である。今の子どもたちが将来苦労することだけは明白だ。汚染牛の流通は食生活全体にかかわる問題になろう。収拾へ「マグロ騒動」を体験した世代から学ぶこともあるはずだ。

血液型

2011-07-27 06:18:39 | Weblog
血液型や出身県で、性格を決めつけるほど、いい加減な話はないと思っている。「B型の人」と「博多の男」なら、皆あんなのか。あの議員もいい加減なことを言ってくれたものだ。

個性や能力はそれぞれの努力としつけと教育のたまものでる。影響力の大きな政治家が、それをちゃらちゃらと言うのは罪つくりである。

別の有名な福岡選出の議員がいた。「君も九州男児なら、はっきりしろ」と先輩議員に迫られて「九州男児といっても、おれは東京育ちだからなぁ」と答えたという。

父祖伝来の選挙地盤がたまたま九州だっただけ。が、都合のいいときは響きのいい「九州男児」を名乗る。日本人は古くから「人国記」など、出身地で人物判定するのが好きだ。

今もテレビで県民ショーがもてはやされ、県民性を分析する出版物がよく売れる。人気の理由が分からぬでもないが。血液型判定など、科学理論と混同されているのはおかしくないか。

この勢いに抗するのは至難の業だが、ときには反省してみればどうだろう。そんな提案をすると、あなたはどちらの出身で、血液型は、といわれそうだが。

右肩下がり

2011-07-25 07:27:28 | Weblog
台風6号は異様な進路をたどって東に消えた。普通は列島に沿って北東へ進むのが、四国に上陸して紀伊半島から太平洋を斜めに下った。

頭を下げる形になるので「おじき台風」と呼ぶそうだ。グラフの形で言うと「右肩下がり」となる。昨年9月にも、敦賀市付近に上陸した後に「右肩下がり」で東海に向かった変な台風があった。

経済が右肩下がりの昨今、台風まで右肩下がりとは皮肉な話だ。自然災害も、人間の活動に合わせて変化する。最近では、集中豪雨、とりわけ都市型豪雨が知られるようになった。

台風もまた、地球温暖化の影響を受けているとの説がある。台風の発生は海水温の上昇と深く関係するから人間活動と台風の発生はつながっている。人知の遠く及ばぬ大自然の力に見える台風が、人間の生み出した地球温暖化と無縁ではないとすれば、人間とは何と恐ろしい存在なのだろう。

自然界の小さな異変と思われている「おじき台風」が、実は大きな変化の兆候かもしれない。考え過ぎと言われそうだが、過去の常識が参考にならない最近の災害である。

自然の気まぐれに敏感にならざるを得ない。

なでしこ

2011-07-23 06:51:54 | Weblog
輝いている人からは、いい言葉が聞かれる。「なでしこジャパン」澤穂希(ほまれ)主将の会見でのひと言。

「負けてよかった。負けて得られるものがあった」1次リーグ・イングランド戦のことである。評論家や解説者諸氏は、優勝のためにはこの一番こそ大事、とそろって力説していた。

が、白星よりも大切な黒星があったのである。負けた反省点が次からの試合に生きた、と澤主将は振り返る。佐々木紀夫監督の弁。「米国は強かった。試合内容では負けた」。

早朝のテレビ応援席の素人にも、それは伝わってきた。大事に当たる時、冷静な目を曇らせてはいけないのである。「PK戦は時の運。あまりはしゃぐのは、米国の選手に失礼」と話したのは、宮前あや選手。

あっぱれな大和なでしこは、慎みも増える。首相官邸のあるじがチームをねぎらったそうである。「私も諦めないで頑張る」。相変わらずの人である。何にも分かっていないのか、分かっていないふりを決め込んでしたたかなのか。

この国のかじ取りがこうだから、「なでしこ」の感動が余計にまぶしい。しばらくは勝利の余韻に浸っていたい。

知恵

2011-07-21 08:33:03 | Weblog
連載小説「親鸞」の挿絵に「南摩陀接吻」の文字が大書してあった。発想豊かな山口晃さんの絵はいつも楽しい。

今度は謎掛け、五つの文字をどれだけ見詰めても解けないが、本文を読み進めば答えは見つかる。「接吻」を「プチュ」と読ませて「なーまーだぶちゅ」で、幼子のとなえるお念仏という種明かし。

愉快な言葉遊びである。居酒屋で「春夏冬二升五合」と書かれた木札を見かける。「秋が無いからあきない(商い)と、ほろ酔いの場の話のタネになる。二升五合は「ますます繁盛」。

なかなか手が込んでいる、知恵を出せ、と説教した大臣がいきなりクビを差し出した。「知恵」と書いてクビと読ませる。先日はむちゃな言葉遊びも教わった。

乱暴極まりないが、現に、周囲がいくら騒ぎたててもクビを差し出さぬ知恵の乏しそうな人もいる。知恵とクビが同じとは、奇妙で不思議な世界である。

商いで大切なのは「飽きないこと」と、居酒屋の主人が話す。これも同音で違う意味を指す言葉遊び。「春夏冬」の木札がふさわしい政治家もいる。

放言、陳謝、クビ。いつまでも飽きない人たちである。


2011-07-19 07:11:31 | Weblog
ある人が言うには「恋をすると海に行きたくなる」と、自分もそんなことがあったなと思う年になったが、少し寂しくもある。

例年になく早い梅雨明けで、海は青く輝いている。東北ではどうなのだろう。あの日の黒い津波を思い出すと、海水浴などする気にならない恋人たちもいるのではないか。

熱い砂浜で遊んで記憶を消してしまいたい子どもはいないのだろうか。複雑な思いで迎える、ことしの「海の日」である。1876(明治9)年に東北巡幸を終えた明治天皇が、初めて灯台巡視船にのって帰京したのを記念した日だという。

西南戦争直前の政治の不安な中で、新政府の航海の平穏を祈った日といってもいい。海を知らずに育ったある高僧が幼いころ初めて海を見た時、わけもなく、さめざめと泣いたという話がある。

あるいは「海」という字の中には「母」があり「母よ、あなたの中に海がある」とフランス語と日本語に共通する特徴を読んだ詩を思い出す。美しさと、懐の深さと、底知れない海の怖さを知ってしまった今年の夏である。

鎮魂の日であり、再生を祈る日としたい。

ステテコ

2011-07-17 08:42:19 | Weblog
人気が復活したステテコが売れている。派手な色物や柄物が並んでいる。テレビの植木等さんのように白が好ましい。時代遅れのわが身を痛感する。

もっとも、白色という先入観にこだわるのは、ステテコ精神に反するのではないか、とも思うステテコが教えるのは「意外な発想」であろう。

暑い時、余分に一枚身に着ける。それが暑さが増すのとは逆の動きをする。汗が吸い取られて肌のべた付きが消える。気心地は爽やか、ズボンも長持ちする。余分に思える物が、実は大いに役に立つ。

3代藩主前田利常の鼻毛みたいなものである。伸び放題の鼻毛が相手の警戒心を緩ませて、加越能3国を安泰にさせたとか。西洋流の暑さ対策は、ズボンの丈をちょん切って毛ずね丸出し。

何の芸もない。それに比べ、わがステテコは優れもの。先人は偉い、忘れかけていた夏の小道具を思い起こす。風鈴、のれん、打ち水、それに愛すべきステテコ。

利常が現代によみがえったら、派手な品を喜ぶだろう。そんな空想に遊ぶと、しばし暑さも忘れる。

臓器

2011-07-15 07:32:51 | Weblog
医師が臓器を金で買う。養子縁組を悪用し、暴力団が介在する。金さえあれば命も買えると思わせる。

いやな事件だ。シェークスピアのベニスの商人は、社金の証文通りに「胸の肉を切らせろ」との悪徳商人の主張を裁判官が許可する話である。だが、一滴の血も流してならないとの判決で、どんでん返しとなるのは、ご存じの通りだ。

明治初期、日本での初演は「何桜彼桜銭世中」(さくらどき・ぜにのよのなか)という題名だった。「世の中すべて金次第」の意味だが、シェークスピアの言いたかった「お金と命の交換はできない」の意味も込められている。

移植治療には、今も賛否両論あるが、少なくとも「金で命が買える」現実があってはならない。「養子縁組」もそうだ。肉親や親族でなくても温かな家族の絆を生み出す制度が、カネで売買され悪用され、犯罪の道具になっている。

移植と養子縁組、命にかかわる2つの制度に「欲とカネ」が絡むとこんなことが起きる。改正臓器移植法の施行から一年。移植医療に水をささないためににも厳正な捜査で制度の矛盾点を明らかにしてほしい。

後ろ盾

2011-07-13 07:28:13 | Weblog
後ろ盾のはずだった菅首相の援護がなく、増税を主張する与謝野氏は一方引かざるをえなかった、社会保障と税の一体改革案。

まとまったとはいえ「仮置き」だという「一本釣り」で自民党議員を政務官に引き抜いた首相の手法に、党内外から反発の声が上がり、改革案の与野党協議は見通しも立っていない。

与謝野氏も「一本釣り」で経済財政担当相になった人だ。釣られた後に、援護射撃がないのでは古傷がうずくばかりだろう。厳しい言い方をすれば「一本釣り」とは裏切りであり、敵に寝返るのは政界では珍しくない。

1953(昭和28)年のバカヤロー解散時に、吉田首相を裏切った広川農相の話が有名だ。一派を構えるほどの議員だったが、裏切りの後は、ぱっとせずに消えていった。

一度張られた「裏切り者」のレッテルを、はがし難いのは政界だけではない。「一本釣り」には必ず仕掛け人がいるのも、昔も今も、どこの社会も同じだ。

今回も仕掛け人といわれる議員が首相の陰にいる。一度だけのエサに釣られて自ら将来の道を断ってしまった議員が、むしろ哀れに見えてくる。